お茶会には、恋と可愛いの魔法を(同人誌版)

鶴江渡です。現パロです。R18です。
高校教師な甘党鶴見さんとロリイタファッションな江渡貝くんの話です。
同人誌用に校正したものですが、Web公開します。

若者が集う街・流行の発信地といえば、原宿である。竹下通りからしばらく歩いた先にはラフォーレ原宿がある。
さらに明治通りに進んでいけば表参道へ繋がっている。
今日は土曜日だ。それに加え、良く晴れていた。そのため、街中はいつもより人が多い。すれ違う人の視線を感じ、鶴見はそっと帽子を深くかぶり直した。
鶴見には過去に巻き込まれた事故により額に傷があった。大きく顔面上部全体の皮膚は赤く変色しており、皮膚を保護するために額にはプロテクターをつけている。
傷や額を隠す必要はないのだが、じろじろ見られるのは居心地が悪い。そのため、鶴見は深く帽子をかぶっていた。
休日くらい平穏に暮らしたい。鶴見は早歩きぎみに街中を歩いていく。
今日の鶴見は原宿エリアを中心にスイーツ巡りをしていた。竹下通りの綿あめを買い、裏道にあるチョコレート店の限定フレーバーも手に入れた。
欲を言えば、世界一の称号を得たチョコレートケーキを食べたかったのだが、今日は別のカフェに立ち寄る予定としている。あとは、大通りから一本裏道に入った場所に新しくできたカフェでケーキと紅茶を飲んで帰るだけだ。
「おっと」
強い北風が吹いた。帽子が飛ばされそうになり、鶴見は慌てて手で帽子を飛ばぬよう押さえた。
もうすぐ冬が来る。そう思いながら道行く人を眺める。みな、示し合わせたように黒や灰色のコートを着ており、似たような服装をしている。時折見かける過剰な装飾をつけたバンドマンのような服装や、絵本に出てくる姫のような服装をしている人間は減っている。
だが、鶴見が不意に顔を上げると、目の前には全身パステルカラーのカップケーキのような服装の人間が鶴見の方向に向かい歩いてきていた。
その人物は淡いピンク色のオペラハットを深くかぶっていた。顔を見られるのが恥ずかしいのだろうか。
また、手元にはピンク色のカバンを持っている。
裾広がりの白いショートコートの下には、子犬やお菓子がふんだんに描かれた鳥かごのような形のスカートが広がっている。足元は赤いフラットシューズを履いていた。
背の高い子だ、モデルだろうか。そんなことを考えながら鶴見は足を進める。鶴見とその人物がすれ違う直前に、ビル風が鶴見の帽子をさらった。
「わぁっ」
鶴見の帽子が舞い上がる瞬間に、目の前の人物の帽子も風に飛ばされたらしい。二つの帽子は宙に舞い上がり、そして足元へ着地した。帽子は空中で入れ替わったらしい。
鶴見はオペラハットを拾い上げ、持ち主へそれを差し伸べた。「あ、どうぞ」と鶴見は言ったまま目をぱちくりさせる。
オペラハットの持ち主も鶴見と同じように目をぱちくりさせる。そして、二人は同時に少々ぬけた声をあげた。
「鶴見先生」
「江渡貝くん」
鶴見は高校の教師をしていた。そして、目の前にいた可愛らしい恰好の人物は鶴見の高校の生徒であった。
江渡貝くんと呼ばれたふりふりファッションの人物は、現役の男子高校生だ。
たとえ、ふりふりのパステルカラーの服装をしていたとしても、ピンクベージュのウイッグをかぶっていたとしても、西洋風の顔立ちに、頬の線、淡い瞳と声色はたしかに江渡貝くんである。
生徒が休日にどんな格好をしていても、何を好きであっても、犯罪に手を染めているわけでもなければ教員が手や口を出す権限はない、と鶴見は考えている。
だが、思いもよらぬところで思いもよらぬ人物が、思いもよらぬ服装をしているとなれば、さすがに驚きはする。
もっとも休日の生徒の服装の趣味なんてそれぞれの自由でいいとも思っている。ただ、驚きのあまり、思わず彼の名を呼んでしまったのだ。
「み……みんなにはナイショにしてくださいっ!」
江渡貝の琥珀色の瞳が鶴見を見つめていた。学年の成績一位の少年の小さな秘密が鶴見の目の前に咲いていた。
「あぁ、わかったよ」と鶴見は江渡貝に帽子をかぶせながら答えた。
江渡貝は帽子の角度にこだわりがあるらしい。ショーウィンドゥに映った姿を眺めて帽子をかぶりなおしていた。帽子を被りなおしている麗しい少年を眺めながら鶴見は妙案を思い付く。
鶴見はにやりと笑うと江渡貝に声をかけた。
「今日ここで会ったことはお互いに秘密にしようか。私が大量にスイーツを買い込んでいたこともね」
鶴見は江渡貝のことを人に言うつもりはなかった。ただ江渡貝のことが気になったのである。
「その代わり、ひとつ付き合ってもらってもいいかな」
江渡貝は目をそらしたまま「はい」と答えた。チークや口紅を施しているが、その顔色は悪い。本当の目的を隠すのを勿体ぶるのも悪いような気がした。ただカフェに行きたいだけなのだ。
「これから、北口にできたカフェに行こうと思っているのだが、一緒に付き合ってくれないか」
鶴見は正直に今日立ち寄る予定のカフェについて江渡貝に話した。すると、みるみるうちに江渡貝の顔色はピンク色に戻っていく。むしろ、鉢合わせた時よりも、血色が良くなっている。
「それって、もしかして……昨年のサロンド・チョコラで長蛇の列と伝説を作り出し、日本では、先月表参道駅徒歩五分の立地に初出店した、ロシア帰りのショコラティエ・ハジメツキシマのカフェですか?」
江渡貝は前のめりで捲くし立てるように言った。これは鶴見には予想外の反応であった。鶴見は思わず知っているのかい? と江渡貝に尋ねた。
「テレビで見たんです。先生もお店に詳しいんですね」
「そうそう。実は店のオーナーとは顔見知りでね。教え子なのさ、昔の」
「へぇ~。鶴見先生の教え子」
どんな人かな、と江渡貝は背景に小花を咲かせている。
「そうだな、パティシエというよりも、軍曹って感じの男だよ」
「軍曹……」
「それから、今日は先生ってのなしにしてくれるかな」
「じゃぁ……鶴見、さん?」
江渡貝は頭を右に傾げながら鶴見に帽子を差し出した。
「うん。」
帽子を被りながら鶴見は返事をした。
化粧のせいか、服装のせいか。いつもと様子の違う江渡貝の姿を横目で見ながら鶴見はカフェの方向へと向かった。
カフェに到着するとすぐに席へと通された。連日雑誌に取り上げられており、やはり店内は混んでいた。しかし、鶴見は来店予約を済ませていたため、席は確保されている。
メニューを受け取った江渡貝はぎょっと目を丸くした。働いている鶴見にはなんてことない価格帯だが、高校生の江渡貝にはだいぶ高い価格設定だ。
「ぼ……ぼく、お水で結構です……」
江渡貝はおどおどしながらメニューを閉じた。
「いいよ、好きなものを頼みなさい」
鶴見は江渡貝にメニューをもう一度開いて渡した。
「でも……」
「私は新作を頼むから、君はそれ以外にしなさい。そのかわり一口交換すること。いいね?」
鶴見がそう言うと江渡貝は、かすかに口元を緩めた。
「じゃぁ、これがいいです」
控え目な値段のショートケーキをさして江渡貝は言った。
「せっかくだから、紅茶とセットのものにしたら。セットだとケーキ一律同じ値段だし」
「え、えぇっ?」
「ケーキセットで、ケーキはルビーショコラのケーキ、紅茶はアールグレイで。チョコレートのマカロンにそれからショコラのセットをひとつ。それから、もう一つケーキセットを」
何がいい? と促せば、江渡貝は指先でチョコレートが濃厚そうなオペラ、それから紅茶はセイロンを指さした。
男声を出したくないからなのだろう、江渡貝は口をぱくぱくさせているが声が出ていない。指さしの注文を目で追いながら江渡貝に代わり、鶴見がオーダーをする。
「こっちはオペラ、それからセイロンティー。あと、チョコレートアイスも添えてください」
一つ多いですよ、と江渡貝はクチパクをするが、鶴見は涼しい顔でそれを聞き流している。
「二人ならいろいろ食べられるだろ。せっかくなのだから、いろいろと試してみた方が良い」
妙に必死な鶴見の言い訳を聞いて、江渡貝はくすりと笑った。
「江渡貝くぅん……」
不本意そうな鶴見に対して江渡貝は笑う。
「だって、鶴見さんがこんな可愛いこと言うのかって思ったらおかしくって」
「それは君だってそうだろ」
頬杖をついて答えれば江渡貝はきょとんとして鶴見のほうを見た。こんな可愛らしくめかしこんでいて、可愛くないわけがないのだが。そう思いながら江渡貝を眺めれば、かぁぁとその頬は赤く染まっていた。
「か、かわいい、ですか?」
照れたような、しかし喜びを隠しきれていない様子で江渡貝は言う。
「うん、かわいい」
「これ……全部作ってみたんですけど」
実は、と江渡貝は小声で話し始める。
「時間のあるときに縫ったりして、ブラウスとコートを作るのが大変でした」
江渡貝のつけまつげが瞬きをする度にぱさぱさ揺れた。
「お金がなくて本物は買えなくて」
「本物?」
「靴だけはブランドものなんですけど」
本物は、と江渡貝は言うが鶴見からしたらどこからが本物なのか偽物なのか判別はつかない。
「遠くから見ておれは完璧だと思ったんだが、違うのかい」
鶴見から見て、街中ですれ違った江渡貝の姿は完璧にロリィタファッションのそれであった。
可愛らしく作り上げられた姿は本物だ。
「どうだろ、僕には……」
「強いていうなら、帽子を浅く被ったらどうだろう」
鶴見は江渡貝の傍らに置かれていたハットを手に取り、江渡貝の頭にそれを乗せた。
「顔を出した方が素敵だ」
静かにそう言うと、ちょうどケーキとお茶が運ばれてくるところだった。江渡貝は照れくさそうに前髪をいじりながら帽子を傍らに置いた。
「顔なんて出さない方が良いかと思って、帽子で隠していたんですけど」
それなら出してみようかな、と江渡貝は言った。
「お待たせしました」
深みのある声に江渡貝は顔を上げた。黒エプロンの店員が江渡貝たちの前にケーキの皿を差し出した。髪を短く刈っており、軍人のような風貌の男だった。
「鶴見さん。お久しぶりです」
「あぁ、月島」
「それにしても随分頼みましたね」
「今日は二人だから」
鶴見は江渡貝を指す。月島は江渡貝を見ても特に何も気にしていないらしく、軽く会釈をしただけだった。
「ごゆっくりお過ごしください」
月島は紅茶を二人の元へ置くと厨房へと戻って行った。
江渡貝と鶴見の目の前のテーブルに可愛らしいお菓子や紅茶のポットが並んでいる。鶴見は江渡貝にショコラを一粒勧め、鶴見自身もそれを口に含んだ。
鼻先に近付ければふわりと甘いカカオが香り、舌先に触れた、噛めばミルクチョコレートに胡椒の味が舌先に広がった。
ピリリとしたスパイスは決して大雑把なものではない。人の舌先を喜ばせるように作り込まれた繊細な作品だ。
鶴見は和菓子が好物である。もちろんこうして洋菓子も食べるのだが、鶴見は月島の作る和を取り入れたチョコレートの作りが好きだった。
「美味しい……。チョコレートに少し練り込まれたこしょうかな。カカオの旨味を引き出していて、それでいて和風で硬派な……甘過ぎないところがくせになりそうです」
「うんうん」
「鶴見さん、ありがとう」
そう言うと江渡貝はにこりと笑った。
店を出ると、二人は手を振り合い、お互いに帰路につく。
江渡貝は一人暮らしの自宅へ帰るなり、ベッドに顔を埋めて一人にやにやと笑っていた。
鶴見に可愛いと褒められたことが嬉しかったのだ。
「鶴見せんせい……鶴見さん」
確かめるように鶴見の名を呟く、江渡貝の目はぼんやりと遠くを見つめていた。
江渡貝は今日、偶然鶴見に会ったように反応していたが、本当は何度もあの場所で鶴見を見かけていた。目立たぬよう地味な服装で出掛けていたこともあった。
江渡貝があの辺りを歩くようになったのは高校に入学してからであった。たまたま自宅のそばで見かけたロリィタ少女の服装が頭から離れず、調べたところ原宿に行き着いたのである。
幼少の頃から可愛らしい服に関しては昔から着てみたいという欲求があった。女装をしたいわけではない。
ただ、あの服に袖を通し、街を歩くことに思い焦がれていただけだ。
そうして歩いていたらたまたま流行りのカフェから出てくる鶴見を見かけたのだ。その時はあぁ休日だからな、と思う程度であった。しかし、その後もしばしば鶴見がカフェから出てくるのを江渡貝は見かけた。
可愛らしい趣味だなと思いながらも江渡貝は鶴見に声をかけられずにいた。もっとも、教員のプライベートに介入する気もないし、関わりたくないと思っている。
だが、不思議と鶴見に対しては心惹かれるものがあった。
単純接触効果という言葉がある。
もしかしたら、偶然といえども何度も鶴見を一方的に見かけているうちに鶴見が江渡貝の胸中で大きな存在になり、だんだんと好意に変わっていたのかもしれない。
それに加え、鶴見は学校内でも男女問わずモテる。
江渡貝の隣のクラスにいる鯉登という青年もまた鶴見に入れ込んでいる。この年頃であれば、恋なのか憧れなのかの境界線が曖昧になるのは良くあることだ。
江渡貝は自分自身にそう言い聞かせながらも、鶴見の言葉を思い出しては頬を緩めた。江渡貝は一人でにやにやしながらベッドの上をごろごろと転がりまわる。
「あぁ、服にシワが出来てしまう……」
江渡貝はコートを脱ぎハンガーにかけた。ブラウスは手洗いだな、と呟きながら洗濯カゴに入れた。スカートを脱ぎ、洗面所の鏡とアンバランスな自身の姿を眺めた。
つけまつげを外して洗面台の上に置く。
外したつけまつげはまるでゲジゲジ虫のような形をしていた。クレンジングシートを手に取り、化粧を落とす。
スカートをハンガーにかけ、スカートを膨らませるために着込んでいたパニエを脱いだ。その下に着ていた白いタイツも脱いでしまう。
すると、江渡貝が身につけているのは、胸が二重になったピンク色のキャミソールと両サイドに花を象ったレースのついている下着だけになる。
可愛いね、江渡貝くん。そんな鶴見の言葉を江渡貝は思い出していた。江渡貝は目を瞑って鶴見の姿を思い出す。
いいえ、むしろ可愛いのは貴方の方です。江渡貝は空想の中に作り上げていた鶴見にそう語りかけた。
細い顎に手を添え、黒い硬いヒゲに触れた。額あてを外してみたいと思ったが、その下を見たことがない。
妄想の中で、江渡貝は鶴見の額あてを舐めた。鼻先を擦り付け合い、ゆっくり唇を近づけた。
それから首筋に触れ、薬指で鎖骨をなぞった。細い彼の鎖骨はくっきりと浮き出ており、くぼみに指を入れれば鶴見はくすぐったそうな顔をした。
全て妄想だ。彼の返す反応も、言葉もすべて一人で勝手に望んだだけの虚だった。
鶴見先生、と心の中で江渡貝は名を呼んだ。いやらしい事をしている、という自覚はあった。
二重になっているキャミソールの下では二つの乳頭がぷくっと膨れて、薄い布を押し上げていた。江渡貝は自身でそれを摘みながら、ベッドに倒れこみ、身を丸めた。何度か指先でそこを転がしながら浅く息を吐く。もじもじと両足の間に手を伸ばした。
罪悪感とも快感によるものの、どちらとも取れぬ深いため息を吐いた。もしかしたらどちらも感じているのかもしれない。目を閉じれば長い睫毛が瞳の下に影を落とした。膨らんだ江渡貝自身は肌着からこぼれ、先端には体液が滲んでいた。
江渡貝は下着の下の方からそれの先端までを撫で上げた。ぞわぞわするが、江渡貝は快楽を感じていた。指先で触れながら、目を開ければ、濡れて濃く色づいた下着が目に入った。
手を動かせばくちくちと音が立ち、江渡貝の羞恥を煽る。江渡貝は妄想の中の鶴見をベッドの上に押し倒した。
妄想の中の鶴見は普段教壇の上で授業をしているような表情ではない。今にも泣き出しそうな表情で江渡貝を見上げていた。江渡貝は自身と鶴見とを重ね合わせて手を動かした。
ゆっくりと触れるか触れないか程度のタッチで太腿を撫でた。くすぐったいような、もどかしいような感覚に背筋が震えた。鶴見も、もどかしそうな目でこちらを見ているような気がした。太腿から尻を撫であげる。尻の窄まりのふちを人差し指で触れながら、その手は再び陰茎を撫でた。勃ち上がったそこを何度か撫でる。
こんな服を着て、こんなことを考えて、僕は悪い子です。江渡貝は鶴見に独白するが、鶴見は「そんなことはない、おいで江渡貝くん」と言い江渡貝の頭を引き寄せた。
先生、鶴見さん、江渡貝は小さくその名前を呟いた。ぐっと体の奥が熱い。手を動かすたびに焦れた熱が生まれ、手のひらを濡らした。腰が揺れる、体があの人を欲していた。あの人はどんな風に体を開くのだろう。どんな声を出すのだろう。
江渡貝は下着を引き下ろした。足元で丸まって引っかかるそれを脱ぎ捨てた。こんな肌着をつけた僕を貴方はどう思うのだろう。江渡貝くんは悪い子だ、と言う鶴見を想い浮かべた。
悪い子だと言いながらも江渡貝の濡れそぼったそこを握りこんだ。しかし、鶴見は指先でそこを撫でるだけで、手を離してしまう。
ほら握ってごらん、と手を添えられ、江渡貝は欲情で勃ち上がったそれを両手で包んだ。触れ慣れている場所であるが、妄想の中といえども人前で見られながら触れるのは初めてだった。組み敷いた鶴見は江渡貝を見上げていた。見られている、そう思うと体の奥がじわりと熱くなった。
暖房も付けない冬の部屋だというのに、背中にはうっすら汗が滲む。
「あ……ァッ!」
江渡貝の両足が震えた。腹奥から湧き上がる劣情と快感を追いかけ、江渡貝の手の動きは早くなる。うぅ、と小さく唸る。ぴくぴくと脇腹を震わせながら江渡貝自身は白濁したものを吐き出した。
「はぁ……はぁ……」
江渡貝は深く息を吐いた。先程まで興奮で熱くなっていた体が冷えていくのを感じていた。ベッドシーツも妄想の中の鶴見も穢してしまった。
江渡貝はベッドシーツの白濁と丸まって落ちている女物の下着を見ると、自己嫌悪に顔を歪めた。こんなこと、歪んでいる。換気して片付けよう。
シーツと下着をまとめ、部屋着を着ると、江渡貝は窓を少し空けて、洗濯機にそれらを突っ込んだ。
部屋に戻り、江渡貝は思い出す。
そういえば、帰り際に鶴見からチョコレートを買ってもらったのだ。
これを一生の宝物にしたい。
きっとこんな甘い日はもう二度と来ないのだろうから。かさり、とチョコレートの箱を袋から取り出した。
すると、チョコレートの箱の上には四つ折りのメモが添えられていた。
メモ紙には鶴見の連絡先が書かれており、「また甘いものでも。」とメッセージが添えられていた。
賢者タイムに浸っている場合じゃない。
江渡貝は慌てて携帯を取り出すと、携帯の画面に鶴見の連絡先を打ち込んだ。

セレンディピティ。
何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを偶然見つけること。素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見したりすること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみとることである。
この言葉はイギリスの小説家が生み出した造語である。
鶴見は、偶然・幸運とインターネットの検索フォームに打ち込み、何気なく画面を眺めていた。
何気なく。そう、原宿を歩いていて生徒にあってしまったのも、そのまま、あの子をお茶に誘ってしまったのも、個人的な連絡先を伝え、あまつさえ「またお茶でも。」なんてメモを渡してしまったことも、すべて偶然だった。
そもそも、生徒のひとりとして江渡貝を知ってはいたが、個人的に親しくなろうなんて、今の今まで一度たりとも考えたことはなかった。たぶん。
少々、愛らしい顔立ちの成績優秀な自己主張の少ない生徒がいる、とは思っていたが。鶴見は今日の日中の出来事を思い出しながら、ソファに腰かけた。そして、携帯の画面を覗いた。
きっと、教員から連絡先を聞いたからには、社交辞令といえどもなにかしらのメッセージは来ているだろうと思ったからだ。もし開いた画面に社交辞令色の強いメッセージが届いていたとしても落ち込まない。鶴見は自分自身にそう言い聞かせながら、携帯の画面をひらいた。
「……」
画面を開いた鶴見はぐっと押し黙っているが、口元はにやけていた。通知の画面には通知が三件届いていた。通知のうち一件は広告だったが、あとの二件は江渡貝からのメッセージだ。
木々と青空だけのシンプルなアイコンの隣には「えどがい」と平仮名で名前が登録してあった。どこかの風景なのだろう。緑の森の上に青い空が広がっている。
今日見かけた彼のピンク色の服装とのギャップを感じさせるアイコンだ。だが、学校での江渡貝の雰囲気にはこちらのほうがしっくりくるような気もする。
鶴見は彼の学校生活での様子を思い浮かべながら江渡貝から来ていたメッセージを開いた。
「鶴見先生(鶴見さん)、今日はお茶に誘ってくれてありがとうございます。今日のことはみんなに内緒にしてくださいね。それから、お化粧していたことも見逃して下さい。また、一緒にお茶行きたいです。先生は次、いつ空いていますか?」
そしてメッセージの後には今日カフェで撮っていた写真が添付されていた。
チョコレートケーキと紅茶のポット。そしてその後ろには鶴見の腹のあたりが映っている。
人の映した写真に自分自身の姿が映っているというのは不思議な感覚である。
この正面には江渡貝が座っていたのだなと考えると、なぜだか、どきりと胸が騒いだ。
「来週の日曜日、都合があえばどうだい?」
鶴見は文字を打ち、原宿周辺のカフェのアドレスを送る。すると五分も待たずに返信のメッセージが届いた。
「行きたいです。時間はどうしましょう」
「お昼十二時でどうかな。次は南口で」
「わかりました」
「それじゃぁ、また来週」
「はい、また明日学校で!」

来週はどんな格好で来るのだろう。
鶴見は今日見ていた江渡貝の姿を思い浮かべていた。化粧をして、つけまつげを付けて過剰に着飾った姿。しかし、もとの顔立ちを生かしたメイクで不自然さはあまりなく、上品なお嬢さんを思わせる雰囲気に息をのんだ。
カフェでの佇まいは柔らかでショコラを摘まむ指先さえも、バレリーナのように演技が仕上がっていた。まるで割れ物を扱うように動く手は見ていて気分が好い。カップに口をつける様子も愛らしく、少女のようであった。
しかしながら、口を離したカップのふちには僅かに口紅の赤が移っており、その赤に鶴見は思わずどきりとした。
少女の格好をしているが、化粧を施しており、紅を引いた唇であった。鶴見はつい、江渡貝の口元を見てしまう。
赤く色付き艶があり、柔らかそうで触れたいと感じる唇をしている。
触れたい、なんて気の迷いであってほしい。いつもとは違う服装で、いつもとは違う場所で突然出会ってしまったから気が動転しているのかもしれない。
江渡貝は少女でもなく、少年だ。それに勤務先の学校の生徒だ。連絡先を渡したのだって深い意味はない。鶴見はそう言い聞かせながら、おやすみと江渡貝に返事を打った。

「おやすみ、か」
江渡貝はベッドの上に寝転んで携帯の画面を見ながら、うふふふふと笑っていた。ひとりで携帯片手に独り言を呟くのはちょっと健全ではないなと思いながらも、憧れの人から来た連絡に、喜びを隠せずにいた。笑わないようにしていても自然と緩む頬はピンクに染まっている。
来週は何を着て出かけよう。江渡貝はクローゼットの中をのぞいた。クローゼットの中にはまだ着たことのないジャンパースカートが一着。実はこのジャンパースカートは今日着ていたピンクとショコラ色を基調にしていたワンピースとは対になっている。
サックスブルーに白色で雪の結晶をイメージしているジャンパースカートは、白い手持ちのブラウスや白いコートと合わせると雪の妖精みたいだと思い作ったものである。
「きっと、このヘッドドレスが合う」
江渡貝はクローゼットにしまっていた白いレースでできたヘッドドレスを取り出した。これも江渡貝が自作たしアイテムだった。サックスブルーのドレスと合わせて使えるよう、白いパールや、はしごレースの間には水色のリボンを使って雪の結晶を思わせるデザインに出来上がっている。
顔を出したほうが素敵だ。鶴見は今日、江渡貝にそう言った。そんなことを言われるのは初めてだった。
それに加え、江渡貝自身は自分の着ているものは偽物だと思っていたが、鶴見はこの格好を完璧だとほめてくれた。鶴見の言葉は魔法みたいだと江渡貝は思った。
江渡貝の中では偽物だったドレスは鶴見の言葉で本物のドレスへ姿を変えた。きっとあの人の声が、言葉が僕を本物にしてくれる。江渡貝はパジャマを脱いで、お気に入りのタイツを履いた。
ブラウスを着て、ジャンパースカートに腕を通す。
ピンク色のウイッグを被り、ヘッドドレスを付けた。ヘッドドレスをウイッグに固定し、顎下でリボンを結ぶ。
メイクはしていないが、悪くはないだろう。パニエとドロワーズを履いてスカートを膨らませれば、江渡貝の理想のシルエットが出来上がる。一度着たドレスを脱ぎながら江渡貝はにやにやと笑う。
来週の日曜日が楽しみで仕方ない。それにしても、学校で鶴見と会った際に普通の態度をとれるだろうか。
困ったな、と新たな悩みに頭を抱えながら江渡貝は学校指定のカバンに目をやった。明日からは、学生に戻らないといけない。日曜日の夜から平日に代わるのはいつもどこか寂しい気分になってしまう。
けれども、すぐに休日がやってきて、また鶴見さんに逢える。
江渡貝はもう一度鶴見との連絡を見直すと、照れ臭そうに自分の髪を撫でつけた。
セレンディピティ。あの街で鶴見を見かけたのはきっと偶然だ。しかし、この偶然から、必然的な出会いを生み出したのは江渡貝自身だ。

日曜日がやってきた。
江渡貝は四角いナイロンのメイクボックスを持ち、その中から化粧品を取り出した。江渡貝は四角い折り畳み式の鏡を机に立てた。そして、保湿の済んだ肌に日焼け止め入りの化粧下地を塗り込んでいく。
学校では化粧をしてきたクラスメイトが「高校生なのだから化粧はまだ早い」と言われていた。けれども、江渡貝の場合、肌の欠点を隠すために化粧をするわけではない。
この服を着るのに相応しくなるために化粧をするのだ。
江渡貝の目指すものは陶器の人形のように整った肌である。粘土で作り上げた完璧な顔のバランス、そして胡粉を塗り重ねて作り上げた肌。
作り手の感情と愛情をすべて注ぎ込まれた完成されたものが人形だ。人形師は短命であるといわれている。江渡貝は人形の展示を見に行った時の事を思い出していた。
若くして命を落とした人形師の作り上げた人形が一体だけその展示で見ることができたからだ。
作り手の命の一片を吹き込まれたような、今にも呼吸を始め、目を開き起き上がりそうな表情の人形が眠っていた。触れれば確かに人形なのに、柔らかい。
江渡貝は憧れに近づくために化粧をしている。
パフでファンデーションを肌に塗り、おしろいを付ければ、艶を抑えた白い肌に仕上がった。茶色の眉は眉用のブラシで梳けば十分だ。
それから、江渡貝はインターネットで買ったピンクのアイシャドウを手に取った。
近所のドラッグストアでも手に入るが、化粧品を人前で買うのは躊躇われた。そのため、江渡貝は送料がかかるが、インターネットで化粧品を購入している。
パレットの中には、可愛らしいピンクのアイシャドウがきらきらと並んでいる。早速、薄ピンクをブラシにのせ、瞼全体に塗り、眼のふちにバーガンディを薄くのばした。
じわりと広がる赤は秋冬に似合う。目のふちに茶色のアイラインを引けば目元が引き締まる。
それから、江渡貝は毛虫のようにしまわれているつけまつげを手に取り、それに糊を付けた。つけまつげ用の糊に息を吹きかけ少し乾燥させると、それをアイラインの形に合わせるように張り付ける。
仕上げににこりと笑いながら、頬骨に薄ピンクのチークを乗せた。
それから、ウイッグネットをかぶり、両手でウイッグを持ち頭にかぶせた。ベージュピンクで落ち着いた色味のウイッグは江渡貝の顔色によく馴染む。
ブラシでウイッグの毛並みを直し、浮いた部分をならしていく。
もう一度鏡を見れば、パジャマ姿にメイクを施したピンクの髪型の少女が座っている。
下マツゲにマスカラを塗り、ローズピンクの口紅を引いた。人形みたいになれたかな、と江渡貝は鏡に映る自分自身に問いかけた。
先日試しに着た水色のワンピースに腕を通し、ヘッドドレスを頭に飾る。
鏡の中に映る着飾った自分自身を見て、大丈夫だ、と自分に強く言い聞かせる。
ハートの形のカバンを肩にかける。鞄の中には化粧直しのポーチ、財布に家の鍵、スマートフォンとハンカチが入っている。持ち物をもう一度確認すると江渡貝は家を出た。向かう先は表参道南口だ。

南口に向かえばすでに鶴見が立っていた。
パステルカラーの江渡貝に対して、鶴見の服装はダークグレーのステンカラーコートに、黒いパンツを合わせておりでシックにまとまっている。
「先生。おまたせ」
「うん」
対照的な服装の二人はそのまま南口の階段を上ると表参道の街並みへ溶けていく。
平日は教師と生徒。休日はロリイタ少女と背の高い男。
秘密の関係だが、平凡な日々への刺激として十分だ。
「今日は、どこに行きましょう」
「ここはどうかな、と思っていたのだけど」
鶴見と江渡貝はほぼ同時に言葉を発していた。
鶴見は南口から出て右手側にあるオープンカフェを指さして言った。
赤いパラソルが並び、隣には帽子屋。既視感のあるこのカフェは、ドラマ撮影にも使われている人気店だった。
江渡貝は頬骨をあげうなずいた。日の光を浴びた雪の結晶のように、きらきらと瞼が輝いている。
アイシャドウのラメが輝いているのだろう。鶴見の視線を感じた江渡貝は照れくさそうにうつむいた。
「今日の、僕ヘンですか?」
そうじゃなくて、と鶴見は言葉を詰まらせた。
江渡貝は雪の精のようなドレスを着ている。
先日のピンク色のコーディネートとはまた違い、サックスブルーが江渡貝の肌の白さに似合っていた。目元に滲む赤、うっすらと色づいた唇の赤に目を奪われる。
「今日は青いドレスだね」
冬らしくてきれいだねと鶴見は江渡貝のドレスに目を移した。
「よかった。新しいものにしたんです」
「おや」
鶴見はちょん、と江渡貝のあご先のリボンに触れた。
「な」
江渡貝は息を止めて目を丸くした。
「リボンが解けかけている。ちょっと止まって」
鶴見はわずかに身をかがめると江渡貝のあごのリボンを結び直す。
鶴見は固まっている江渡貝の肩を持ち、ショーウィンドウに江渡貝の姿を映した。
「うん、これで大丈夫かな」
「あ…ありがとうございまふ」
「おにんぎょさんみたいだね」
「……!」
鶴見の言葉に江渡貝の顔はポンと赤くなった。
頬紅の色ではない。江渡貝自身の血色が頬に滲んでいた。少し俯いて江渡貝は顔を緩ませた。
「そんなこと、ないです」
髪に触りながら江渡貝は言う。
鶴見から褒められるのは嬉しいが、素直に喜んで良いのだろうか。そんな複雑な感情に江渡貝は戸惑っているようであった。
「男の子に喜ばれる言葉かどうか分からないけれど」
鶴見は江渡貝の耳元で今日も可愛いね、と続けた。江渡貝は真っ赤になったまま、ふふふ、と目を細めて笑う。
「そうそう、カフェ行こうか」
鶴見は一回り小さな江渡貝の手を掴む。江渡貝の手を引いて鶴見はカフェへと向かった。
バイトをしているといえども、今日のカフェも高校生の江渡貝には少々お高い値段設定である。
店員に渡されたメニューを見て江渡貝はううん、と唸った。
「今日も好きなものにしなさい」
鶴見は江渡貝にそう言いながら、鶴見もメニューを覗いた。鶴見は自分自身で言った台詞を、頭の中で反芻しながらまるで悪い事でもしている気分になった。
相手は一回り以上年下の高校生だ。
それも自分の学校の生徒である。
援助交際、パパ活という言葉が頭のすみに浮かぶ。違う違うと頭のあやしいイメージを振り払うように頭をふった。
「鶴見さんは決まりましたか?」
鶴見はうんうんと頷いた。
「そうだな、私はカルボナーラにしようかな」
「じゃぁ、僕も同じにします」
トマトパスタのソースが飛んだら嫌ですし、と江渡貝は付け加える。
「じゃぁ後で一口交換しようか」
「はい」
「デザートはどうする?」
「もちろん頼みます。鶴見さんは?」
「もちろん、何にすると思う?」
鶴見は江渡貝に訊いてみる。
「ううん、きっとイチゴのモンブラン!」
江渡貝は上目遣いに冬季限定と書いてあるモンブランを指さした。
そう、鶴見はこのモンブランが気になっていた。
「当たりだ!」
「ふふ~鶴見さんきっとこれを選ぶだろうなって」
「江渡貝くんは?」
「僕もこれにします!」
「限定に弱いねぇ」
「鶴見さんもね」
店員は江渡貝のほうを一瞬見ると、静かに水を置いた。
やはり原宿が近いといえども最近めっきり減った服装である。
親子なのかそれとも、何か別な関係性なのか。二人の様子が怪しげであるのは確かである。
「あ、注文いいですか」
鶴見は水を置いて立ち去ろうとする店員を呼び止めた。
はい、とにこりと接客スマイルで店員は振り向いた。
「トマトソースのパスタ、それからカルボナーラ。どちらもデザートセットでお願いします。デザートは両方ともイチゴモンブランで」
店員は鶴見の注文を繰り返すと、手元のメモに走り書きをし、厨房へ戻っていった。

「はぁぁ……美味しい。」
江渡貝は頬に手を当ててため息をついた。
鶴見もトマトソースのパスタを食べながらうんうんと頷く。人は美味いものを目の前にすると会話も忘れて食べることに集中してしまう生き物である。
細めのパスタにトマトの酸味。そしてニンニクの薫るソースが上手く絡み合っている。イタリアンは油が多めではあるが、火を通したニンニクがそれを忘れさせついつい箸が進む。イタリアンだから使っているものはフォークだが。
ペロリと一皿食べ終えると二人は目を見合わせた。
そう、これから来るデザートの時間だ。下げられる皿を見送りながら二人は目を輝かせた。

「お待たせしました、イチゴモンブランです」
テーブルへ静かに置かれた皿の上にはピンクのイチゴを練りこんだクリームが本家モンブランのように細く盛り付けられ、頂上にはイチゴがのり、粉砂糖が振りかけられている。
「カワイイ……食べるのがもったいないです」
江渡貝はスマートフォンをケーキに向けて斜め四十五度に傾けながら目を煌めかせた。鶴見の口元も甘いものを目の前に緩んでいる。
「さぁさぁ、食べましょう」
いざ実食、と薄紅色の山肌に差し込んだ。モンブランは山を象るデザートだ。
柔らかなケーキに対して、鋭利なフォークを差し込む罪深さと戦いながら、そっと山肌を切り開いた。中には白い雪のようなマスカルポーネチーズがしっとりと二人を向かい入れ、その内側にはチーズの重みの緩衝材となるスポンジ、そして中心核にはイチゴのジュレが潜んでいた。
フォークに削り取った山肌とその地殻を乗せ、口の中に入れた。
「おいしい」
ふわりと雪のように舌の上にイチゴのソースは溶けて、しっとり甘酸っぱいマスカルポーネチーズ、そして柔いイチゴのジュレが蕩けた。
「山の雪解け……冬にぴったりの味だ」
鶴見は呟くと江渡貝を見る。
「そう言えば、今日の江渡貝くんの服装もそんな感じだね」
「山ですか?」
「そうじゃなく。雪みたいな服装、けれども目元は雪解けで春が顔を出しているみたいだ」
ふぅん、と江渡貝は釈然としない顔をしている。
「そうだな、可愛いってことだよ」
それから、美味しそうだと鶴見は心の中で言葉を付け足した。きっとこの言葉は言ってはいけない、そんなことを考えながら。

江渡貝くんは生徒、江渡貝くんは男子高校生。
私服で至福のカフェタイム後、江渡貝と別れた鶴見は頭の中で何度もその言葉を繰り返していた。
いくら服装や化粧が可愛らしく、愛らしいと思っていても、彼は自分の学校の生徒である。
手を出したら色々とマズイ。
鶴見は電車の中で何度も呪文を繰り返しながら、雨に濡れた犬の臭いや、月曜日の朝にすれ違うゴミ収集車のことを考えていた。
家に到着すると一人暮らしのマンションの部屋の電気をつけ、コートとジャケットと靴下を脱ぐ。
彼も無事に家に着いただろうか、と考える。
ちゃんと帰れたかい、と連絡をしようと携帯を取り出すと、すでに江渡貝からメッセージが届いていた。
「鶴見さん、今日はありがとうございました! 今日の写真です。」
添付の写真は江渡貝の指先の映り込んだケーキの写真だった。
写真に写りこむ白い指先に心臓が騒いだ。
カフェに行く前、通りで彼の顎先のリボンがほどけかけていたことを思い出してしまう。
自分で直すように言えば良かったと鶴見は後悔していた。
可愛いと云えば彼は分かりやすく頬を赤く染めていた。
褒めたことに対して照れている、というのもあるだろう。
だが、江渡貝はおそらく鶴見を恋慕っている。以前より授業中に感じる視線、すれ違う時に、僅かに緊張したように自分自身の髪を撫でつける仕草、話しかけるたびに溶け出すような熱を帯びた表情に気付いていた。
あの日、偶然彼と出会ってしまってから、鶴見は江渡貝に生徒に向ける愛情以上の感情を抱いていた。それは恋愛感情に近い。
紅を塗った口紅を見れば、触れてみたいと思ってしまった。着飾ったドレス、ツンと澄ました足先にも触れたい。
化粧を取り去り、ドレスを脱がしたい。靴を脱がせて、その足に口づけをしたい。
いつも窓際の席で熱心に授業を聞く江渡貝を思い浮かべても劣情があふれ出してくる。
額の傷が疼いた。興奮に体の熱が上がると額が疼くのである。
あぁ、と鶴見は自分自身に対して嫌悪のため息をついた。江渡貝から送られてきたメッセージを眺め、鶴見は携帯にメッセージを打つ。
いつまでも返事をしないのも悪い。
「こちらこそ、今日はありがとう」
鶴見は返信をすると、テーブルの上に携帯を置いた。
そして、ソファに体を沈めるように座ると、ズボンのベルトに手をかける。ズボンのファスナーを下げ、膨らみかけた自分自身に下着の上から触れた。
きっと疲れているから、ずっと放っていたからだ、と鶴見は心の中で言い訳をする。江渡貝のことを考えないように、と鶴見はもう一度呪文を唱えるが、考えないようにすればするほど江渡貝を想ってしまう。
茶色いくりくりした髪の毛に触れて、今日のように顎先に触れる。
華奢な腕に触れれば白い肌はすぐに赤くなる。
「おにんぎょさんみたいだ」
ウイッグも外し、化粧も落とした彼には、鳥かごのようなドレスは不釣り合いだ。
未完成なその体に触れたくて、想像の江渡貝の太腿に触れた。ドレスを膨らませるパニエスカートとドロワーズが邪魔になっている。
おとぎ話に出てくるような天蓋のついたベッドなら喜ぶだろうか。想像の世界に豪華なベッドを用意し、鶴見は江渡貝をベッドに寝かせた。
鶴見は、昼間に結びなおしたヘッドドレスの紐を解く。
立てた両膝でスカートがめくれている。それに誘われるように鶴見は江渡貝の履いているタイツやパニエを脱がす。
少女のように愛らしいスカートの中で江渡貝自身は膨らみ、鶴見に触れられるのを待っている。
江渡貝は男の象徴にまで、リボンを結び、愛らしく着飾っていた。
鶴見は下着を下ろし、自身のそこに触れた。あの白く細い指に触れられるのを想像する。
自身を握る手を動かしながら、彼に握らせている様子を考えた。躊躇いがちな彼の手を鶴見自身に触れさせる。
握ってごらんと言いながら鶴見は江渡貝のそれに触れた。
え、と戸惑いながら江渡貝は鶴見のそこに触れる。
ぎこちない手の動きを思い浮かべながら鶴見はびくりと背を震わせた。
額から汗のようなものが滴り、手には白濁したものが吐いている。
射精すれば、先ほどまで燃え滾っていた妄想も一気に冷める。
押し寄せる後悔とも情けないとも言えぬ感情を抱えながらも、ティッシュを数枚掴み、足の間や手についた体液を拭き取った。水道で手を洗い流し、もう一度ソファに座る。
すると、テーブルの上の携帯が震えた。画面には江渡貝の名前が表示されている。
少し後ろめたいと思いながら、鶴見は携帯を開いた。
「また誘ってくださいね」
先ほどまでひんやりしていた足の裏が一気に熱くなる。
江渡貝は菫のようだ。
美しく咲く紫の花弁、しかし種子や根っこには毒がある。
毒のような甘く危険な恋に溺れている自覚はある。
けれども、鶴見はさっそく江渡貝に次に会えないか、と連絡をしていた。

「また誘ってくださいね」
そう連絡したのは十分ほど前のことであった。
返事はまだ来ていないよね。江渡貝は半分緊張しながらスマホの画面をのぞいた。
もう半分は、調子にのってこんな風に先生を振り回して本当は迷惑に思っているのではないかという不安が江渡貝の胸の中を苦しめていた。
緊張しながらスマホの画面を開けば、そこには「次はいつ会えそう?」という誘いの文字が並んでいる。
嬉しい、と江渡貝は胸にスマホを抱いた。それから、スンと冷静な表情に戻ると鶴見からのメッセージへの返信を打ち始める。
「いつもと同じ日曜日だったら大丈夫です。鶴見先生は?」
「私も同じだ。それじゃぁ、次の日曜日も表参道の辺りにしようか」
そして、鶴見からは「ここなんてどうかな」という言葉に続き、可愛らしいケーキのお店のアドレスが送られてきている。
「すっごく可愛いです。行きましょう、行きましょう!」
江渡貝はメッセージと共にシロクマのスタンプを押して鶴見に返事を送る。
「じゃあ時間は十二時に、表参道南口で。また、日曜日が楽しみだ」
鶴見からの言葉に江渡貝はにやにやと顔を緩める。
もう一度、鶴見とのやりとりを読み直すと、甘いすぎるものを食べた時のように江渡貝は顔にぎゅっとしわを寄せた。

次の日曜日も江渡貝は早朝から準備をしていた。
前日の夜のうちに巻いておいたウイッグを撫でる。
自分のもとの髪色に合わせたブラウンのウイッグだ。
それから、江渡貝自身で作った、ショートケーキのような色合いのジャンパースカートをクローゼットから取り出した。
裾のスイーツ模様はオリジナルプリントで作成したものだ。淡いピンクのストライプがおかしのラッピングのようで華やかで可愛らしいスカートだ。
それから、ベーシックな組み合わせになるが、オフホワイトの丸襟のブラウスを合わせる。
このブラウスはシンプルに作れる簡単な型紙のもので作っている。
ブラウスに袖を通し、ボタンを留めていく。
ドレスを身にまとい、パニエを履いて、お気に入りの白いタイツを合わせた。
鏡に映る自分自身は、まだまだ女装姿だ。
ドレッサーの前に座り、化粧品を取り出すと、江渡貝はベースメイクをすまし、アイメイクを施していく。控えめなつけまつげを付けて、紅を塗り、ウイッグをかぶる。
レースにピンクのリボンの装飾がされているヘッドドレスを最後に着けると、鏡の前にはロリィタを着た江渡貝弥作が座っていた。
鶴見先生は褒めてくれるだろうか。鶴見のことを考えるとどきりと音を立てる心臓を抑えながら江渡貝は悩まし気な顔をする。
江渡貝はふるふると頭を振り、きっ、と前を向いた。
ロリィタ美少年はお気に入りのカバンを持つと、一人暮らしの自室を後にした。

髪の毛の色はブラウンにしており、いつもよりも落ち着いた髪色をしているはずだ。
暗い髪色に変えたため、表参道で鶴見に出くわした時よりも、学校の江渡貝に近い雰囲気になっている。
江渡貝はロリィタファッションの際にはあまり電車の椅子に座ることがない。控えめにしているものの大きなスカートが隣に座る人の邪魔になってしまうからだ。
幸いなことに今日の電車はガラガラだった。江渡貝は人目を避けるようにし、すみの空いている席に座った。
最低限の荷物の入る程度の小さな鞄をのぞき、江渡貝はスマートフォンを手に取った。スマートフォンを覗いてみると、さっそく鶴見からのメッセージが届いている。
「おはよう。じつは電車のトラブルで、約束の時間に五分ほど遅れそうだ。先に待ち合わせ場所のあたりで待っていてくれるかい。ごめんね」
おや、と江渡貝は目をぱちぱちさせる。そう言われれば、鶴見の使っている路線付近でトラブルがあったらしい放送が電光掲示板に流れていた。
早く会いたいとじれったく思っていた江渡貝の心はしゅんとしてしまう。
五分なんてあっという間だもの、と自身に言い聞かせながら、大丈夫ですとメッセージを送った。

江渡貝は時間より少し早く待ち合わせ場所についていた。
やはり鶴見の姿は見当たらない。江渡貝は鶴見の登場を待ちわびるように、道行く人々を眺めてみる。ここまでくると、奇抜なファッションをしている人間は少なくない。
あまりじろじろみてくる人間もいない。
いない、はずなのだが。
中学生から高校生くらいの男の子の三人組だろうか。
江渡貝が立っている建物の二つ隣の店の前で江渡貝を見てひそひそと何か話しては意地悪そうに笑っていた。そして、そのうちの一番気の強そうな少年が江渡貝の方へと向かってきた。
「ねぇ」
馴れ馴れしい問いかけに、江渡貝は返事をせずに下を向いた。
「ねぇ、なんでふりふりなんて着ているの」
ふりふりなんて、という言葉に江渡貝は顔を真っ赤にした。その様子が気に入ったらしい、少年はもう一度口を開く。
「男のくせに、なんでそんな恰好しているんだ?」
「あ……」
江渡貝は目を大きく開いた。コンクリートの道が滲んで見える。
目を大きく開かねば涙が零れ落ちそうだった。
「変なやつだな」
突き刺すような言葉に江渡貝の大きな瞳から涙が零れ落ちた。顔を伝うことなくまっすぐに灰色のコンクリートに涙の染みができた。
何も言い返せないまま、江渡貝は震えていた。震えている江渡貝のもとへさらに誰かが近づいてくる気配がした。
「君たちはこの子のお友達かな?」
聴きなれた声に顔を上げると、そこには鶴見が少年たちと江渡貝の間入るようにして立っていた。江渡貝の瞳からは涙がひき、目には輝きが戻っていた。
「ち、ちがいます……」
背の高く、髭を蓄えた強そうな眼力の大人に尋ねられ、怯んだのだろう。少年たちはぶつぶつ言い訳をしながらそっと鶴見から距離を置き始める。
「この子に用事がないなら帰ってくれるかい?」
鶴見の気迫に押されたのだろう。少年たちはすみませんでしたと言い残し逃げるように去っていった。江渡貝は尊敬の眼差しを鶴見に向けていた。
まるで助けに来たヒーローを見ているみたいだ。
「大丈夫だったかい、江渡貝くん」
「はい……」
鶴見に手を差し伸べられれば、ほっとして再び涙がこぼれおちた。
今度は優しい、温かい涙だ。

江渡貝は鶴見の手を一度握る。
暖かな手を握る手の反対側で、零れ落ちた涙をぬぐった。
「怖かったね」
そう言うと鶴見は江渡貝の頭を撫でた。
たしかに江渡貝の手は冷えており、頬紅を塗っているものの、顔色は決して良くはなかった。けれども、すぐに助けに来てくれた鶴見が嬉しくて、こんな姿でも隣にいてくれる鶴見が嬉しくてたまらなかった。
だんだんと手のひらは温かくなってきており、顔色も戻ってきている。
「ううん、鶴見さんがすぐに来てくれたから……」
江渡貝は次の言葉を少しだけ逡巡した。先ほどまでの氷漬けにされたような感覚はすっかり消えて、今は耳の端が妙に熱い。
「鶴見さん、ヒーローみたいでした。すごく、かっこよかったです」
江渡貝は照れ隠しにスカートの裾を強く掴んで俯いた。
「ふふ、君にそう言われると照れるね。お姫様を守ったみたいな気分だ」
「お、お姫様!」
江渡貝は、口元に手を当てて目を丸くした。少年たちには馬鹿にされた格好にもかかわらず、鶴見はお姫様と呼んでくれている。
今日の服装はこれから向かうケーキ屋さんに合わせた格好である。そんな風に褒められたら嬉しくて思わずにまにまと笑みが止まらない。
「え、えへへ」
思わず零れる笑いだが、一方で鶴見は不安げに江渡貝の様子をうかがっていた。
そして、真剣な表情で切り出した。
「あんなことあった後だし、今日のお店はキャンセルにしようか?」
「え……」
鶴見は江渡貝を心配している。そのことは江渡貝でも理解はできた。でも、折角のお出かけ日和なのに。それとも、先ほどの少年たちの言葉で目が覚めて、この姿で一緒にいるのは嫌だと鶴見は思ってしまったのだろうか。
江渡貝はしゅん、と眉根を下げた。
「その、君の体調が不安だから聞いただけだよ。今の気持ちはどうかい?」
「えっと、その、もし鶴見さんが僕の服を嫌なら……」
江渡貝が話している途中で鶴見はそんなことない、と強い口調で言った。
「今日の服装は素敵だよ。髪型だって、ドレスだってお店に合わせてきてくれたんだろう? アーモンドみたいな瞳だって綺麗だし、君はどこに連れて行っても恥ずかしくないレディだと思っているよ」
「え、えっと、その僕」
かぁぁぁと真っ赤になった江渡貝は鶴見の顔を見上げた。
「お店、いきたいです。鶴見さんと美味しいもの食べたい」
江渡貝の笑顔に花が咲く。鶴見はうんうんと頷くと、江渡貝をエスコートするように一歩先を歩き始めた。

「たしか、この先の……」
あったぁ! と江渡貝はスマートフォンのカメラで店構えを写真に撮る。
「お店のケーキも可愛いけど、店構えも可愛らしいんだ」
「うんうん……かわいいです」
江渡貝は興奮しているのだろう。自然な動きで鶴見の腕に、自分の腕を絡めた。
「ひゃ、すみませんっ」
我に返ったのだろう。江渡貝はぴょんと鶴見から腕を離すと慌てて半歩距離を空けた。
鶴見は気にしなくてもいいのに、と言いたげに腕の位置をぎこちなく元の位置に戻す。
「け、ケーキ屋さん入りましょう!」
江渡貝の言葉尻にはまだ少し照れているような、動揺しているような調子が感じられた。動揺する様子を眺めながら、鶴見はケーキ屋のガラス戸を引いた。
どうぞ、と江渡貝をエスコートしながら店に入っていく。
お姫様扱いにドキドキしながらも、江渡貝は鶴見の後についていった。
鶴見が予約の名を告げると、一番奥にある窓際の席に通された。
「わ……」
白いテーブルに白い椅子、窓の外には時期によって変わる花々が咲いていた。
まるで、庭園でアフタヌーンティーでもしているように感じられる席だった。
店内もホテルのラウンジルームのように落ち着いており、外から見た印象とはまったく違っている。
シックだが、どこか可愛らしさを残しており江渡貝好みの店だった。
「素敵です、こういうお店に来てみたかったんです」
江渡貝の喜ぶ顔に、鶴見もつられて表情を緩ませる。
江渡貝の好んで着ている服装のジャンルはロリィタファッションというものである。
鶴見はそういった服装を好む子たちにも人気のある店を調べて、この店を予約したのである。
もし鶴見の目論見が外れたとしても、鶴見が来たかった店だと言えば良い。しかし、江渡貝の様子を見る限りでは、この店を選んで当たりだったようだ。
嬉しそうに辺りを見渡したりしている。それに周りにも江渡貝と同じような服装が多い。その光景を見るだけでも嬉しいらしく、江渡貝は嬉しそうにしている。
鶴見の予約していた席には「予約席」と書かれた立派そうなプレートが立ててあった。
ウエイターはそれを取ると、水の入ったグラスとおしぼりをテーブルに置いた。
そして、メニューをそれぞれに渡すと一旦席を離れた。
江渡貝はじっと穴が開くようにメニューを見つめている。
それもそのはず、ここのメニューには名前は記載されていても写真が載っていなかった。
たしかに、ショートケーキやオペラは想像がつくのだが、それ以外のケーキが想像できない。眉間にしわを寄せてメニューとにらめっこしている江渡貝に対して、鶴見は言った。
「ケーキのショーケース見に行ってみようか?」
鶴見はメニューの端に小さく書かれた「ケーキはショーケースでご覧ください」という文字を指してにこりと笑う。
「そうします」
江渡貝はほっとした表情で鶴見の後ろを歩いていく。
ケーキの入ったショーケースの前には、他にも数組ケーキを眺めている人たちがいた。
ケースの中には苺のムースや、濃厚なチョコレートのオペラ、季節のフルーツがあしらわれたケーキが並んでいる。
「あ、あれが良いです」
江渡貝はそっと鶴見の耳元で言った。
何種類ものスイーツが並ぶ中でひときわ江渡貝の目を引いたもの。
白のスポンジの上には薔薇色のムース、その上にはホイップクリームと苺やブルーベリーが乗っている。
そして一番上には三角形のチョコレートが乗っている。
「今日のドレスに合った色だね」
にや、と鶴見は江渡貝に耳打ちする。
鶴見はシンプルにオペラを選んでいた。
そういえば、と江渡貝は鶴見の服装を見た。会った時には慌ただしく鶴見の服装を気にしている余裕はなかったのだが、よく見れば、今日の鶴見の服装はブラウンのチノパンに、淡いシャツ、今は脱いでしまっているがクリーム色のジャケットを合わせている。
席に戻り、ウエイターに鶴見はオペラと江渡貝の選んだケーキを注文していた。
それから、ケーキに合う紅茶を二種類と、いつの間にかマカロンが数個追加されていた。
「鶴見さんもお洋服に合わせているんですか?」
「ん?」
「ケーキです。僕は、お洋服に合わせて選んでみたんですけど」
江渡貝からの鶴見さんは、という問いかけに対して鶴見は目を瞬かせた。
江渡貝のように何かこだわりを持って選んだわけではなく、何となく食べたいものを選んだだけだったからだ。しいて言うならばここの店はチョコレートも美味しいらしい。
「あぁ、ここはチョコレートが特に美味しいんだ。服装と合わせて選んだわけじゃないなぁ、私は」
帰りにショコラも買っていこうかなぁ、と鶴見は指先を加えて妄想を膨らませている。
「もう、鶴見さん。本当に甘いものが好きなんだから……」
江渡貝は幸せそうにためいきを吐いた。鶴見の顔をちらりと見る江渡貝の表情は桜色をしている。
鶴見も少年たちから江渡貝を守った時の表情とはまったく違う、穏やかな顔をしていた。
「江渡貝くん」
じっと鶴見を見ながら考え事をしていたらしい。いつの間にか江渡貝の目の前にはケーキが運ばれてきており、隣には飲み頃の紅茶が用意してあった。
「あ、ケーキ!」
江渡貝は愛おしそうに目の前のケーキを見つめた。
可愛らしい三段重ねのフォルム、キラキラのムースにホイップクリームのヘッドドレス。
ケーキの香りを打ち消さず、ほどよく香ってくるダージリンの香りが心地いい。
江渡貝はシルバーのフォークを持ち、ケーキを崩さないようにそっとムースの辺りをすくった。薔薇色のムースはよく見ると中にカシス色のジェリーが入っている。
ジェリーを口に含む。薔薇の香りが口の中に広がった。
ふわりふわりと薔薇が香りまるでローズガーデンにいるような気分だった。
一息つくために江渡貝は紅茶を口に含んだ。カップに口づけながら鶴見を見ると鶴見もまた、チョコレートの甘味に恍惚の表情を浮かべていた。
鶴見さん、と江渡貝は小声で鶴見を呼んだ。江渡貝は、うっとりしている鶴見にケーキの乗ったフォークを差し出して小首を傾げ尋ねた。
「こっちも食べてみます?」
「うん」
そう言って鶴見は小鳥のように江渡貝のフォークをついばんで、幸せそうな表情を浮かべていた。一方で江渡貝は出過ぎた真似をしてしまった、と顔を真っ赤にしていた。
いくら親しい仲であってもフォークで間接キスはダメだと猛省しながら鶴見の様子をうかがう。
しかし、幸せそうにケーキを味わっている様子を鑑みるとこれくらいのふれあいは何ら問題ないのかもしれない。
「江渡貝くんも食べるよね」
ずい、と目の前にチョコレートケーキの気配。ふわりと香る甘いカカオと、甘いマスクの鶴見に江渡貝はくらくらしながら口を開けた。
ふわりと甘いチョコレートの味、けれども何層にも重なったチョコレートはそれぞれの味を主張している。江渡貝は鶴見からの間接キス返しにくらくらしながらも、冷静になろうと必死に頭の中で数を数えていた。
「ふふ、ちょっと気恥ずかしいね」
鶴見はこてん、と小首を傾げて頭を少し掻いた。
「つ……」
江渡貝は普段はキリッとした態度で教壇に立つ鶴見と、今日の鶴見とのギャップに胸がざわついた。鶴見のことをかっこいいと思っていたけれど、そんな可愛らしい態度をとるなんて思いもしなかった。
江渡貝は可愛いものが好きだ。それに、鶴見のことも好きだ。
ドキドキして胸がいっぱいになってしまいそうになりながらも江渡貝は紅茶を一口、口に含んだ。鶴見のフォークで食べさせてくれたチョコレートケーキの甘味を紅茶が中和していく。
どうにも気恥ずかしくて会話がぎこちなくなってしまったが、ケーキを食べ終えた二人はマカロンを眺めてにやりと口角を上げる。甘くて、見た目も可愛くて、自宅じゃ到底作るのが困難なお菓子と言われているマカロン。
「マカロンって、可愛くて好きなんです」
「私もだ。甘いし、色々なフレーバーがあるだろ。以前自宅で作ろうとしたのだが、失敗してしまったよ」
「結構コツがいるって言いますもんね」
話ながら自然と二人の手はマカロンに伸びていく。
二人とも、苺とピスタチオのマカロンを一つずつ手に持つとはくっと一口齧った。
サクサクした外表のあっさりした甘味に、ねっとりしたソースが甘酸っぱい。
甘さに心奪われながらも食べ終えると二人はほぼ同時に紅茶を飲んでいた。
「美味しい」
「うん、これは……テイクアウトも見ていこうかな」
「ふふ、鶴見さん、もうテイクアウトのこと考えているんです?」
江渡貝は真剣な顔でケーキのメニューを見直す鶴見を見て、口元に手をやった。
「家で作ってもいいのだが、やはり専門家の作ったケーキは美味しいし……」
「お家でお菓子を作るんですか?」
江渡貝は目をぱちくりさせると鶴見の顔をじっと見た。
鶴見先生の作るお菓子は美味しいのだろうな。江渡貝は想像しながら、鶴見の自宅でケーキを振舞われる自分を想像してしまう。
「うん。週末とかにインターネットで調べたレシピとかで」
そして、鶴見は言葉を続ける。
「そうだ、もしよければ、今度家に来て食べてみてくれないかな」
いつも多く作ってしまって余ってしまうんだ。鶴見は一言言い訳を付け足した。
「い、良いんですか!」
「うん」
にこりと笑う鶴見と、興奮気味の江渡貝。
次のデート先は鶴見の自宅だ。
「もしよければ、土曜日に来て泊まって行くかい?」
「ひぇ……?」
お泊りですか、と江渡貝は繰り返す。
「ケーキを一緒に作ったりしたら楽しいと思ってね。それとも勉強もあるし忙しいかな?」
鶴見の問いかけに江渡貝は首が取れそうな勢いで真横にぶんぶん振りながら返事をする。
「ぜ、ぜんぜん! 忙しくありません! 泊まる準備、して、き、ま、す!」
変なイントネーションで答える江渡貝の顔は真っ赤になっている。
「たしか、我が家は江渡貝くんの家から電車で一駅だったはず。ちょっと遠めのご近所さんだ」
「はい、たしか先生のお家のそばに公園がありますよね」
さらりと答える江渡貝に対して、鶴見は苦笑いをする。こほんと咳をすると鶴見は話を続けた。
「じゃあ、その公園で待ち合わせにしようか」
鶴見がここまで詳細に待ち合わせ場所を決めているのには理由がある。
やはり教師と生徒という関係上、プライベートで会っているのはあまりおおやけにしたくないからだった。江渡貝もそれを理解した上でうんうんと頷く。
「公園ですね」
二人は次のデートの約束を取り付けると、電車に乗り互いの帰路に着いた。
甘い。甘い、甘い気持ちを抱えて一週間過ごすのか。
江渡貝は来週に思いを馳せながら帰路に着くのであった。

待ちに待った土曜日が来た。
金曜日の江渡貝の様子にいたっては、授業なんて上の空で、鶴見もいつもよりそわそわしていた。そんな二人の様子を見ても他人は特に気にしている様子はなく、いつも通りに週末となった。
江渡貝は家に帰ると、平日に準備していたお泊りセットの中を確認する。
鶴見先生とはまだ付き合っていない。ただ、鶴見先生の厚意で泊まらせてくれるんだ。
そう心の中で呟きながらも、家から離れたドラッグストアで購入したコンドームの箱を、透けない紙袋に入れて鞄の奥にしまい込む。
江渡貝にはまだ、そういう知識はあまりない。ましてや男同士となればなおさらである。けれども、最低限もしも、もしも……鶴見とそういうことになった場合には使うかもしれない。耳まで真っ赤にしながら江渡貝は鞄のファスナーを閉じた。
土曜日はお昼頃に鶴見と公園で待ち合わせとなった。
さすがにこの辺りでは同級生も住んでいる。ひらひらふりふりの人物と歩いていれば目立ってしまうし、その人物と歩いているのが教師と分かってしまえば鶴見に迷惑をかけてしまうだろう。
江渡貝はロリイタ服を封印し、シンプルなズボンにワイシャツを合わせた服装に決めた。
家の中ではふりふりは許されるはずだ、と江渡貝は愛らしく胸元がハート型の赤いギンガムチェックのエプロンは持っていくことにした。江渡貝が普段料理をする際に使っており、多少使用感があるが、この方が動きやすいだろう。
鶴見の家で二人きり。
江渡貝はそう考えると胸がきゅうと締め付けられた。
二人きりであるならば「好き」とも伝えても許されるかもしれない。
緊張なのか、恋のときめきなのか、どちらなのか分からないまま江渡貝は部屋に置いているぬいぐるみの白くまくんを抱きしめる。早く明日になって欲しい。でも、ずっとこのまま楽しみな気持ちでいてもいい。振られちゃうかもしれないし、と江渡貝はベッドをゴロゴロしながらうんうんと唸る。江渡貝は「どうしよう」と呟くと真っ赤な顔を白くまに埋めた。
携帯のアラームをかけ、江渡貝はドキドキしたままベッドに入る。
鶴見の家に泊まるなんて、表参道を歩いているあの人を見たときには想像もしなかった展開だ。江渡貝から鶴見への恋心は打ち明けてもいいだろうか。
打ち明けないでただ過ごすべきだろうか。江渡貝は毛布の中で悶々と考えながら眠りについた。

翌朝。江渡貝はアラームが鳴る前に目を覚ました。
そうだ、今日は鶴見の家に行く日だったと、目覚ましを解除し、時計に表示されている日付を見ながら口元を緩ませる。
いつものように、ベッドから起き上がった江渡貝は、朝食の準備を行った。
食パンをトースターに放り込み、お湯を沸かし、マグカップにインスタントコーヒーをスプーンひとさじ入れておく。それから、江渡貝は洗面所へ向かった。
裸足のままで、部屋をぺとぺと歩きながら、鏡をのぞく。
江渡貝はひげの生えない体質だった。念のため輪郭をなぞり、ひげの様子を確認する。髭剃りはせずに顔を洗う。今日は化粧をしないが、スキンケアは忘れずに行い、日焼け止めを塗った。
ふわりと小麦の焼けるにおいがした。匂いの方向に耳をすませば、トースターでパンの跳ねる音と、電気ケトルの湯の沸く音が聴こえてきた。
江渡貝は裸足のまま食器棚から皿を取り出し、トースターからパンを回収するとテーブルに向かった。
いただきます、と誰に言うでもなく一人で呟く。
江渡貝はまだ起き抜けで寝ぐせのついた顔のまま、パンをもしゅもしゅと食べ、コーヒーを飲んだ。その様子はまるで草食動物である。
軽めの朝食を終えると江渡貝は折り畳みの鏡を開き、手近に置いてあるブラシで髪を梳かした。江渡貝の髪は柔らかいがクセがつきやすい。
ブラシで丁寧に梳かしても髪は左右に跳ねたままだった。
これに関しては下手に直そうものならポマードを使って固めるくらいの気概が必要なため、随分前から江渡貝は諦めている。
ふわふわと落ち着きのない髪を手櫛で整え、江渡貝はテレビをつけた。
ちょうど天気予報が映し出されており、今日から明日にかけては天気が良く過ごしやすい気温になるらしい。
昨晩用意していた、シンプルな白い襟付きのシャツに手を通す。それだけではまだ肌寒いため、黄色いベストを重ねた。ボトムスにはスカートではなく、シンプルな黒色のズボンをはく。
外はまだ肌寒い。薄手のジャケットと鞄をまとめて置き、江渡貝はしばらくの間、鶴見と会ったら何を話そうかなどと考えていた。

考え事をしているうちに、鶴見との待ち合わせの時間は近づいてきていた。江渡貝はジャケットをはおり、お泊りセットの入ったショルダーバッグを肩にかける。
部屋の中を見回し、問題ないことを確認する。
最後に江渡貝は部屋の鍵をかけ、駅へと向かった。
電車から降りれば、今朝の天気予報の通り、風が心地よく空は青い。
自然と早くなる歩調と高鳴る胸の音。
江渡貝はお泊り会が楽しみで仕方ないようで、その顔は緩んで笑顔になっている。
早歩きになってしまったため、待ち合わせ時間よりもやや早く到着してしまった。
江渡貝は公園に入ってすぐにあるベンチに荷物を置き、江渡貝自身もベンチに腰掛けた。
緊張しながら、時計を見る。約束の時間より五分以上早く着いてしまったようだ。
ふぅと息を吐いて、ぼんやり遠くの景色を眺めていると、遠くの方から背の高い細見の人が近づいてくるのが目に入った。
「鶴見さん」
江渡貝は小声で言うと、鞄を肩にかけ、ベンチから立ち上がる。
「おまたせ」
「ふふ、鶴見さん、まだ約束の時間よりずいぶん早いです」
「江渡貝くんこそ」
「た……楽しみで早くきちゃったんです」
江渡貝は少々恥ずかしい気持ちになりながらもそう答えた。公園には二人以外の人はいない。
ここは住宅地の中にある小さな公園だった。ここ以外にももう少し大きな公園があるため、この公園に人が来ることは少ない。照れくさい会話を終えると、鶴見は「さぁ、行こうか」と公園から自宅を目指し歩き始めた。
江渡貝は鶴見の背中を追う。隣を歩いていいのかな、と早足で鶴見の隣を歩いた。
「今日はいつもと違う雰囲気だね」
「住宅街で目立ったら僕も先生も困るじゃないですか」
「それもそうか。でも、こういう服装もしっくりくるし、やっぱり江渡貝くんは」
そこまで言いかけると鶴見は一度言葉を切った。そして取って付けたように続ける。
「若いからなんでも似合うね」
一瞬感じた気まずさもあったが、褒めてもらったことに変わりはない。江渡貝は嬉しそうにありがとうございますと言うと鶴見の顔を見上げる。
「鶴見さん……」
江渡貝が見上げた鶴見は珍しく顔を赤くして照れくさそうにしていた。
「すまん、勉強面以外で人を褒め慣れていないからちょっと照れるな」
そう言うと、鶴見はあごひげのあたりをさすって江渡貝から目を逸らした。
それから、少し歩き進めていくと、小綺麗なマンションが見えてきた。
「こっち、こっち、ここに住んでいるんだ」
鶴見はそのままマンションへと向かって行く。
自動ドアの先には暗証番号を求めるインターフォンが置いてある。
ここの住人の一人である鶴見は、ポケットから鍵を取り出すと、インターフォンの鍵穴にそれをかざした。
「大きなマンション……僕の家とは大違いだ」
「はは、この歳でスイーツ趣味を貫いていたら独身貴族になってしまったよ」
そのお陰でこんな贅沢な場所に住んでいるんだけどね、と付け足し、鶴見は寂し気に笑った。鶴見は独身なのか、と江渡貝はちら、と鶴見の顔を見た。
整った顔立ちをしており、優しくて頭も良い。教師もしているしこんなに素敵な人なら恋人がいないはずがない。
「そういえば」
江渡貝の声は少し震えている。
「鶴見さんって、恋人とかはいないんですか」
江渡貝はショルダーバッグのひもをぎゅっと掴んでいた。
江渡貝が聞き終えると同時にエレベーターが到着する。
「恋人、ね。いないよ」
鶴見は十階のボタンを押しながら静かに答えた。
「そうなんですか」
江渡貝の声の震えは収まっており、返事は落ち着いていた。
「江渡貝くんこそ、どうなの」
予想外の質問に江渡貝は再びバッグの肩ひもを握りしめて小さく跳ねた。
「え、コイビトッ? いない、いないです! いるわけないです」
「意外だな。こんなに勉強もできて、それに……まぁ、なんでもない」
鶴見は言葉を濁した。しかし、江渡貝を見る瞳が柔らかく、愛おしい者を見る眼を向けていた。
二人の間の気まずい空気を換気するように、エレベーターは十階に到着し扉を開いた。
こっち、と指さし、鶴見はポケットから取り出した鍵で部屋のドアを開ける。
玄関が開く。ついに江渡貝は鶴見の家に入っていた。
玄関に入ってすぐ、他人の家のにおいがした。
玄関マットにはチョコンと新品らしいスリッパと、使用感のあるスリッパが置かれていた。
「スリッパ使うなら、そっちの……ピンクのスリッパでいいかな?」
「もちろん」
「よかった」
今日に限ってはフリフリカワイイ服装をしていないが、普段はパステルピンクやきらきらしたものが大好きな江渡貝である。やはり淡いピンク色やレースのついたアイテムには惹かれてしまう。
一方、鶴見のスリッパはグレーでシンプルなものだった。
鶴見らしい色合いでたかがスリッパといえども似合うなぁと江渡貝は感心してしまう。
「荷物重くない?」
靴を脱ぎ、スリッパへ履き替えようとする江渡貝に対して鶴見は手を差し出した。こんな風に扱われて、江渡貝は思わず舞い上がってしまう。
「だ、ダイジョブです」
照れた様子で江渡貝は鶴見の部屋へあがった。
「わ、鶴見さんのお部屋」
「片づけはしておいたけど、汚いところがあったらごめんね」
「い、いえ、そんなとんでもない!」

鶴見の部屋は、ダイニングとキッチンのほかに小さな部屋が二部屋があった。物件選びの際に一部屋あれば十分だと思いながら探していたのだが良い条件の家がなかったらしい。
それでも、陽射しがほどよく降り注ぎ、洗濯物も乾きやすい。住み心地も良いし、悪くないと鶴見は語った。
今はあまりの一部屋は備蓄の日用品を置いていたらしいが、江渡貝が泊まれるように、と布団を敷いてある。
「荷物はここの部屋に置いていてもいいし、リビングに置いていてもいいよ」
鶴見に言われ江渡貝はとりあえず自分の寝泊りさせてもらう予定の部屋に荷物を置いた。しかし、そこで江渡貝は鞄の奥深くに入れてきたコンドームの存在を思い出す。
やっぱり、これは持ってこなくてよかったかなと、取り出した袋を眺めながら考えていた。すると、「えどがいくぅん」と鶴見が部屋にひょっこり顔をだした。
江渡貝は慌てて紙袋を鞄の中に隠す。
しかし、江渡貝は気付いていないが、慌てて隠した際に紙袋が開いてしまい、コンドームのパッケージが鶴見には見えていた。だが、鶴見は落ち着いた様子で「お昼ご飯はね、もう準備してあるんだけど……。落ち着いたらリビングにおいで」と言うと江渡貝の部屋を出た。
そして数歩歩いて鶴見は口元を抑えて、ふぅと自分自身を落ち着かせるように息を吐いた。何も見なかったことにしておこうと、リビングのテーブルに昼食の準備を始めた。
お茶用の湯を沸かしていると、ぱたぱたと江渡貝の足音が聴こえてきた。
「つるみさーん」
リビングに来た江渡貝は子犬のような目で鶴見を見上げていた。
「え、えへへ、何か僕にできる事あります?」
「うーん、そうだな」
できる事、といわれても台所事情は分からないだろう。鶴見は茶葉を入れて用意していたポットと、電気ケトルを指さして、お茶の準備をお願いできる? と言った。
それだけのことだが江渡貝は嬉しそうに笑うとるんるんとお茶の準備を進める。
「あぁ、これは……ダージリンのファーストフラッシュですね」
「よくわかったね」
鶴見は思わず、江渡貝の頭を撫でていた。
「鶴見さん」
江渡貝の声にはっとなり、鶴見は慌てて手を避けた。
江渡貝はポットにお湯を入れながら俯いた。
湯気のせいだろうか。江渡貝の頬が薄っすら赤みがかっているように見えた。
ダージリンのファーストフラッシュは食事にも違和感なく合う紅茶と言われている。季節を感じさせる春摘みのお茶なのだ。日本人にも人気が高く、緑茶に近い味ともいわれている。作られた農園により、その味には違いがあるため、一概に緑茶のようだとは言えないのだが、紅茶好きには人気の高いものであることには変わりない。
「食事に合うから、好きです」
江渡貝の言葉に鶴見も相槌を打つ。
「もうちょっとでできるから待っていてね」
鶴見に言われてキッチンの方へ意識を向ければ、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
卵とトマト、それに玉ねぎ、ベーコンのにおいだ。
「簡単で申し訳ないけど」
そう言って鶴見が差し出したのはオムライスだった。ソースもケチャップではなく、デミグラスソースのようなものがかかっている。
「わぁ、レストランのオムライスみたいだ」
江渡貝は目をピカピカ輝かせて呟いた。美味しいお茶に、鶴見の作ったオムライス。
オムライスは一口食べてみれば、ふわりと軽い触感の卵は控えめな甘さで、中のご飯はトマトなどで味付けしてあるのだろう。ソースも掛けて味を変えてみれば、食べ応えのあるオムライスの味がスプーンを口に運ぶ手を進ませる。
「鶴見さん、お、おいしいです!」
江渡貝は薄橙色の米粒を口元につけたまま鶴見に言った。
ごくり、と紅茶を飲んでから鶴見は面白そうに笑うと、自分自身の口元を指さしてトントンと叩いた。何かついているよ、という合図なのだが、気付いていない江渡貝は首を傾げて鶴見を見た。
「ここにおべんとうが付いているよ」
しょうがないな、と向い合せの鶴見はテーブルに身を乗り出し江渡貝の口元の米粒を取った。ようやく米粒に気付いたらしい江渡貝は目を瞬かせている。
「す、すみま……鶴見さん?」
江渡貝は鶴見の行動にわぁっと声をあげた。鶴見が江渡貝の口元についていた米粒を食べてしまったからだ。しかし、鶴見はそんなことは一切気にしていないらしい。
江渡貝はそれ以上の言及もせず、気恥ずかしいままランチタイムを終えた。

食事を終えると鶴見は二人分の食器を下げてようとした。
「待って、僕のぶんは自分で運びますから……!」
服装は確かに少年のそれなのだが、もともとの中性的な顔立ちが少女のようだった。鶴見は客人だから座っていなさいと伝えるべきだったのだが、家事をする姿が可愛らしく思えてそのまま江渡貝に手伝わせてしまった。
「ありがとう、助かるよ」
「いいえ、こんなに美味しいごはんを食べて、何かできることはさせてください。それにいつも鶴見さんにはごちそうになってばかりですし」
遠慮がちに江渡貝は答える。
恐らく、皿洗いをしようとしている江渡貝だが、鶴見が普段行っている後片付けは食器や調理器具を食洗器に入れるだけであった。うーん、と唸ってから鶴見は恥ずかしそうに口を開く。
少ない食器量といえども、面倒くさがって食洗器に任せているのは少々言い出しにくかったからだ。もっとも、平日は働いており、休日もゆっくり自分の時間を作るために一躍買っているのだから、悪いことではないのだが。
「でも我が家は食洗器だからなぁ……じゃぁ食器を食洗器に入れるのを一緒にしようか」
「はい」
一緒に、という言葉に江渡貝は胸がじんと熱くなるのを感じた。まるで家族の距離感のようで心地良い。これから今夜一晩鶴見と一緒に過ごすけれど、もっと一緒にいたい。江渡貝は目の奥がじわりと熱くなるのを感じていた。
「あ、そうだ、江渡貝くん。三時頃になったらケーキを食べようと思っているんだけど」
「も、もちろんです! ケーキ作りってしたことないんですよね。どういう感じでやるんですか?」
鶴見は江渡貝から目を逸らすと、頬をぽりぽりと人差し指でかく。
「実は、気合を入れすぎてほとんど作ってしまって……」
鶴見の言葉に、江渡貝は鶴見の部屋に入った瞬間にほんのり感じた甘いかおりを思い出した。あれは鶴見がお菓子を作った後の香りだったのだ。
「食べる直前に最後の仕上げをしたらすぐに食べられると思うんだ」
鶴見の言葉に江渡貝はぷーっと噴出した。申し訳なさそうに白状する鶴見の姿がいつもより小さく見えて可愛らしいと、江渡貝は思った。
「ふふ、鶴見さん、だからお部屋に入った時から甘い香りがしていたんですね」
「うん。一緒に作る予定だったのにごめんね」
それから鶴見は考え事をするように一呼吸置いた。

「あと……その、生徒を家に呼ぶのは初めてで、何を話したらいいのか」
生徒、と呼ばれ江渡貝の心は軋んだ音を立てた。
「いつも表参道で話しているみたいに話せばいいんじゃないですか」
少し、江渡貝は鶴見に距離を取った話し方をしてしまう。まるで学校内で話をしている時のような距離だ。江渡貝は今、こうして部屋に呼んでもらい、丁寧に扱ってもらっているのは特別なことだと思っていた。
だから、鶴見から出た「生徒」という言葉が寂しくてたまらなかった。江渡貝は思わず鶴見の袖を引っ張った。
「鶴見さんにとって、僕って今、生徒なんですか?」
江渡貝はついにそれを聞いてしまった。けれども今なら友愛や兄弟みたいだ、と誤魔化すことはできる。
「そ、それは……」
鶴見は目を逸らし、口ごもった。鶴見自身も江渡貝に対して生徒以上の感情を抱いているからだ。生徒以上、友愛以上。お互いに恋愛感情を抱いているが、お互いの感情を把握していない、不安定な状況だった。
江渡貝は鶴見の袖を掴んだまま、口を開いた。
「僕、鶴見さんのこと好きです」
江渡貝は強く鋭い視線で鶴見を睨むようにして言った。鶴見はその強い目力に気おされながら、返事をする。
「私も江渡貝くんのことを好きだよ」
好き、と言うだけならば恋ではない。大人のずるさを利用して鶴見は教師らしく答えた。しかし、江渡貝は本当の気持ちを伝えたくて、この好きを恋心だと伝えたくて震える声で言葉を続ける。
「僕の好きは、恋なんです。男が男を好きになるなんて、気持ち悪いって思われちゃうかもしれないけど……」
江渡貝の瞳から一筋涙が流れ落ちた。
「僕は、鶴見さんを恋愛対象で好きです」
江渡貝は鶴見の袖を離し、手の甲で零れた涙をぬぐっていた。
「江渡貝くん」
名を呼ばれると同時に江渡貝は自分の体温に、鶴見の体温を感じていた。鶴見は江渡貝の肩を抱き寄せていた。
「私もね、江渡貝くんを同じように好きだよ。教師という立場上言い出せなかった。年齢差だってある。私みたいなおじさんでもいいのかい?」
背後から抱きしめられたまま尋ねられ、江渡貝は何が起こっているのか理解できないままうんうん、と頷いた。
「好きだよ」という鶴見の言葉にようやく事態を理解した江渡貝は嬉しそうに微笑んだ。
「はい……好き、好きです。僕、鶴見さんをすき」
江渡貝と鶴見は身を寄せ合ったまましばらくお互いの体温を感じ合っていた。
いつまでも抱きしめ合っているのも少々姿勢が疲れるな、と二人は体を離す。
それから鶴見は思い出したように、江渡貝に一つ、約束事を離す。
「まだ、学生だし、私は教師だし、他には言っちゃだめだからね」
そう、二人は同じ学校の教師と生徒だ。もし交際関係がばれてしまったら、鶴見は教師をくびになるかもしれない。
真剣な鶴見に対して、江渡貝はいたずらっ子のような顔でツンと答えた。
「わかっています。僕、秘密も変装も得意ですから」
たしかに表参道で見かけたときのまったく違う雰囲気は変装といっても過言ではない。
「まったく、キミは……」
鶴見は江渡貝の顔まで少し背を屈ませる。
「つ……」
江渡貝は驚いたまま鶴見を見つめていた。至近距離でしばらく見つめ合っている。
江渡貝のうるんだ瞳を見て、鶴見は江渡貝の頬に手を当てた。
拒まれないことを確認して、そっと江渡貝の唇に自分の唇を触れさせる。
触れるだけの口づけをすると、鶴見は江渡貝を離す。
蕩けた顔の江渡貝が可愛くて仕方ない。離したくない気持ちを抑え、鶴見は江渡貝から離れてリビングに向かう。
江渡貝が喜ぶだろうと思い、ボードゲームや映画を準備していたのだ。
「江渡貝くん、こっちで映画とかみる?」
鶴見はソファに座って江渡貝を呼んだ。
すると江渡貝は鶴見のすぐ隣にぴたりとくっついて、こくこくと可愛らしく頷いた。

鶴見が今日、江渡貝と観ようと選んだものは去年話題になっていたアニメ映画だった。
恋愛要素は薄いが、映像も良く評判も良い作品だ。
「わ、この映画観たかったんです」
江渡貝は映画のタイトルを見た瞬間うれしそうに両手を合わせていた。
「私も観てみたかったから、楽しみだね」
楽しみだね、と言いながらも実は鶴見自身は先に映画の内容をチェックしていた。
恋愛要素は薄いとインターネット上のレビューに書いてあってもあまりにもセクシーな場面が紛れていたら、気まずい空気になるのではないかと危惧していたからだ。だが、作中、手を繋ぐ程度の描写のみで、江渡貝と一緒に観ても安心だろうと判断し、これにしたのだ。
アニメが始まる前に鶴見は冷蔵庫からお茶のはいったグラスを二つ運んできた。
それから、映画のおともにポテトチップスと、甘党鶴見用のチョコラングドシャを少々。
鶴見はソファに座りリモコンを操作する。
「じゃあ観ようか」
「えへへ」
映画が始まってすぐ、江渡貝はじっとテレビの画面を見つめていた。
星空を見上げる場面では、江渡貝のキラキラした瞳にその星空が映り込んでいた。
ラストシーンに向かい物語は加速していく。
きっとこの先の別れは来る。そう予測させるような伏線がいくつも張り巡らされており、観るものはその伏線を回収する様子をただ見守ることしかできない。
二人の恋は成就する手前で別れの時間が来てしまった。
「……っ」
江渡貝の小さな声に気付き、鶴見はそっと目線をそちらに向けた。
茶色い瞳からは涙が流れている。
しかし、場面が変わり数年後の世界に話は変わる。
先ほどまでの、薄暗い世界はからっとしており、晴れ晴れしていた。
江渡貝は急な場面展開にきょとんとしている。
次に出かかっていた涙を拭い、画面の中で何が起こるのかと真剣な顔をしている。
するとそこには、数年後に運命的に恋人関係になれた二人の姿が映し出されていた。
ほっとした顔の江渡貝をみて鶴見も安堵の溜息を吐いた。
エンドロールが静かに流れている。幸せそうな江渡貝の様子は見ていて安心した。
「面白かったね」
「はい!」
「でも、鶴見さん。ちらちら僕を見ていませんでした?」
「見てないよぉ」
「だって、なんか……もう、いいですッ!」
鶴見に見つめられていたのは事実だろう、と江渡貝は考えている。

しかし、よく考えればそれは結構照れくさい出来事なわけであり、江渡貝は急に恥ずかしくなり話題をそこで打ち切るのであった。

「あぁ、そうだ。そろそろお菓子の時間にしようか」
鶴見はソファから立ち上がるとそう言った。
江渡貝も鶴見の後ろを追って、ぱたぱたとついて歩く。
丁寧に片付けられているキッチンに入れば、大きな皿にふんわりしたケーキが乗っていた。ふわりとほどよく膨らんだ、アールグレイの香りのするシフォンケーキだ。
「シフォンケーキ! 鶴見さんが作ったんですか?」
「うん」
すごい、と江渡貝は鼻息を荒げた。
マカロンなどと比べれば難易度は低いが、シフォンケーキもメレンゲを泡立て、温度調整をし、大きな気泡が入らぬように注意しながら作らなければならない。少々手間のかかるお菓子なのである。
「うまくできているといいんだけど」
そう言いながら鶴見はシフォンケーキに包丁を入れて、小皿に取り分けた。
中はふわりと綺麗に膨らんでおり、きめ細かい気泡が見える。江渡貝は思わず唾を飲み込み切り分けられていくケーキを覗き込んでいた。
「ケーキを先に運んでもらっても良いかな?」
「はい!」
「お茶もアールグレイでいいかな~」
「はい!」
鶴見はケーキの皿を並べて、フォークを二つ並べる。
ペアで並べられていくカトラリーを見て、恋人らしいな、と江渡貝は一人でにやにやしてしまう。
「シフォンケーキ好きなの?」
「え?」
「ん、嬉しそうだったから」
にやけたままの江渡貝の向かいに鶴見は座る。隣り合わせに座れるようにしておけばよかったと思いながらもティーポットとティーカップ、もといマグカップを二つテーブルに置いた。
えへへ、と江渡貝は曖昧に笑うと答えを濁した。鶴見さんと恋人になれるなんて、それが嬉しくて浮かれているなんて恥ずかしいしかっこ悪くて言えない。
江渡貝は思春期男子らしい考えも持ち合わせているロリイタ系男子高校生であった。
なんだか誤魔化されているような気がするな、と思いながらも鶴見も江渡貝の向かいに座る。
紅茶を注ぎ、二人目を合わせるのを合図にケーキを一口食べた。
シフォンケーキはふんわりと空気を含み膨らんでいて、香り高い茶葉を選んだのだろう。
柑橘香るアールグレイの香りが口いっぱいに広がった。
控えめな甘さだけれども、心地いい。ほんのり卵の存在も感じさせて優しい気持ちになる味だ。一口ごくりと飲み込むと、江渡貝は頬をおさえた。
「鶴見さん……これ、すっごく美味しい」
人は本当に美味しいものを食べたとき、頬は落ちないものの頬を押さえてしまうのかもしれない。江渡貝はお世辞ではなく続けた。
「あの、これ、今まで鶴見さんと食べたケーキの中で一番かもしれません。甘くって、優しくって、鶴見さんに大好きって言いたくなる……」
「え、えどがいくん」
鶴見は褒め殺しにされ、もう恥ずかしいからやめてくれ、と両手で顔を覆った。
「あ、あ、僕ったら……!」
しかし、興奮気味の江渡貝は「でもやっぱ鶴見さん大好きです!」と言いもう一口ケーキを食べる。
にこにこと自分の作ったケーキを食べてくれる江渡貝に鶴見は嬉しくて仕方ない。それに加えとどめの一言「鶴見さん大好き」である。
自分で作ったケーキの味がよく分からないまま鶴見はぼんやりと江渡貝のことを見つめてしまう。
「鶴見さん……」
すると恥ずかしそうに江渡貝は鶴見を呼んでいた。
「は、はい? なんでしょう」
突然現実に引き戻された鶴見は思わず敬語で返事をする。
「あの……おかわり、しても良いですか」
甘党を極めお菓子作りにまで手を出した鶴見には嬉しすぎる言葉であった。
「うん、持ってくるから待ってて」
「一緒にいきますっ!」
今度はぼうっとせずにおかわりをする江渡貝と談笑しながら鶴見もケーキを食べる。
浮かれているのはお互い様なのかもしれない。鶴見は江渡貝の耳が真っ赤になっているのに気が付いた。江渡貝をかわいい、と思っている鶴見の耳元も赤みを帯びている。
ようやく両想いを知った二人の甘いティータイムはのんびりと過ぎていく。
気が付けば、窓から見える空は薄暗くなっていた。
「あぁ、もうこんな時間だ」
「そうですね、今日もあっという間に一日が終わっちゃいました」
くすくす笑う江渡貝を穏やかな気持ちで眺めていた鶴見はひとつ重大なことに気が付いた。
「あ……夕食の準備を忘れていた!」
目を真ん丸にして叫ぶ鶴見に対して、そんなにそこは大事なところだったのか、と江渡貝はぎょっとする。
「今日は江渡貝くんの胃袋を掴みたかったの」
はぁ、と拗ねるように鶴見は言った。しかし、江渡貝としては先ほどのケーキで十分に鶴見に胃袋を掴まれている。これ以上何を掴むんですかと、江渡貝はあきれたように言う。そして鶴見をフォローするように言葉を続けた。
「それなら、そこに見えるお弁当屋さんのお弁当にしません?」
「うん」
まだ少し拗ねた子供のような顔をしているが、鶴見はしぶしぶ承諾した。
「じゃぁ、上着とってきます」
「うーん、待って。私一人で行った方が安全かもしれないな。時間帯もちょうど夕食時だし、もしかしたら知人に会うかもしれん」
「そっか……じゃあせめて僕だけで」
「私のマンションだし、もしもここに出入りしているのを見られたら?」
ここは高校の近所でもある。もしもここの住人でもない江渡貝が出入りしているのを他の保護者や生徒に見つかれば恐ろしいことになりかねない。
「そうですよね、わかりました。えっと、じゃぁ僕はお留守番しています」
明るく答えると、鶴見は表情を和らげ、スマートフォンの画面を江渡貝に見せた。弁当屋のメニューが載っているようだ。
「メニューはこんな感じみたいだけれど、どれにしようか」
きょろきょろと視線を彷徨わせた江渡貝はハンバーグ弁当を指さした。
「ハンバーグのにします」
「了解。じゃぁ、少しの間、お留守番よろしく」
鶴見はジャケットを着ると颯爽と玄関を出て行った。
「鶴見さん、早く帰ってこないかな……」
そう言いながらも江渡貝はあることに興味津々だった。
それは鶴見の持ち物だった。リビングにもたくさん本が並んでいるけれど、じっくりは見てはいない。もしかしたらえっちな本もあるのではないか。

江渡貝は誰かがいるわけでもないのに抜き足差し足で本棚に近づいた。すると早速表紙をひっくり返しておいてある本を見つけてしまう。
そっとそれを抜き出して、江渡貝は慎重に表紙をめくる。
そこに書いてあったのは男同士で肌を触れ合わせる方法について書かれた指南本であった。その他にも本が並んでいるが、それ以外は料理の本や勉強に関する本だ。
だが、その中でも江渡貝が気になったのは「相手を気持ちよくさせる」というフレーズが書いてあった本だった。内容は気になるが、鶴見が帰ってきてしまい勝手に本棚を見ているのがばれてしまったら困る。江渡貝はドキドキしたまま、本を元の位置に戻した。
そして、鶴見が帰ってくる前にソファに座ってスマートフォンを眺める。
今日までの鶴見とのやり取りを見返してはドキドキし、帰ってくる彼を思えばドキドキした。
がちゃ、と音がする。
扉の開閉音の後にただいま、と鶴見の声がした。深く耳に気持ちいい声だ。
「ちょっとお店が混んでいて、時間かかってしまった」
そう言っている鶴見は二つ袋をぶら下げている。
「そっちの袋は……」
江渡貝の質問に対し、鶴見は「文房具」とだけ答えた。
ジャケット脱いでくるから、とお弁当の入った袋だけ置いていくと鶴見は自室へと戻っていった。
先生をやっていると文房具って必要だもんな、と江渡貝は納得しながら、ふわりふわり食欲を誘うにおいを発している弁当箱をじっと見る。
人間の性欲、睡眠欲、食欲のうちの食欲が激しく刺激されている状態の江渡貝は溢れんばかりの唾液を飲み込みながら鶴見を待っていた。
数分もしないうちに鶴見はリビングに戻り江渡貝の方へ向かってきた。弁当の入った袋を持ち、テーブルへ向かう。
「こっちは江渡貝くん、こっちは私の」
ふんふん上機嫌に弁当箱を置く鶴見を江渡貝は頬杖ついて見つめていた。
「鶴見さんって時々様子が可愛いですよね」
うふふ、と江渡貝は笑って首をこてんと横に倒した。
「そうかなぁ……」
釈然としない表情で鶴見は「君のほうが可愛いに程近いよ」と呟く。
可愛いと言われて悪い気はしないが、だんだん恥ずかしくなってくる。気恥ずかしさを振り払うように江渡貝は頭を振った。
「そ、それよりも……お弁当冷めてしまいますっ」
江渡貝はいただきますと続けると、弁当箱を開けた。
ほくほくの肉厚なハンバーグが入った弁当だ。小さな人参や、ミニサラダが添えられており、視覚情報だけでも美味しさが伝わってくる。
「私も、いただきます」
そう言って迎え側の鶴見も弁当箱を開いた。中身は江渡貝と同じハンバーグ弁当だ。
「同じですね」
「うん、同じだ」
二人は箸を持つと、くすくす笑いながら弁当を食べ始めた。出来立てのハンバーグだ。分厚いハンバーグを箸で割れば、じゅわっと肉汁が染み出てきた。肉汁はハンバーグの下の白米に染みていく。
江渡貝はまず、ハンバーグを食べた。
熱々の蒸気が口の中に広がる。はふはふとしながら味わえば、ほのかにクミンや香辛料の香りが口の中に広がった。それから、肉汁と、ハンバーグのソースがしみ込んだ白米を箸ですくいとる。
白米だけでもきっと美味しいのだろう。甘い米に、肉汁のコク、そしてハンバーグソースに使われている甘い玉ねぎの味がしみ込んでいる。
「お、美味しい……」
江渡貝はそうつぶやくと、ミニサラダや人参も食べてみる。少々味の濃いハンバーグだからこそ、シンプルな白米、控えめな甘さの人参やさっぱりしたミニサラダが合っている。
「これは……癖になるな。うちの近所にこんなに美味いところがあったとは」
うむ、と目を瞑り味わう鶴見を江渡貝は眺める。
「今日は食べてばっかりで、太っちゃったらどうしよう」
「大丈夫じゃないかな。むしろ江渡貝くんはやせぽっちだから私からすれば心配なんだが」
「でも……お洋服が入らなくなったら僕、悲しいです」
「もう、一日くらいは大丈夫だよ」
「ふふ、そうですね」
「はぁ、それにしても、夕食も食べたしなんだか眠たくなってきた」
鶴見の台詞に対して江渡貝は肩をびくっと揺らした。
「た、たしかに!」
妙にハイテンションに答える
「そろそろお風呂に入ろうか?」
お風呂に入ろうか、と尋ねられ江渡貝は顔を真っ赤にする。
「お、お風呂ですよね」
「うん。沸かしておくから先に入っていいよ」
「あ、そ、そうですよね」
期待をしていた江渡貝はほっとしたような、がっかりしたような顔をする。
「もしかして、一緒に入ると思っていた?」
「いいえ! そ、そんなことないですっ!」
江渡貝は首をぶんぶん振りながら後退りする。
分かりやすい反応が可愛いな、と思いながら、鶴見は風呂を沸かし、脱衣所にタオルなどを準備しておく。
「タオルとかは脱衣所に準備してあるから使ってね。その他になにかあれば呼んでくれれば行くから」
「はーい」
少し安心したのだろう、江渡貝はゆったりした声で返事をする。
「あ、そろそろお風呂が沸くみたい」
「それじゃぁ、お先に入らせてもらいますね、鶴見さん」
一度自分の部屋に戻ると、江渡貝は寝巻を取り出し、脱衣所へ向かった。
風呂場はゆったり広く、江渡貝が来ることも想定していたというのもあるのだろう。
綺麗に整えられており、ふわりと良い香りがした。きっと普段鶴見が使っている石鹸やシャンプーの香りなのだろう。洗面器を使い、体を洗い流し、江渡貝はまず浴槽に浸かる。
大好きな鶴見と恋人同士になれた安心感もあるが、やはりまだまだ緊張しているからだろう。肩や腰の凝ったところに暖かい湯が染みる。
身体の芯まで温まったところで江渡貝は洗い場に出た。浴室の棚に目をやれば、高そうなシャンプーやリンスが並んでいる。ハーブが描かれたシャンプーを手のひらに出してみる。オーガニック系のシャンプーなのだろう。微かに香るラベンダーの香りが心地よかった。
隣に並ぶリンスで髪を整えると、いつもとは違う手触りになっていた。やはり社会人になるとお金があるものだな、と江渡貝は自分の髪に触れながら考える。
そして使いかけで少し削れた石鹸を手にする。鶴見と同じ石鹸を使っているのかと思うと不思議な感覚になった。自分の肌から、鶴見と同じ香りがする。
まるで鶴見と肌を重ねているようで、と考えたところで江渡貝は邪念を吹き飛ばすように、洗面器いっぱいに汲んだ湯を頭から浴びた。
「でも、もしかしたら……」
江渡貝は浴室の中で小さく心細そうに呟いた。
「うーん、のぼせたかな」
しかし、気持ちを切り替えるようにきりりと眉を上げ、江渡貝は浴室を軽く洗い流し、脱衣所へ出た。マットの上で持ってきた下着とゆったりとしたルームウェアを身に着ける。ルームウェアまではふりふりにはしておらず、白いシャツにグレーのズボンというシンプルな寝巻だ。

「鶴見さん、お待たせしました」
「おや、早いね」
脱衣所で軽く乾かした髪がしっとりしていていつもと違う雰囲気になっている。
鶴見は江渡貝の髪をわしゃわしゃ触ると満足そうに江渡貝を抱きしめた。
「おんなじ匂いだ」
「へへ……」
嬉しいけれど恥ずかしくて江渡貝は笑ってごまかしてしまう。
「じゃぁ、私も行ってくるから。もし暇だったら、そこの本棚に色々あるし、テレビのリモコンも置いておくから」
「は、はい」
本棚と言われ江渡貝はぎくりとした。しかし、勝手にあの本を見つけてしまった後ろめたさから本棚の本を読もうとは思わなかった。鶴見に手渡されたリモコンを持って呆然としていると、風呂場の方からさっそく鶴見の入浴する音が聞こえてくる。
どうにも居難くなった江渡貝は鶴見の入浴音をかき消すために、テレビの電源を付けた。夜のバラエティ番組はちょうど終わり、ニュース番組に切り替わる時間になっていた。
それでも直に入浴音を聞くよりは健全だろうと、江渡貝は地方の名産物の話などを眺めて鶴見のことを待っていた。
ニュースを見ているうちに緊張も解けてうとうとしてしまう。こくりこくりと首が船をこき始めた頃、「おまたせ」と鶴見の声が聴こえた。
ふわり、と鶴見からは江渡貝と同じような香りがしていた。同じ香りのはずなのに、少し違う。鶴見の体臭もほのかにする、優しく包み込むようなラベンダーの香りだ。江渡貝は鶴見の持つ雰囲気にのまれ、うっとりした瞳で鶴見を見上げていた。
しかし、鶴見は、そんな江渡貝のことは気にも留めず、江渡貝を見ると口を開く。
「江渡貝くん、今日はもう疲れたろう」
「え、あ、はい……」
「そろそろ寝ようか」
「え!」
江渡貝は思わず「一緒に?」と訊きそうになる口を押えて目を大きく開いた。
だが、江渡貝の期待に反して鶴見は自分の部屋の方へ向かっていってしまう。
「じゃぁ、おやすみ。ゆっくり休むんだよ」
邪な期待をしていた江渡貝はもう一度目をぱちくりさせた。
そして、江渡貝はそう言ってドアを閉めようとしている鶴見を追いかけた。
「ま、待って、鶴見さん」
「うん?」
本当のところ鶴見は江渡貝の考えていることにも気づいていた。
しかし江渡貝はまだ幼い。傷付けないためにもこうして、劣情には蓋をしている。
「あ、あの」
だが、鶴見の努力も虚しく、江渡貝は今着ているシンプルな寝巻を脱ぎ捨てた。
「え、えどがいくん?」
「鶴見さん、へ、変ですか?」
鶴見の目の前に現れたのは可愛らしいベビードールを身に着けた江渡貝の姿だった。
肌がすけるほど薄いピンクのベビードール。パンティはレースとリボンがふんだんにあしらわれている。
胸元には花を模ったエンブロイダリーレース、可愛らしく切り替え部分にはリボンが飾られている。セットのものなのだろう、パンティもたくさんの花のレースが付いており、パンティの両端にはリボンが付いている。また、よく見ると胸にはブラジャーを付けていた。
同じシリーズで買ったのだろう。同じ模様の花が見える。
可愛らしいけれど、それ以上に色っぽい格好だった。
鶴見は思わず唾をのむ。
「鶴見さん、僕、鶴見さんと……」
鶴見は言わずとも江渡貝の次に言いたい言葉は分かっていた。
今日、家に来た時にちらりと見えてしまったコンドームを思い返して鶴見は目を閉じた。
この子を、まだ幼いところの多い江渡貝と関係を持ってしまっていいのだろうか。
鶴見は江渡貝の次の言葉を待つ。
「鶴見さんと、えっちしたいです」
ぎゅっと江渡貝は両手でベビードールの裾を掴んでいた。
勇気を出して言ったのだろう。
鶴見に断られるのを恐れるように江渡貝の手は震えていた。なんて儚くて可愛らしい子なのだろう。すぐにでも抱きしめてベッドに引き込みたい気持ちを抑えて鶴見は口を開いた。
「江渡貝くん、その……君は私とセックスしたいってことだよね」
江渡貝はこくん、と頷いた。江渡貝の両目からぽろぽろ涙が落ちていく。
鶴見は江渡貝の手の甲に触れた。彼を落ち着かせるように手の甲を撫でながら話を続ける。
「うん。江渡貝くんとそういうことができるのはすごく嬉しい。だけど、その、すぐには難しいと思っていたし、今日まさかこんな風に江渡貝くんが可愛らしく言ってくるなんて思いもしなくて……その、男同士でのセ、セックスの準備はできていないんだ」
そう、江渡貝はよく知っていないが、男同士でのセックスにはローションやコンドームのほかに、徐々に慣らしていく必要がある。お互いに気持ちの良い体験で優しくしたいと思っていた鶴見としては、すぐにセックスは難しいと考えている。
「あの、こ、コンドームなら持ってきていて……」
「うん、知ってる。実は君の部屋を覗いたときに見えちゃって、ごめんね」
「うう、恥ずかしい」
「ううん、ちょっと嬉しかった」
緊張は解けたらしい。江渡貝は笑いながら「もう!」と言った。
「今度、ちゃんと二人で勉強していかないといけないね。でも、その折角そんな可愛い姿を見せられては私もさすがに」
もじもじと足を動かす鶴見を見れば、少々足の真ん中が膨らんでいる。
江渡貝はその様子に顔を真っ赤にする。
「男同士のセックスはちょっと難しいから今日はお預けだけれど、二人で身体の気持ちいいところを触れ合う程度ならできると思うんだ」
そういうのはダメかな、と鶴見は江渡貝を抱きしめて耳元に尋ねた。
耳に触れる吐息に江渡貝はびくりと反応を示す。
「実は私も、さっきお夕飯の買い出しの時にローションは買ってきていたから」
「ローション……」
少々の知識のある江渡貝は相変わらず顔を赤らめたままだ。
しかし、江渡貝は抱きしめられたことで鶴見と同じ場所が膨らみ始めているのを感じていた。
あまり膨らむと下着からそれがはみ出てしまう。恥ずかしいなと思いながらも鶴見に手を引かれ、鶴見の寝室へと入っていく。
セミダブルであまり大きくないベッドだ。しかし、二人が寄り添った状態ならば問題ないだろう。
「おいで、江渡貝くん」
鶴見に呼ばれ、江渡貝は鶴見のベッドの端に座った。
鶴見も江渡貝の隣に座る。
二人の間には肩が触れない程度の小さな隙間が空いている。ぎし、と鶴見の体重がベッドを鳴らした。
鶴見はちょっと待ってね、と言うと白いビニール袋からがさがさと何かを取り出した。袋の中から出てきたものは先ほど言っていたローションだ。
「こういうのがあった方が気持ちいいって聞いた」
江渡貝は鶴見の事を夢見心地な顔で眺めていた。もうすでに江渡貝の股間の先は欲情の汁が滲んでいた。
「触れるよ」
嫌ならいいなさい、と言いながら鶴見は江渡貝の首筋に唇を落した。ちゅっと跡が残らない程度に江渡貝の皮膚を吸った。
そして、ベビードールの裾の辺りにふれていたかと思えば、その手はするすると手慣れた手つきで江渡貝の足の付け根に触れた。
「あ……」
それだけで江渡貝は足を震えさせていた。恐怖ではなく快感で震える太腿はほんのり赤く染まっている。
「大丈夫そうかい?」
鶴見に尋ねられ、江渡貝は涙目のまま頷いた。
「だいじょうぶです」
そして、ついに鶴見の手は江渡貝の足の間にある、陰嚢の辺りを撫でた。
普段自分でも撫でる事のない場所に触れられてびくりと背中が反応してしまう。愛撫されている事実が江渡貝の精神を昂らせていく。
江渡貝の反応を見ながら鶴見は江渡貝のパンティに触れた。
可愛らしいレースのショーツからは、江渡貝のまだ成長中の陰茎が居心地悪そうに膨らんで、鶴見に触れられるのを待っていた。ショーツはすっかり濡れており、鶴見のベッドシーツを濡らしている。
江渡貝の陰茎全体を包み込むように鶴見はショーツに触れた。
「あ……あぁっ」
触れただけにも関わらず江渡貝は腰をびくっと震わせる。
「すっかり濡れて、ここはローションがなくても大丈夫かな」
何度かすりすりと江渡貝の陰茎をこすれば、下着から江渡貝の陰茎が顔を出す。ぷる、と顔を出した陰茎はすっかり勃起していた。
「ひゃ、ぁ、は、はずかしい」
「その割には江渡貝くんのおちんちんは気持ちよさそうにしてるね」
ん、と江渡貝は羞恥心のあまり黙ってしまう。可愛らしいしぐさばかりで鶴見はいじめたくなってしまう。
「こんなエッチな下着を着て……コンドームまで持ってきて」
江渡貝くんは悪い子だったのかな、と鶴見は江渡貝の耳元でささやいた。
江渡貝は耳にかかる鶴見の息がくすぐったいらしい。耳元を隠すようにして鶴見を睨んだ。睨む顔さえ可愛らしい。江渡貝はもっといじめて欲しい、けれども恥ずかしいという気持ちと葛藤していた。
「下着からはみ出て……触って欲しい?」
そんな江渡貝の気持ちを見透かすように鶴見は江渡貝に意地悪い質問を投げかける。
「さ……触って、さわってください、鶴見さん」
江渡貝は陰茎に触れている鶴見の手に、自身の陰茎を擦り付けながらおねだりをする。
「うん、良い子だね。おちんちん、みせてごらん」
鶴見は江渡貝の下着からはみ出ている陰茎の先にちゅっとキスをした。江渡貝は鶴見に言われるままにレースの下着をゆっくりおろす。
「おや」
江渡貝が下着を膝当たりまでおろせば、陰茎がすべて露わになった。
江渡貝は羞恥のあまりに顔を逸らした。江渡貝の陰茎の根本には可愛らしい白いリボンが結ばれており、ぷるぷる動くそれに合わせリボンは揺れていた。
「鶴見さんに、喜んで欲しくて……可愛いって、言って欲しくって……」
江渡貝はしどろもどろにそう答えた。
「うふふ、可愛い、すごく可愛い」
このまま、食べてしまいたい。鶴見はそう思いながらもローションを手に持つと手のひらにそれを伸ばしてから、江渡貝の陰茎を包み込んだ。
「ここは気持ちいいかな? それともこっち?」
「ひゃ、ぁ……あぁっ、どっちも、だ、だめっ!」
江渡貝は欲情で濡れたそこを鶴見に弄られながらベッドの上で悶えていた。
「や、やだ、気持ちよくて、変になっちゃいます……鶴見さん、怖いからぎゅってして」
江渡貝のお願いに対して、鶴見は一度江渡貝の大切なところから手を離す。
「ほら、大丈夫だよ、江渡貝くん。よしよしいい子だ」
そう言いながら鶴見は江渡貝を抱きしめた。抱きしめたまま、ベッドにころんと二人で横になる。江渡貝は小さくあ、と声を漏らした。
お互いに向かい合ったまましばらく見つめ合う。二人とも興奮しているのだろう、息が荒く顔は汗ばんでいる。鶴見は江渡貝を押し倒す姿勢になった。
「このリボンは外した方がよさそうだね?」
そう尋ねると江渡貝は恥ずかしそうに頷いた。勃起で膨張した陰茎に、リボンがくい込んでいた。
鶴見は江渡貝の腹の下の方へ移動した。手を伸ばしてリボンを取ってくれるのだろうか、と江渡貝は腹の方にいる鶴見を見ていたが、鶴見は顔を江渡貝の陰茎に近づけているところだった。
「つ、鶴見さん?」
「ん?」
鶴見は舌を使い、リボンの先をうまくひっかけて、歯に挟んでいた。
羞恥のあまり、江渡貝は両手で顔を覆ってしまう。
鶴見は器用にリボンをほどくとリボンを加えたまま江渡貝の胸元まで上がってきていた。
「こんな可愛いことして。江渡貝くん、顔を見せて?」
「ひゃ、ひゃい……」
きゅんとしながらも鶴見は江渡貝の顔にキスを浴びせると、柔らかなベビードールの薄い生地にも触れ始めた。そして、お腹をちゅと吸い、江渡貝の反応を見る。
鶴見の愛撫に対して、気持ちよさそうに反応している。
よく見ればベビードールの薄い生地越しにぽつんと二つの尖がりが見えた。
鶴見はベビードールの上からそれを吸ってみれば、江渡貝はひゃ、と小さく悲鳴をあげた。
口を離せば、鶴見の唾液でそこは濡れ、ますます江渡貝の乳頭の先を目立たせていた。
「ここも気持ちいいところかな?」
「……はい」
こりこりとそこを弄れば江渡貝は胸を突き出すようにして鶴見の愛撫を受け入れた。
それから、江渡貝はもじもじと両足をすり合わせて物足りなさそうな動きをしている。
「鶴見さん……ぼく、こっちが……」
「うふふ、こっち?」
鶴見はわざと江渡貝の太腿に触れた。
すると江渡貝は恥ずかしそうに、しかし興奮に上擦った声で答えた。
「ここですっ、えっと……お、おちんちんを……」
「うん、こうかな?」
下着を払ってもなお、江渡貝の陰茎はぬるぬると汁を滴らせていた。
鶴見は片手で包み込むように持ち、ゆっくり手を上下させる。
江渡貝は求めていた刺激に悶えるように腰を動かす。陰嚢の辺りがぐいと持ち上がり、どうしようもない快感が体を焦らしている。
「ん……あ、あ、きもちい」
気持ちよさそうに愛撫を受け入れる江渡貝を見ながら、鶴見も鶴見自身が爆発しそうになっていた。もじもじと足を動かしながら、江渡貝の片手に触れた。
「江渡貝くん、君が嫌じゃなければ……私の気持ちいいところも触れてくれるかい?」
鶴見はそう言って江渡貝の瞳を見つめた。目で笑って見せるが本当は余裕なんてなかった。
「それって、つるみさんの、おちんちん?」
「うん」
鶴見にしては珍しく余裕のない顔をしていた。今すぐにでも自身に触れたくて仕方なかったからである。しかし目の前の江渡貝に触れられたらどんなに気持ちいいだろうか。
鶴見はそっと江渡貝の手を自分自身の足の間に導いた。
「だめかな?」
「ううん。僕も鶴見さんに触れたいです」
江渡貝は鶴見の服の上から、隆起したものをすりすりと撫でる。
ずっと我慢していたのだろう。鶴見のスエット生地のパジャマからでも陰茎は形が分かるほど勃起していた。鶴見の額当てからは、ぽたぽたと汁が滴り落ちた。
「すまない、興奮すると……」
「ねぇ、鶴見さん。鶴見さんの額のやつ、とっても良いですか?」
江渡貝はずっと気になっていた鶴見の額当てを空いている手で撫でた。
「うん、後ろでこうなっているから」

金具に触れると江渡貝は鶴見の額当てをパチンと外し、ベッドわきに置いた。
「赤いしケロイドが酷いんだ」
「ふふ、柘榴みたい。好きだな、鶴見さんのオデコも」
そう言って江渡貝は鶴見の額の汁を指先にまとわせるとぺろりとその体液を口に含んだ。
そしてもう一度額を撫でる。
「んはっ……!」
鶴見は江渡貝に額に触れられたのが気持ちよかったのだろう、額の傷からぴゅっと汁を射った。
「ここ、気持ちいいんですか?」
「うん」
鶴見は目を潤ませて頷いた。お互いに余裕のないまま快感のままに、互いの肉体を貪り合っている。
「鶴見さん、触れますね」
江渡貝は鶴見のズボンを潜り抜け、下着の中に手を忍ばせた。
「江渡貝くん、脱ぐから……ちょっとまって」
ズボンの中では触れにくいだろうし、なにより鶴見自身がもどかしかった。
よいしょ、とズボンを脱ぎ、下着も脱ぎ去ってお互いに向かい合う。
「上も脱ごうか?」
鶴見に言われ、江渡貝はベビードールをするすると脱いだ。鶴見もスエットを脱ぎ、お互いに生まれたままの姿になっている。
裸のままで抱き合って、互いの体温を確認し合う。
肌の硬さ、におい、心地いい気持ち。
「もう一度触るね」
鶴見はそっと江渡貝の陰茎に触れた。そして、江渡貝も「触れますね」と鶴見のものに触れた。
「鶴見さんの大きい……ぬるぬるしていて、熱くって」
「君はまだ成長中だからねぇ。可愛くて、でもすごく色っぽい」
江渡貝は人のものに触れるのは初めてだった。もちろん鶴見も他人の陰茎を扱くなんて初めてのことだ。だが、性感帯やある程度の知識はある。
「ねぇ、ここのところを触ってみてくれる。そう、私が君に触れているところだ」
「ここ、ですか?」
「う……うん、あ……あぁ……」
江渡貝は鶴見の裏筋の辺りに指先を添えてゆっくりと手を動かした。それに合わせて鶴見も江渡貝のそこをするすると刺激する。
「ひゃ、あっ……あん!」
ぴくっと背を逸らすと江渡貝は可愛らしい声で啼いた。
「ここ、気持ちいい?」
「ふぁ、ぁ……いい、です」
江渡貝を押し倒していた姿勢の鶴見はころん、と江渡貝の隣に横になった。
「江渡貝くん、二人のおちんちんをこうして……」
鶴見は江渡貝の身体を引き寄せた。引き寄せたままに腰をくっつけ合う。
鶴見の両手は江渡貝のもの、そして鶴見自身を掴み、それをくっつけあった。
江渡貝はぼんやりとその様子を見ている。目が潤み、夢心地の顔をしていた。
「鶴見さんのおちんちんと僕のおちんちん……」
鶴見は江渡貝のものを、江渡貝は鶴見のものに手を添えた。
「二人で合わせて触ってみたかったんだ。いい?」
はい、と江渡貝はうっとりした声で答えた。
鶴見は開いた手でローションをもう一度持ち、蓋を片手で器用に開けると手のひらに絞り出した。その手で江渡貝のものと自分のものにぬるぬるしたものを塗りたくる。
ぬるぬるした感触と、くちゅくちゅと鳴る音が二人を興奮させる。
目を合わせると二人はほぼ同時にお互いのものに触れあった。時には手を太腿や足の付け根に動かして、腰を揺らす。
「あぁ……ぼく、で、でちゃう」
江渡貝は鶴見よりも先にびくびくと太腿を震わせた。
射精を我慢しているのだろう。江渡貝は助けを求めるように涙目で鶴見を見る。
「うん、出して良いよ、私もそろそろ……我慢が」
どうやら鶴見も我慢していたらしい。江渡貝は快感に溺れながらも拙い手つきで鶴見のものに触れた。鶴見も江渡貝と同じような状態だった。
うぅっ、と互いに低い唸り声をあげ、互いの腹の辺りには精液が散っていた。
はぁはぁ、と二人とも息を荒げたまましばらくの間、身を寄せ合っていた。
「大丈夫だった?」
鶴見の質問に江渡貝は頷く。
よしよしと鶴見は江渡貝の髪を撫で、頬をなぞり、顎のあたりに触れた。
「キスしてくれたら嬉しいです」
江渡貝はうふふ、と笑う。
それに応えるように鶴見は江渡貝の唇を塞ぐ。
キスは触れるだけ。しかし二人とも幸せそうににやけ顔をしている。
「汗もかいちゃったし、お風呂もう一度入ろうか」
「そうですね、もうちょっとこうしていたいけど」
「あ、そうだ、僕の汗とかでベッド汚しちゃって……」
「あぁそこは大丈夫だよ。防水シーツとタオルを実は敷いていて」
最初から準備していたのか、と江渡貝はじっと鶴見を見た。
「鶴見さんのすけべ」
「うぅ……」
しかし、江渡貝は萎れた顔をする鶴見の反応が気に入ったのだろう、満足そうに笑った。それから、少しの躊躇いの後、口を開く。
「鶴見さん。もしよければ、お風呂、一緒に入ってもいいですか?」
江渡貝の申し出に鶴見は目を輝かせ、勿論、と答える。
江渡貝と鶴見は軽くティッシュでお互いの体液を拭いとると、はだしのままベッドを出た。ぺたぺたと浴室へ向かおうとする江渡貝の手を、鶴見は掴む。

鶴見に言われずとも江渡貝は嬉しそうな顔をして鶴見の手を握り返した。
浴室はまだほんのり温かかった。今はシャワーだけでも十分だろう。
鶴見はシャワーを手に持つと、江渡貝の背中を眺めながら手のひらで江渡貝の背を撫でる。
そして、シャワーの温度がちょうど良い温度になると、江渡貝の背中をゆっくり流し始めた。そして、前もゆっくりと撫でていく。
横腹を撫でれば江渡貝のまだ筋肉のあまりついていない柔肌がびくりと動いた。
どうやらくすぐったいらしい。可愛らしい反応を見ると鶴見はもっとわき腹をくすぐりたくなるが、今は我慢をする。
ゆっくり手を上に持っていけば胸板に届き、そのまま乳首へたどり着いた。
いたずら心に乳輪を撫で、乳頭を軽くつまんでみる。
「ちょ、ちょっと、鶴見さんっ、あぁっ!」
ふにふにと乳頭を弄れば江渡貝は甘い声をあげて身体を離した。
「ごめんごめん」
「もう、シャワー貸してくださいっ。自分で洗います!」
江渡貝は羞恥に顔をくしゃくしゃに歪めるとシャワーで自分の身体を流してしまった。
そして、身体を流し終えると江渡貝はにやにやと笑いながら鶴見を見上げた。
「鶴見さん、今度は僕が流してあげます」
「うん」
鶴見はあっさりと返事をした。実はそうなること込みでの先ほどの悪戯だったからだ。
「じゃぁ、背中見せてください」
「うんうん」
じゃばじゃばと江渡貝の手が背中を撫でまわした。そして、江渡貝の手は鶴見のわき腹の辺りをふにふにと触れる。やはりわき腹はくすぐったい。鶴見は思わずあぁっ、と艶めいた声を出した。
思いがけない鶴見の反応に、江渡貝は手の動きを止めてしまう。
シャワーの水音の中、鶴見の口元は笑っていた。
「えっと、続きも洗いますよ」
そういって江渡貝は鶴見の前に立つ。腹の辺り、それから胸、腕と順番に洗っていく。
「江渡貝くん、こっちは自分でやった方がいいかな?」
鶴見はそう言って自分の手を避けた。まるで焦らすような江渡貝のシャワーでの洗浄に鶴見の陰茎は僅かに勃起していた。
それを見た江渡貝は顔を真っ赤にして目を逸らす。
「つ、鶴見さん……」
「君に触れられていたら、やはりこうなってしまった」
「あの……」
江渡貝は自分が触れる事で、想い人がこうして感じてくれていたのが嬉しかった。けれども少しばかり恥ずかしくて積極的に触れたいとは言い出せない。
しかし、先ほどの鶴見とのベッドでの触れ合った心地良さ、胸に触れられた時の刺激を思い出せば江渡貝も腹の奥がむずむずしてきていた。
「おや……」
鶴見のひと声で江渡貝はシャワーを取り落とした。
その代わり自分の両手で足の間を覆い隠す。
「江渡貝くん、手を避けてごらん?」
「は……ぁ、鶴見さん、鶴見さんが」
「んふふ、私のものを見て勃ってしまったのかな?」
「うぅ~」
恥ずかしそうに頷く江渡貝を抱き寄せて鶴見は浴室の壁に江渡貝の背を押し付けた。
「もう一回触る?」
江渡貝の頭が縦に触れる。一日に二度も勃起してしまうなんて、江渡貝は自分の身体の欲深さに困惑していた。
「さっきみたいにおちんちんを合わせてみようか」
「……ん、んんっ」
一度目の射精をした江渡貝はやや手の動きが鈍い。
サポートするように鶴見は二本のものに手を添えて感じやすい場所を扱いた。
「あ、はぁ、ァ……だめ、また……」
ぶるぶる、と背筋を震わせると江渡貝は涙目で鶴見を見上げたまま精液を吐き出した。
可愛らしい子だ、鶴見はそう呟きながらもう少し自身を扱く。
「ん、うぅ」
鶴見も江渡貝を見つめながら白濁したものを吐き出す。
江渡貝は鶴見の胸元に頭を預けると荒く息を繰り返した。
やがて落ち着くとぎゅうと鶴見の背中に手を回す。
「鶴見さん……好き。こんな、恥ずかしいのにきもちくて、好きってこんな風にもなっちゃうだって知らなかった」
「うん」
私も、と鶴見は短い言葉で江渡貝に愛を伝える。
それから、二人は流しっぱなしのシャワーも放置したまま長いながいキスをした。
浴室から出た二人は、もぞもぞと身体を拭いた。
先ほどまでの雰囲気とは違い、気恥ずかしさが返ってきたようだ。
「あ、着替え忘れてきました」
「同じく……」
同じタイミングで身体を拭き終え、着替えを忘れたことに気が付いた二人は顔を見合わせて笑い合う。
「下着だけ、自分のところから持ってきますね」
「うん、そうしたら私のところにおいで。どうせ君の服は私の部屋の前に脱ぎ捨てられているんだから」
江渡貝は鶴見を誘うためにパジャマの中に仕込んでいた肌着姿を鶴見に晒したことを思い出した。恥ずかしさのあまりに両手で顔を覆いこんでしまう。
「江渡貝くぅん、ベッドで待っているからね」
「わ、わかりましたァ……」
プシューと蒸気を立てながら江渡貝は自室で下着を身に着ける。
そして鶴見の部屋の前に脱ぎ捨てられている地味なパジャマを拾い上げながら身に着けた。
「鶴見さぁん」
江渡貝は鶴見の部屋に入りながら鶴見の名を呼ぶ。
「うん」
ぽんぽん、と鶴見はベッドに座り、自分の横を手で示しながら江渡貝を呼んだ。
鶴見もシンプルな上下セットのパジャマを着ている。
江渡貝はベッドの端に座ってどうすればいいのか、と停止していた。
「ほら、もう寝る時間だ」
鶴見に手を引かれ、ベッドに横になる。男二人でのセミダブルのベッドは狭い。江渡貝は鶴見よりも小柄だが、身体が触れ合っている。
江渡貝は心臓が壊れないか、と思いながら横になっていたが、隣にいる鶴見の温もりや息遣いにだんだんと緊張が解れていく。
それにしても、ベッドの上で触り合って汗だらけになったはずだが、鶴見はいつの間にベッドメイクを済ませたのだろう。江渡貝は不思議に思い、疑問を口にした。
「ベッドいつの間にこんなに片付けてくれたんですか?」
「あ……あぁ、君が泊まりに来るから、実はちょっと期待していて」
鶴見曰く、まさか江渡貝から誘いにくるとは思わなかったし、誘われなければ手を出す気はなかったが、念のため防水加工のシーツを普通のシーツの上にかぶせていたらしい。
「なんか僕たち、ちょっと似た者同士ですね」
江渡貝は鶴見の用意周到なのか、そうでもないのかよく分からないところがつぼに入ったのだろうクスクス笑いながら上目遣いに鶴見を見る。
鶴見もちらりと江渡貝を見た。あぁ、これはキスをしたくなる顔だ。
「僕、眠る前に好きな人からキスされるの憧れなんです。してくれませんか?」
江渡貝のお願い事に鶴見は行動で返事をする。
上半身を起こすと、横になった江渡貝の唇に触れるだけのおとぎ話のようなキスをする。
「これで正解?」
「うふふふ、せいかい」
江渡貝の言葉は少々眠そうだった。
そんな江渡貝の様子を見ていると鶴見もつられて眠くなってくる。
「おやすみ、江渡貝くん」
「おやすみなさい……」
眠る江渡貝に鶴見はそっと起こさぬようにもう一度キスをする。
カーテンの隙間から見える窓の外は良く晴れており、月のない夜空にはいくつもの星が瞬いていた。
カーテンの隙間から差しこむ陽射しに江渡貝は目を覚ました。
ここは自宅ではない。いつもより狭いベッド、隣から聞こえる寝息。
目をそっと開けば目の前に鶴見が眠っており、昨日の夜のことをだんだんと思い出してしまう。
昨日はあんなことを……江渡貝は嬉しいような恥ずかしいような気持ちになった。恥ずかしい、けれどもこの気持ちはとても愛おしい。
眠っている鶴見を眺めていると、朝の光に目覚めたのか、それとも江渡貝の視線に気が付いたのか、鶴見も目を覚ましたようだ。長い黒いまつ毛が震え、ぼんやりした瞳が江渡貝の姿を捉える。
「おはようございます」
江渡貝は目を細め、鶴見の目を見つめたまま言った。
「うん」
鶴見は寝起きが悪いのだろうか、うんうんと言い布団から出ずに江渡貝を抱き枕にしてしまう。
「鶴見さん、朝ですよ」
「うーん」
「しょうがないなぁ」
いつまでも幼子のようにぐずる鶴見に江渡貝はぷぅと頬を膨らませた。それから、おとぎ話で王子様がお姫様の眠りの魔法を解くように鶴見の唇に触れるだけのキスをする。
「えどがいくん?」
すると魔法から解けたように鶴見は目をぱちくりさせて江渡貝を見た。
「朝起きたときのキス、です」
かぁぁと分かりやすいほどに頬を染めた江渡貝は唇を尖らせて目を逸らしている。
思いがけない江渡貝の行動に照れてしまったのだろう、鶴見も「うん」とだけ答える。
反応が薄いな、と江渡貝は鶴見の方を見た。すると、鶴見も顔を赤くし目線をきょろきょろさせていた。
鶴見さんも照れることがあるのか、と言いたげに江渡貝はにこにこと鶴見の照れ顔を見つめた。
「んもう、君は突然そういうことするから……」
鶴見はぷんとした顔を作る。しだいに馬鹿馬鹿しくなった二人はくすくす笑い合った。
「あぁ、そうだ。朝ごはんにするかい?」
「朝ごはん! うふふ、鶴見さんと朝ごはん!」
「そうそう、テーブルに座っていて待っていて。洗面所とかは好きに使ってくれていいよ」

「えへへ、朝の支度が終わったら一緒に作ってもいいですか?」
「うん」
「新婚さんみたいですね」
うふふ、とアホ毛をぴょんぴょんさせたまま言う江渡貝の言葉が、鶴見の胸に突き刺さる。お互いに悶え転げそうになるのを堪えながら二人の朝は始まった。
朝ごはんを作るぞ、と言っても鶴見の家に初めてきた江渡貝は、まだ台所の勝手がよく分かっていない。
それを察した鶴見は、食パンの入った袋を江渡貝に渡した。焼いてもらってもいい? とトースターを指さした。
江渡貝は食パンを二枚取り出すとポップアップトースターに二枚、食パンを入れてセットした。
江渡貝がそうしている間に鶴見は卵を二つ取り出して、軽くといたものにちぎったチーズを混ぜ込んでいる。フライパンに油を引くと江渡貝を呼ぶ。
「オムレツにするけど苦手なものとかある?」
「ないです」
江渡貝はそう答えると鶴見の手元をじっと見ていた。血管の浮き出た手の甲。
江渡貝とは年の差を感じされる肌だけれども、昨晩はどこまでも優しく触れてくれた手。
その手は器用に卵をフライパンに流し込むと箸で起用にオムレツを作っていく。
じじっと焼ける卵の匂いに混ざり、トースターからはふわっと小麦の香りがしてきた。香ばしい朝の香りだ。
「そうだ、そこに紅茶のティーバッグとマグがあるから、お湯を注いでおいてくれるかい」
鶴見は電気ポットを指すと江渡貝の後姿を幸せそうに見つめた。まるで自分の子のような年頃の子だが、鶴見のパートナーである。可愛くて愛おしくて、家族が増えたような気がして気持ちが浮足立ってしまう。
「つーるみさん!」
ぼんやりしていた鶴見に江渡貝は声をかけた。
ちょうどチンとポップアップトースターの中に入れていたパンも焼きあがったらしい。
熱々のトーストを皿に乗せ、簡単な作りだが、ミニオムレツを横に添える。
「わぁ、美味しそう。ホテルの朝食みたい!」
江渡貝は鶴見がテーブルに並べた朝食を見て目をキラキラさせて喜んだ。
「そう言ってもらえると、作り甲斐があるね」
いただきます、と江渡貝はオムレツをぱくりと食べる。

卵をよくかき混ぜて作ったオムレツはふわりとしている。オムレツの中にはミックスチーズが入っていたらしい。びよんと口の端にチーズが伸びる。江渡貝は伸びたチーズを指先で口の中に入れながら恥ずかしそうに鶴見を見た。
鶴見もにこにことしたままトーストにバターを塗っている。
「な、なにかおかしいです?」
「ううん、べつに……」
江渡貝の一挙一動が可愛らしくてにまにましてしまう。この想いを江渡貝に伝えても良いのだが、それは胸の内に秘めておくことにした。
「はむ」
鶴見がそんな思いを抱えているとは露知らず。江渡貝はトーストを食べている。
「美味しい……これどこのですか?」
「コンビニで買ったやつだけど」
「そういえば、そうでしたね」
江渡貝はよく見かける食パンの袋を思い出しながら食事を続ける。
そして、ひとつ、鶴見の言葉を思い出していた。
それは、初めて二人で歩いている時に鶴見が言った言葉だった。
『でも、遠くから見ておれは完璧だと思ったんだが、違うのかい』
そう、それは、江渡貝が手作りの服を偽物だと自虐しているのに対して鶴見が放った言葉だった。その一言はまるで魔法のように江渡貝を本物のドレスを着た江渡貝に変えてしまったのだから。
きっと鶴見と一緒だから、ふたり一緒で幸せだからこんな風に何でもないこともすごく幸せなことのように感じているのかもしれない。
江渡貝と鶴見の魔法のような時間はのんびりと過ぎていった。

朝食を食べ終えた二人は食器を片付けるために再び台所に行く。
すると江渡貝は「あ」と声をあげた。
「あの、洗い物は僕がしてもいいですか?」
「お客様なんだし……」
「えっと、その、いいから。ちょっと待っていてください」
押し問答の末、一旦その場からいなくなったかと思えば、江渡貝はふりふりのエプロン姿で鶴見の前に現れた。
「何かできることあったらいいなって思って持ってきたんですが、変でしょうか」
もじもじ手をこねくり合わせるのは江渡貝のくせらしい。
赤いギンガムチェックにフリルとハート型のポケットが付いたエプロンだ。鶴見に見せたかったのだろう。
わざとらしく動き回り後姿のリボンまでちらりと江渡貝は鶴見に見せる。
「そのエプロン、汚れてしまったら困らないの?」
こんなに可愛らしく縫製にこだわっているエプロンだ。どこかで購入しても、作ったにしても安物ではないのは確かだろう。
「よ、よく見てくださいッ! お家で普段使っているエプロンだから大丈夫です!」
ここなんて、プリンの染みがあるんです、と江渡貝は誇らしげに言った。
その様子が健気で可愛らしくて、しょうがないな、と鶴見は江渡貝に洗い物を託す。
鶴見は江渡貝の隣で皿を拭いたり片付けたりすることにした。
一人暮らしをしているだけあって、江渡貝の家事は手慣れていた。裁縫もこなすだけありやはり器用なのだろう。
「二人でするからすぐに終わったね、ありがとう」
「いいえ、こんなのちょちょいのちょいです」
うふふ、と江渡貝は笑いながらふと時計を見た。
時計の針は十一時を示していた。その数字を見た江渡貝は急に寂しそうな表情に変わる。
「そ、そうだ。明日からまた学校だし……夕方前には帰らないといけないんですよね」
鶴見も時間を見て頷いた。名残惜しそうに言われれば帰したくなくなってしまう。お互いに一人暮らしのため、そのまま制服などを揃えればここから登校できなくはないが、世間がそれを許さないだろう。
「でも、まだ時間はあるし、まだまだたくさん会えるから」
「はい……でも、帰りたくない。鶴見さんと一緒にいたい」
鶴見も江渡貝の気持ちは理解できた。しかし、江渡貝の願いを叶えるとお互いの身を滅ぼしかねない。鶴見は心を鬼にして江渡貝のわがままなお願いをつき返した。
「だめ、だめだめ。江渡貝くん、お互いに浮かれていてずっと一緒にいたい気持ちはわかるよ。でもね、私たちは教師と生徒の関係なんだ」
泣きそうな江渡貝の頬に鶴見は唇を近付けた。
ぽろぽろと零れ落ちる江渡貝の涙が鶴見の口の中で解けていく。
「私だって、帰したくないんだ……」
鶴見がぽつりともらした本音に江渡貝は鶴見の顔を見る。
「うん……僕、焦っていたのかもしれないです」
「焦る?」
何に焦っているのだろう。男子高校生の考えることはよく分からないと鶴見は江渡貝に訊き返す。
「鶴見さんともっとキスしなきゃとか、えっち……最後までしなきゃとか」
あぁ、そういう年頃か。鶴見は妙に納得しながら江渡貝の頭に手を置いた。たしかに高校生くらいの子は経験の有無や進捗を気にする傾向にある。まだ説明しないと分からないか、と鶴見はふぅと息を吐く。
「最後までは、やっぱりすぐは難しいよ。江渡貝くんの身体が傷ついてしまったら私は嫌だったから、まだ触れ合って気持ちよくなったり、ちょっとずつ進めていった方が良いと私は思う。だめかな?」
鶴見の言葉に江渡貝は首を傾げた。江渡貝はまだあまり男同士でのセックスの進め方をしらないのかもしれない。
鶴見は江渡貝が持ってきた鞄にもコンドームが入っていたが、肌を合わせた時の様子から経験が浅いだろうと推測した。
「あー……そうだ、私の本棚に」
「あ!」
江渡貝のしまった、という顔を見て鶴見は江渡貝が本棚のヒミツのコーナーを見てしまったのだと察する。見られても良いのだが、少々恥ずかしい。
鶴見は持ってきた本のカバーを外すと男同士の性行為の本が入っていた。
一番まろやかな表現のページを指し示せば、江渡貝は「おぉ」と低い声を出した。
そして静かに本の表紙を閉じると「ゆっくり、進めましょう……!」と言うと鶴見の手を強く握った。

「そうだ、江渡貝くん」
鶴見は話題を切り替えるように立ち上がった。
「実は、本日最後のお楽しみ、鶴見先生のお家でアフタヌーンティーを開催しようと思いまーす」
教師らしく、でも少しおどけた調子の言い方が面白くて江渡貝は思わず噴き出した。
きらりと目から星を出して言う鶴見に江渡貝は「アフタヌーンティー?」と訊き返す。
「ふふふ、今日のためにお家で簡単アフタヌーンティーセットを用意したんだ」
お家でアフタヌーンティーセットですって、と言わんばかりに江渡貝も目を光らせる。
今まではちょっと高いホテルやカフェでなかなか手を出せなかった憧れのアフタヌーンティーだ。
「うふふふっ、何それ、嬉しいですっ!」
怪しげな笑い方も江渡貝の気分が昂っている時の特徴だ。
ここまで素直に喜ばれると自然と鶴見まで嬉しくなってしまう。
「まだ午前中だから、十二時過ぎてお腹がすいてきた頃に食べたいね」
そう、時間はまだ早い。ゆっくり朝食を食べ過ぎた、というのもあるのだが、名前の通り午後から開催すべきであろう。
「準備は何をすればいいです?」
江渡貝の質問にも鶴見はすらすらと答えた。江渡貝が家に来ると決まった日から計画していたのだろう。
「焼き菓子とかお菓子は準備してあるから準備は必要ないかな。あとはサンドイッチとつまめるものがあれば最高だね」
「最高!」
二人は同時にうふふふと笑う。鶴見のそれは、江渡貝のモノマネだ。
「きっと楽しいかなって」
「うん、きっと楽しいです。それに、焼き菓子……」
昨日から贅沢ばかりしていて、僕大丈夫かな、と腹を擦りながら呟く江渡貝に対して鶴見は江渡貝をよしよしと抱きしめながら「大丈夫だよぅ」と甘やかす。
「太っちゃったら鶴見さんのせいですからね」
江渡貝はツンツンと鶴見のわき腹を突きながらそっと、鶴見の肩に寄り添った。
あ、そうだ。と鶴見は言うと食器棚から三段重ねのケーキスタンドを持ち出してきた。
「段々のお皿も実は買っちゃった」
「ひゃ、高そう」
江渡貝はそう言って、遠めにケーキスタンドを眺めた。
「ううん、千円しないから……」
苦笑いしながら鶴見はケーキスタンドの縁を叩いた。
「持ってみて」
鶴見は江渡貝にケーキスタンドを差し出した。渡されたものを恐る恐る持ってみれば、軽い。プラスチック製のもののようだ。江渡貝はケーキスタンドを鶴見に返しながら口を開く。
「いいなぁ、これなら毎週アフタヌーンティーができちゃいますね」
「うん、来週もうちに来るかい?」
「いいんですか?」
「もちろん。外食ばかりじゃお金もかかるし、ここなら堂々と君と」
そこで鶴見は口をつぐんだ。その先に続く言葉があるのならきっとこうだろう。
「恋人同士らしく過ごせる、ですか?」
どこでそんな言葉を覚えてくるのやら、と半分呆れながらも鶴見も江渡貝に自分の言葉を重ねる。
「あぁ、人目も気にせずに」
人目も気にせずに、と鶴見が言った瞬間江渡貝はちらりと鶴見の方を見た。
「あの、鶴見さん。お願いがあるんですけど」
やはり江渡貝はもじもじと両手で服の裾を持っている。何かお願いがあるのだろう。
「うん、なんだい?」
「やっぱり来週は表参道とかお外デートにしましょう」
来週もお家デートがしたいのかな、と考えていた鶴見は意外そうに江渡貝の声に耳を傾けた。江渡貝は頬を紅潮させて話し始める。
「ぼ、ぼく……ひらひら着てきてもいいですよね? そ、それでなら、鶴見さんと少しは恋人らしく振舞っても変じゃないかな……って」
江渡貝はそこまでを一息で言うと、しゅんと下を向き小さな声で続けた。
「やっぱり、そんなの嫌ですよね。こんな女装した人間となんて」
先日、他人から言われた言葉で、心を傷つけてしまったのだろう。江渡貝は寂しそうに言った。初めて遭遇した時に、気弱に歩いていた江渡貝の姿を思い出した。
鶴見は、あのファッションの江渡貝ももっと見たいと思っていた。だんだんと会うたびに気弱そうなイメージはなくなり、自信をもって麗しく歩いている江渡貝の姿が好きだった。しかし、やはり、目立つものは目立つ。
目立たずにでも、江渡貝と外デートを楽しむのならばどうすればいいか。鶴見には一つだけ策があった。
「ただ……やはりいちゃいちゃすると目立ってしまう気もする。だから、いい案があるんだ。江渡貝くん、来週は表参道の北口で待ち合わせしよう」
「え、ん? いいんですか?」
だめだ、と言われると思っていたのだろう。江渡貝はぽかんとした顔で返事をした。
「ふふ、私のスイーツ脳を舐められちゃ困るね」
もっとも昨晩、江渡貝は鶴見のスイーツ脳の脳汁を舐めている。
しかし、江渡貝には鶴見の妙案とやらはまったく分からなかった。
「まぁ、妙案は来週までに考えておこうかな」
「はい」
一体何を考えているのだろう、と言いたげに江渡貝は鶴見を見る。
「それは来週までのお楽しみかな。今は、とりあえずアフタヌーンティーに向けてサンドウィッチでも作ろうか?」
ジャーンと言いながらケーキスタンドを掲げる鶴見に江渡貝も頬を緩ませた。
鶴見はサンドウィッチ用の薄切りの食パン、生ハム、グリーンカールにスモークサーモンを用意していたらしい。丁寧にそれらを並べると江渡貝の隣に近づいた。
「何か食べられないものはある?」
「全部美味しそうです……!」
江渡貝は見慣れぬ調味料や、すでに綺麗に切られているピクルスとブラックオリーブを見て、大人みたいだと感動していた。
「そうだなぁ、じゃぁ、こっちのパンはオーブンで四分ほど焼いてくれるかい」
「はーい」
「それから、このパンには薄くバターを塗ってくれる?」
「了解です!」
江渡貝がパンを焼いたり、バターを塗ったりしている横で鶴見は可愛らしい皿にミニサラダを盛り付けていた。丸く盛り付けられたポテトサラダにこしょうを少々。ベビーリーフを飾り付けたサラダはカップケーキのようだ。
そんな様子を見ている間に食パンは焼けたらしい。ミトンを付けて食パンを取り出した。
「焼けました!」
「こっちはサーモンのサンドウィッチ。こういう風に並べて……」
鶴見に教わる通りにサーモンを並べていくトーストした食パンを重ねた。それから鶴見はバターを塗ったほうのパンに手を伸ばした。
「こちらはハムのサラダ」
鶴見が江渡貝に示したハムは食べる機会のないタイプの生ハムだった。生ハムの隣にはスーパーでよく見かける特価のレタスではない、小綺麗な生野菜が並んでいる。
「生はむ」
「ふふん、ちょっと贅沢しちゃった」
「鶴見さん……すきっ!」
ぎゅっと江渡貝は急に鶴見に抱き着くと、ぱっと離れた。
「んもう、江渡貝くんったら」
そう言いながらも鶴見は鼻歌交じりに生ハムを並べていく。江渡貝は小綺麗な生野菜、グリーンカールの水気を取りながら、その上に乗せていく。
「どうして鶴見さんはそんなにこんなに良くしてくれるんですか?」
ふんふんハミングしながら江渡貝は鶴見に何気なく尋ねた。
「え、えっと……そりゃ、おもてなし?」
少々誤魔化しながらの返答に江渡貝は「おもてなしですか?」と聞き返す。
鶴見は生ハムのサンドウィッチにも蓋をして、サーモンのサンドウィッチと重ね合わせた。その上にまな板を置いてしばし時間を置く。
江渡貝の質問に鶴見は時間をおいてから、ゆっくり息を吐き出すように答えた。
「……江渡貝くんを好きだから」
「あ、え、えっと」
それを聞いた途端江渡貝は挙動不審に目をきょろきょろさせて、空いた手をふわふわ動かした。昨日何度も言われた言葉だが、鶴見が照れながら言っているとなんだか心がむずかゆかった。ぴこぴこしながら挙動不審になってしまった江渡貝に鶴見は言う。
「もぉ、江渡貝くんが大好きなんですよー」
再び正面から言われ、江渡貝は思わず、鼻息を荒くした。
「もう、サンドウィッチは切っちゃうからね」
鶴見は良い塩梅に出来上がったサンドウィッチを四等分に切っていく。
すでに耳のついていないパンを使っているためその作業は省略だ。
鶴見はざくざく慣れた手つきでサンドイッチを三角形に切っていった。
「これでよしっ!」
鶴見は菜箸を持つと、ケーキスタンドの一番下の段にサンドウィッチを乗せていった。
空いたスペースにポテトサラダ、それから、いつの間にか鶴見が下ごしらえしていたピックに刺さったピクルスと黒オリーブが飾られていく。
一旦鶴見は調理に使っていた包丁やまな板を片付けると、冷蔵庫から小綺麗な箱を取り出して江渡貝に差し出した。
「開けてごらん」
消費期限のシールをはがして中を覗けば、アフタヌーンティーにちょうどいいサイズの小さなケーキが数種類入っていた。また、鶴見がもう一つ取り出した紙袋には、スコーンが二つ入っていた。
「江渡貝くん、それを二段目に飾ってくれるかな」
鶴見に頼まれると江渡貝は嬉しそうに頷いて、ゆっくりとケーキを並べていった。
赤いフランボワーズの香りのするムース、正方形で一口サイズのチョコレートケーキ。
薄黄色のレモンのクリームが乗ったミニタルトの三種類だ。
「こうしたら可愛いかな……」
江渡貝は、お洋服みたいだな、とケーキやサンドウィッチの並びを見ながら考えていた。
華やかなケーキの間にあえてシンプルなスコーンを並べる。まるで色々なジャンルの洋服屋のショーウィンドウを見ているような気分だ。
「できました!」
「うん、ありがと! 並べ方も可愛いね」
鶴見はそう言うと小さな小皿三種を用意していた。
ジャジャーンと言いながら見せてきたものはクロテッドクリーム、バターに苺ジャムだ。
「クロテットクリームは通販で買ったやつだけどね」と付け加えながら鶴見はその三つをテーブルへ運んで行く。
「そうそう、一番上にもお菓子を乗せないとー」
江渡貝くん、冷蔵庫あけて、ピンクの箱をだして、と鶴見は言った。
人の家の冷蔵庫を軽率に覗いても良いのだろうか、と思いながら江渡貝は鶴見の冷蔵庫の持ち手を取った。
鶴見先生はおしゃれだし、中にミネラルウォーターしかはいっていなかったらどうしようと江渡貝は不安に思う。バタンと冷蔵庫を開けてみれば、冷蔵庫は雑然としており、何故か常温保存可能なスナック菓子まで入っていた。
鶴見の言っていたピンクの箱は江渡貝のすぐ目の前に鎮座していた。
よく見れば、この箱の外側に印刷されているロゴはスイーツで有名なお店の箱だ。
その上にも小さな茶色い箱が一緒に置いてあった。こちらは以前鶴見と一緒に行った軍曹のような店員のいたカフェの名前が印刷されている。
これも一緒に食べるのかなと江渡貝はそれも出しておく。
戻ってきた鶴見は江渡貝に微笑みかけると、両方の箱を開いた。中に入っていたのは、可愛らしい苺とピスタチオのマカロンだった。
それから、茶色い箱の方には真っ赤なハートのショコラ、それからシンプルな茶色いショコラだった。
「ちょっとお菓子が多すぎたかな……」
「普段の鶴見さんはもっと食べていますよ」
江渡貝の突っ込みに鶴見は渋い顔をしてみせる。
「甘い物たくさん食べたって良いと思いますよ。鶴見さんは僕の好きなものを初めて認めてくれた人だから」
「江渡貝くぅん」
そして、鶴見はきゅるんとした顔をして見せた。拗ねたような顔も似合う四十代もそうなかなかいないだろう。
最後の段は二人でじゃれ合いながらマカロンとショコラを乗せていく。
沸騰した湯を温めたポットに入れた鶴見は満面の笑みを浮かべている。
鶴見は慎重にテーブルにケーキスタンドを運び、その後ろを付いていくようにして江渡貝はティーポットとティーカップの乗ったトレイを持つ。
これで、アフタヌーンティーの準備は完了だ。
「それでは……」
鶴見は重いトーンで話し始めた。
「はい」
江渡貝もそれに合わせるようにして、ゆっくりと返事をした。
「では、いただきます」
二人は息を合わせるようにして言った。
アフタヌーンティーは基本的に下の段に軽食が置いてあるため、下の段を食べてから次の段へ、次の段を食べてから次の段と食べていくことがマナーであるらしい。
置いてあるスイーツ等も二口でいただくなどのルールもあるらしいが、そこまでのマナーは求めずに進めていくのが鶴見と江渡貝のアフタヌーンティーだ。
「鶴見さんのサンドウィッチ~」
江渡貝は鶴見が先ほど作っていたサンドウィッチに手を伸ばした。
江渡貝はサンドウィッチを小皿に乗せ、にこりと笑顔を作り、スモークサーモンのサンドウィッチを一口口にした。焼いたパンに燻製された薄切りのサーモン。どうしてこちらだけパンを焼くのだろうと疑問に思っていた江渡貝だったが、食べてみて、納得した。
燻製された香りとトーストされたパンの香りが非常に合う。恐らく、大人であれば酒のつまみにも合うような少し濃い目の味付けだ。もう一口、大きく口をあけて江渡貝はサーモンのサンドウィッチを食べ終えた。
もう一つの生ハムのサンドウィッチにも手を伸ばす。こちらはきめ細かいしっとりしたパン生地に生ハムと葉野菜が丁寧に挟まれていた。ふわりと柔らかに香るのはハムの香りだ。そこにツンとしたグリーンカールが香ってくる。
コンビニで食べるようなハムとレタスのサンドウィッチとは違う香りに、江渡貝はどきどきしながら口付けた。
柔らかなパン生地の次に歯に触れるのは、グリーンカールのしっかりした食感だった。
そして辿り着く生ハムは柔らかく、塩気が心地よく舌の上に広がる。
しっかりと噛み締めれば薄く塗ったバターの甘味も感じられた。鶴見が用意していたどこまでも優しい味に江渡貝は食べることに夢中になってしまいそうだった。
「はぁ……鶴見さん、美味しいです」
「うふふ、ありがとう。そんなに蕩けた顔で言われると嬉しいなぁ」
鶴見はぽりぽりピクルスを齧りながら言った。
きっと世界一の一流ホテルでだってこんなに美味しいものは作れない。江渡貝はそう思ったが、なんだか大げさな気がして、その言葉は心の奥にしまっておいた。
江渡貝の心に生まれたこの気持ちは、まさに鶴見が江渡貝の服装に魔法をかけた時と同じことが起きている。
世界一美味しい、江渡貝がそう思えば鶴見にとっては何気ないサンドウィッチであっても世界一美味しいものになる。
「僕も」と江渡貝は鶴見の真似をしてピクルスを齧る。
愛おしい。鶴見がこんなに愛おしい人に出会ったのは人生ではじめてのことだった。
もしも、江渡貝と共に暮らすことができたら、恋人でもあり家族のようになれたら幸せだろう、と鶴見は考える。
「江渡貝くん」
鶴見は軽い調子で江渡貝の名を呼んだ。お菓子の乗った二段目の皿を物色するふりをしながら江渡貝の「なんですか」の返事を聞く。
「いつかこのままこんな風に一緒に暮らしたいね」
鶴見はチョコレートケーキをうまく皿に移しながらそう言った。その手は少し震えていたせいだろう、チョコレートケーキは横に倒れてしまっていた。
江渡貝もチョコレートケーキを皿に取り、一息つくと鶴見の方に身を乗り出した。
「いつか……いつかっていつです?」
できれば今すぐにでも、と答えたいところだが生徒と同棲しているのは問題が大有りだ。
少なくとも鶴見がこの学校を去る、もしくは教師をやめるか、江渡貝が卒業するまでは同棲するのは難しいだろう。
「来年卒業だったっけ……」
鶴見は江渡貝に確認する。来年の春ごろに引っ越しならば気分も晴れやかかもしれない。できれば、江渡貝が鶴見のマンションに越してきてもらうのが早いのかもしれない。
「そうです」
江渡貝はケーキを食べながら答えた。皿の上のチョコレートケーキは残り半分になっている。
「あと少しかな。春、卒業式が終わってから」
「春ですね」
江渡貝は残り半分のケーキを食べている。黙々と食べている。部屋の中の静けさに鶴見は不安を覚える。とん、と皿を置いた江渡貝は顔を上げ、江渡貝は笑った。そこだけ春が来て花が咲き始めたような雰囲気が漂っていた。
「鶴見さん……僕も鶴見さんと一緒に暮らしたいです。僕たち、結婚はできないけれど、一緒に過ごす時間が長ければいつかホンモノの家族になれるかもしれないなって思うんです。家族っていうか恋び……うぅっ、はずかしい!」
ポンと江渡貝の周りには花が咲いているように見える。学校内にいる間は表情を表面にあまり出さない子なのだろう。あまり何を考えているのか分からない生徒だった。
江渡貝をよしよししながら鶴見は江渡貝のつむじを見た。
鶴見から見て、江渡貝は学年一位という成績だけが特別目立っているくらいだった。
しかし、江渡貝はこうして表参道で会うようになっていても、成績はまったく変化がない。相変わらず学年トップ、ほとんどの教科で満点、しかも全国模擬試験でも上位に食い込んでいるばけものじみた一面だ。これは鶴見が江渡貝に驚いていることの一つだ。
「そういえば大学は県立の大学を受けるんだっけ?」
「うふふ、そうです。色々やりたいことがあるから楽しみです」
服飾系に進むのかと思っていた鶴見だが、意外にも江渡貝は経済系に強い大学に進むことに決めていたようだ。
「あの大学ならここからも近いね」
鶴見は江渡貝からの次の言葉を引き出すためにずるい台詞を吐く。
「そうですね、あの……」
江渡貝は遠慮がちに鶴見を見た。ケーキを食べる手は止まっている。
「鶴見さんと一緒に暮らす話……本当に一緒に暮らしたくって」
江渡貝はもじもじしながら続けた。
「お家の生活費とかアルバイトするし、あの、あの……」
しょうがないな、と呟いて鶴見は江渡貝の言いたい言葉を先回りしていってしまう。もっとも、鶴見から江渡貝との同棲について話したかったのだが。
「高校を卒業したら、私のここの家に一緒に住まないかい?」
鶴見の言葉に、混乱していた自分を落ち着けるためだろう。江渡貝は残りのチョコレートケーキを食べて、スコーンを一口分食べて、最後に紅茶を飲んだ。
混乱し百面相をしているような状態の江渡貝を眺めながら鶴見は気長に江渡貝の返事を待つ。クロテットクリームを塗ったスコーンを片手に持ち、切り分けもせず、そのまま齧りつきながら江渡貝のことを眺めている。
「は……はいっ、お願いしますっ!」
江渡貝はピンと腕を張り鶴見の方に手のひらを差し伸べた。しょうがない子だ、と内心思いながらも、鶴見は江渡貝の手を握りゆるゆると振って見せる。
「春が楽しみだね」
鶴見がそういうと、江渡貝は口の端にジャムを付けたまま目を潤ませて、何度も何度も頷いた。
「付いてる」
鶴見は江渡貝の口の端のジャムを人差し指で拭った。すると、昨日の夕食時に鶴見が、江渡貝の口の周りの食べこぼしを食べてしまったのを思い出したのだろう。
江渡貝は鶴見の手を取ると、人差し指を自分の口に入れた。
「え、えどがいくぅん?」
果たしてどちらの行動の方が恥ずかしいのだろうか。
鶴見に声を掛けられ、江渡貝は我に返った。人の指を口に含んでジャムを舐めるなんて、はしたない!
江渡貝は顔を真っ赤にして両手で自分の顔を覆った。
「ご、ごめんなさい」
「いや……ちょっとびっくりしただけ」
まさか別の事を考えてしまっていたとは言えず鶴見は赤面を隠すように頬杖をついた。
「それにしても、このスコーン美味しいね。そのジャムも美味しそうだし私もジャムで食べてみようかな」
変な空気を変えるように鶴見は話始める。江渡貝もそうですよね、とスコーンにクリームをつけたり、バターをつけたりして楽しみ始めた。
二段目の最後に食べるのはレモンの香るチーズタルトだ。ここまでくるとゆっくり紅茶を飲みながら食事をしているということもあり、腹が満たされつつあった。
それでも小皿にタルトを乗せ、香りを嗅いでしまえば、喉がごくりと鳴り唾液が口の中を潤していく。
そっとナイフとフォークで切り分ければ、しっとりしたタルト生地に中のレモンチーズのクリームの断層が美しく江渡貝たちに食べられるのを待っていた。大きく口を開け、そっとその柑橘の貴婦人を口に誘い入れる。
はじめに香るのはマスカルポーネチーズの酸味の強い香り、そこに混ぜてあるレモン果汁が遅れて香ってくる。そして噛み締めればサクサクしっとりのタルト生地。また、中のクリームには刻んだレモンピールが入っている。
レモン特有のほろ苦さも感じる。
色々なやさしさを混ぜ込んだようなタルトは気が付けば無言であっという間に食べ終えてしまった。鶴見と江渡貝はお互いに顔を見合わせると、「これは次も食べたい」という思いを込めて力強く頷いた。
気が付けば、あっという間にケーキスタンドのお菓子は残り一段になっていた。
最後のドルチェにぴったりな赤い苺と緑のピスタチオのマカロン、そして大人の彩を添えているショコラだ。
「ふぁ、マカロン!」
マカロンは値段の高い部類のお菓子だ。それから、マカロンに並んで置いてあるショコラも一粒あたりの値段は高く、江渡貝のような子供にはなかなか手が出ない。
「どれから食べようかぁ?」
鶴見はじっと舐めるようにお菓子を眺めている。江渡貝は目をきょろきょろさせながらも、視線は赤いマカロンの方を向いている。
「江渡貝くぅんは苺のマカロンが気になる?」
「え?」
江渡貝は鶴見に食べたいマカロンを言い当てられびくりと反応する。どうして、と言いたげな表情を拾った鶴見は緑のマカロンに手を伸ばしながら言った。
「ずっと赤いマカロン見ているから、かわいいなって思って」
そう言うと鶴見は緑の……ピスタチオのマカロンを一口食べた。
見た目に反して柔らかなマカロンを齧り、真ん中のガナッシュにたどり着く。
ピスタチオの風味のきいたガナッシュが舌の上に香る。ナッツの女王と言われているだけにやはり、オーソドックスなフレーバー選びをしてしまったが、ピスタチオのマカロンは美味しい。
「ふぅ」
鶴見はため息を吐き、マカロンの風味の余韻を楽しんでいる。
江渡貝も同じくして、苺のマカロンを口にした。
このお菓子は一ついくらなんだろう。と思いながらも苺の香りに誘われて江渡貝はマカロンの端に口づけをした。
さくり、と一口食べる。マカロンとガナッシュの独特の粘っこい食感に続き甘味が口の中いっぱいに広がった。鼻を突き抜けるのは甘さよりも、本物の苺らしさを残した新鮮な苺のガナッシュ。
江渡貝も鶴見のようにこのマカロンを食べ終えるとふぅ、とため息を吐いた。
お互いに次は別々のマカロンを食べ、その余韻を楽しみながらお茶を飲む。
愛する者同士で同じ時間、同じ味を楽しむ幸せを噛み締めながら二人はアフタヌーンティーのお菓子が残り一種類のショコラのみになっていることに気が付く。
時間もそろそろ三時を過ぎる。学校で会うことはできるがその間は恋人のようにふるまえない。シンデレラの物語を思い出しながら、江渡貝はチョコレートを口にした。
ぱり、と甘いミルクチョコの中にはビターで硬派な和を感じさせる味がした。初めて鶴見とデートをした時に食べたショコラの店のロゴが入った袋を思い出す。
「これは……」
「うん、ハジメツキシマのショコラ」
江渡貝が目を丸くしているのに対して鶴見はご機嫌に答える。
「おいしい」
ハジメツキシマのショコラは和をコンセプトにした商品が多いが、ロシアをイメージしたものもあるらしい。
「江渡貝くん、そっちの赤いラインの乗っているショコラを食べてごらん」
「赤いやつ、ですね?」
こちらは冬のように硬めのチョコレートだった。
少しほろ苦く寂し気な味だ。
しかし中に入っているガナッシュは二層になっており、紅茶の香るビターチョコレートの中にはさらにジャムが入っている。
「ジャムと紅茶。朝ご飯みたいで可愛いです」
江渡貝の素直な発想に鶴見は小さく笑いながらも、その質問に答えた。
「これは、ロシアに留学していた月島が思いついたものなんだ」
ロシアにはロシアンティーというものがある。来客に振舞われることが多く、濃い目に抽出した紅茶にジャムを好みの量で加えて飲むものらしい。
「楽しく団欒したいから、そんなチョコを選んでもらったんだ」
鶴見はそう言いながら最後の一つのロシアンティーのショコラを食べた。
紅茶を飲みながら鶴見は時計を見た。
「江渡貝くん、もうそろそろ時間だ」
美味しいものを食べて、楽しく過ごし、お互いの想いが通じ合った。
男性同士のセックスとしてはやや物足りないもののお互いの肌を合わせ同じ朝を迎えた。
これから家でまた一人の時間がくるなんて、学校で会えるのだとしても寂しさがこみ上げてくる。だが、江渡貝はきりっと眉をあげて答える。
「はい、でも、僕大丈夫です」
江渡貝は言葉を続ける。
「だって、春が来たら鶴見さんとずっと一緒に居られます。それに、鶴見さんは僕のことが好き、僕は鶴見さんのことが好き。これだけで幸せだなって思ったんです」
江渡貝の言葉に鶴見も頷いた。鶴見こそもしかしたら江渡貝よりも寂しがりやかもしれない。
江渡貝は椅子から立ち上がり、とことこと鶴見のそばに寄る。
「僕、帰る用意します」
そう言うと江渡貝は鶴見の肩をきゅっと抱きしめて頬に唇を寄せた。
「うん……」
突然の江渡貝の行動に呆然としながら鶴見は江渡貝の後姿を眺めていた。
一泊分の荷物を持った江渡貝は鶴見の前に現れた。自分の子供のはじめての遠足を見守るような、何とも言えない寂しさが鶴見の胸にこみあげてくる。
「鶴見さん。すごく、幸せな……その、お泊りさせてくれてありがとうございます」
玄関の方に江渡貝はどんどん進んで行ってしまう。
「一度だけ……!」
鶴見は思わず江渡貝の肩を引いて、そのまま身体を抱きしめる。
「鶴見さん、甘えんぼさんですね」
「うん」
「学校ではこんなこと、しませんからね?」
そう言うと江渡貝は鶴見の唇に自分のそれをくっつけた。
まだ慣れないキスをする。
少しだけ絡めた舌の感触がしっとりと鶴見の口の中に残っている。口の端に零した唾液を拭きとりながら江渡貝はとろりとした目で鶴見を見つめた。名残惜しいがもう時間だ。
「マンションの下まで送って行くね」
「はい!」
鶴見は江渡貝のキスで充電されたのだろう。少し元気な様子で江渡貝を送り出す。
鶴見は江渡貝の帰る姿をマンションの中から江渡貝の姿が見えなくなるまで見つめていた。
江渡貝のいた部屋はまだ彼の温もりがあるように感じられる。
忘れ物はないかな、と部屋を見渡せば、小さな封筒が一通入っていた。スマートフォンから写真に現像したのだろう。封筒には鶴見さんへ、と書いてあった。
今までに二人が出かけた先の写真が入っていた。
鶴見はそれを眺めて、にやにやと笑う。
そして、スマートフォンを取り出すと江渡貝に連絡をとるのであった。

流行の発信地、若者の集う街といえば、原宿である。
竹下通りからしばらく歩いていった先にはラフォーレ原宿、さらに降りていけば表参道に繋がっている。
今は土曜日の昼時だ。多くの学生や社会人が街中で休日を過ごしている。

鶴見は江渡貝との約束通りに、北口に立っていた。
今日の鶴見は帽子をかぶっていない。額に当てているプロテクターは丸見えで、皮膚の剥けた状態の顔面も気にせずに出していた。鶴見は江渡貝を待ちながら初めてここで江渡貝と出会った時のことを考えていた。
すれ違った瞬間吹いた風に鶴見の帽子はさらわれてしまったのだが、その帽子を拾い上げてくれたのが江渡貝だった。
江渡貝は鶴見の勤める高校の生徒だった。しかし、普段教室で見かける彼とはまったく違う風貌をしていた。
誰もが振り返ってしまうような、お姫様のような恰好をしていたのだ。いわゆるロリイタファッションという服装だ。二人は次第に仲良く表参道でスイーツ巡りをしており、いつの間にか恋仲になっていた。
鶴見が今日、帽子を被っていないのは江渡貝が、この額も好きだと言ってくれたからだ。
鶴見は江渡貝を愛している。だから江渡貝を見ていたい。顔も姿もすべてが好きだからだ。江渡貝もまた、鶴見を愛してくれている。だからきっとこの姿で街中を歩いていても江渡貝は受け入れてくれるだろう。何せ江渡貝も目立つ格好をしているし、お互い様だからだ。
鶴見が過去の出来事に思いを巡らせていると、江渡貝の明るい声が鶴見を呼んだ。彼は自分の声を気にしているようだが、江渡貝自身がコンプレックスに思うほど低い声ではない。違和感のない可愛らしい声だ。
今日の江渡貝のコーディネートはミントブルーのスカートにチョコレート柄の入ったジャンパースカートだった。
胸元にはシンプルな同系色のリボン、それからビスケットの形をしたネックレスを着けている。ウイッグはもともとの毛色と同じ色のブラウンのボブスタイル。
薄桃色のヘッドドレスには金平糖のようなモチーフが散りばめられていた。江渡貝曰く薄桃色ではなくピンクのコットンキャンディーカラーのヘッドドレスらしい。真っ白なニーハイソックスに、ミントブルーのオデコ靴。肩にかけたビスケット型の鞄も愛らしい。
「鶴見さん……えっと、お待たせしました」
えへへ、と笑う江渡貝は、薄紅色のアイシャドウ、ブラウンのつけまつげ、ピンクベージュのリップを顔に装備している。
「あれ、鶴見さん」
「ん?」
江渡貝は鶴見の頭上を指さした。
「今日はお帽子なしの日なんですね」
「あぁ、うん。実は帽子をそこまで好きじゃなくってね。この額を隠すように被っていたんだけど、江渡貝くんといたら、そんなのどうでもいいと思えたんだ」
「僕が奇抜だから?」
「違うよ。勇気をもらったというか……君がこの額も好きだと言ってくれたから」
「ふ、ふぅん、そんなこと言いましたっけ」
江渡貝は挙動不審に目を泳がせながら答えた。
時々、挙動がツンデレになる江渡貝はまるで小動物のようだ。鶴見は笑いながら、江渡貝の手を掴んだ。鶴見は指先を握りこみ、江渡貝の顔を覗いた。
「今日はこうして行ってもいい?」
「もちろん!」
目立つ二人は表参道の石畳を進んでいく。江渡貝は見慣れた街並みだが、一つ気になることがあった。
「そういえば、今日はどこに行くんでしょう?」
鶴見は右の口角をにやりと上げると空いている手の人差し指を唇に当てた。
「お店に着くまで秘密!」
鶴見に連れられ歩いていくと、記憶に残っている店の並び、生えている樹木の間隔、初めて鶴見とこの道を歩いた時よりは春が近づいている世界が見える。
鶴見と表参道のあちらこちらを散策した日々を思い出しながら歩いていると、鶴見の足が止まった。
「着いたよ。江渡貝くん」
「あ、ここって」
江渡貝の目の前に建っていたのは二人がはじめて出会って、はじめてお茶会をしたカフェだった。
「ここなら君とゆっくり過ごせると思ったんだ」

しかし、ここはチョコレートの名店である。今日のような休日は広い店内だが混雑しているのではないだろうか。不安げな江渡貝の様子に気付いたのだろう。鶴見は江渡貝に耳打ちする。
「大丈夫。今日は二人でゆっくりできるから」
そう言って鶴見は江渡貝の手を引いたまま店の中へ入っていった。
店内にロリイタファッションの人はおらず、やはり店に入った瞬間人の視線を感じた。それでも鶴見は江渡貝の手を離さずに握っている。
受付のスタッフに鶴見は話しかけた。すると、店の奥から、前回合った軍曹のような男が現れる。彼こそここの店を建てた男、月島基である。
いかついショコラティエに、背の高い中性的なロリイタファッションの人間、額に妙なプロテクターをした怪しげな男三人が集い、カフェの客の視線が少々こちらに集まっている。
しかし鶴見も月島もその程度の視線は気にしないタイプらしい。
「予約のお席、取れておりますよ。鶴見さんがここの席を予約するなんて」
「ふふ、大切な人とゆっくり過ごしたくてね」
あぁ、と月島は二人の手元を見てにこりと笑った。
「今日もゆっくり過ごしてください。まぁ、六時頃には閉店なので、その前には出て頂きますけどね」
朗らかに笑いながら月島は言う。
一見、怖そうな顔をしているのだが、笑顔になったとたん目元にきゅっと皺が寄る。よく笑う人なのだろう。
「それでは……」
月島に連れられ、店の奥の方に連れられて行く。
スタッフの出入り口でもあるのだろうか、という廊下にたどり着いた。
すると、月島はその廊下の壁に触れる。よく見ればそこには目立たないような取っ手が付いていた。その隣にも似たような部屋があるらしい。
「どうぞ」と月島が部屋を開ける。
そこには小さいながらもティールームが用意されていた。中に入れば外の庭園が見えるように一面だけガラスが張られている。
「お席は……」と月島は江渡貝たちの椅子に視線を遣る。しかし、鶴見はくすくす笑うと手を椅子の背もたれにかけ、座ろうとしながら口を挟んだ。
「あぁ、気にしなくていい。勝手に座らせてもらうよ。そんな風にかしこまられると緊張してしまう」
確かにそれもそうだ、とでも言わんばかりに月島は一度目を大きく開くと、一度頷いて不器用な笑みを浮かべた。
「わかりました、ではお水を……」
月島はぺこりと頭を下げると一旦個室を後にした。
江渡貝と鶴見は二人きりになる。控えめに流れるクラシック音楽が少々気まずい雰囲気を作り出す。
先ほどまで二人で話しながら歩いていたというのに、不思議なものだ。
机の上を見れば、サックスブルーの冊子が置かれていた。
メニューだと思って江渡貝が眺めていたのはアフタヌーンティーに出てくるオードブルやケーキが書いてある。
飲み物はフリードリンク制らしい。よく見かける紅茶や、ジュースなどのドリンクから好きに選びべるようになっている。
「鶴見さん、これ……すごい」
折角の個室だということも忘れ、江渡貝はこそこそ声で鶴見に囁いた。
「うん」
そういえば、と江渡貝は小首を傾げた。
「ところで月島さんはどうして軍曹なんでしょ……」
鶴見が答えようとした瞬間、トントンと個室の戸が叩かれた。
静かに戸が開くと「失礼します」と月島が水の入ったグラスを運んできた。
どうぞ、と月島はコースター、グラスを置いていき、再び部屋の出入り口へと戻る。
「ドリンクが決まりましたらそこのボタンを押してお呼びください」
「はーい」
鶴見はのんびりした調子で返事をしながら江渡貝の質問への答えを話しはじめた。
「月島は学生時代も丸刈りで、それも結構な筋肉質な子だった。そんなある時、クラスメイト同士の喧嘩が始まった。それを制裁しに行ったのが私と月島なんだが、喧嘩にコンクリートブロックを持ち出していてね……。月島はそこで腹を、私は頭を思い切り怪我をしたんだ。だが、月島はそれでも大声で怒鳴ったものだから、軍曹というあだ名がついたみたいだよ」
鶴見はそう言うと懐かしそうな表情をしていた。
「だから、ほら、私の頭はこんな風にズル剥けおでこだよ」
そんなことがあったのか、と江渡貝は鶴見の額を見つめた。
江渡貝の愛した額にはやはり鶴見なりの歴史が刻まれていたらしい。
「あ、そうだ鶴見さん。ドリンクは何にしましょう」
いつまでも額の話ばかりするのも変だろう。話を変えるように江渡貝は鶴見に尋ねた。
江渡貝はコース表の裏に出ているドリンク一覧を鶴見に見せながら言った。ドリンクの乗っている冊子は一組しかないらしく、このままでは見えにくい。
江渡貝はついに、勇気をだして鶴見に訊いた。
「あのぉ、鶴見さんのお隣に座ってもいいですか……?」
「あぁ、そうだね。見えにくいし、折角個室だし」
「は、い……」
分かりやすく照れる江渡貝の反応に鶴見の機嫌は上々だ。
す、っと椅子を動かして江渡貝は鶴見の隣に座った。二人で小さなメニューを見ていると肩が当たってしまう。それでも、心地好くて暖かくて嬉しかった。
「鶴見さん、僕はこれにします」
「じゃぁ私はこっちにしようかな」
鶴見は江渡貝の選んだ紅茶とは異なる、バニラの香るフレーバーティーを選ぶ。
「ピンポン押しますね」
「ピンポン……」
江渡貝のピンポンという言葉が妙にツボにはまったらしい。鶴見はくくく、と笑っている。
「うぅ、ピンポンですもん!」
江渡貝は分かりやすく頬を膨らましているが、鶴見との会話が楽しくて嬉しそうな話し声が小さな個室にぽんぽん浮かぶ。
「うんうん、いいから、押してしまいなさい、くく……」
江渡貝は半分にやけた目で鶴見を睨みながら、ボタンを押した。それから、江渡貝ははっとしたように鶴見に尋ねた。
「ぼ、僕たち離れて座ったほうが良いでしょうか……」
「別にこのままでいいと思うよ。それに私はこのままが良いし」
ぴたり、と鶴見が江渡貝に寄り添っていると、いつの間にか月島が個室の戸を開けて立っていた。江渡貝と鶴見の関係性にはそこまで介入する気はないらしい。江渡貝だけは慌てていたが、月島は二人の距離感は気にしていなかった。
「ドリンクのご注文ですね」
「あぁ、このピンクの紅茶と、紫の紅茶でお願いします」
「承知いたしました。南国風フレーバーティーとバニラのフレーバーティーですね」
「うん」
「それでは少々お待ちください」
再び月島は個室を出ていく。
「あの人ってすごく落ち着いていますね」
江渡貝の通う第七高等学校の大大大先輩くらいだろうか。
「あぁ、落ち着いているし、喧嘩は強いが悪さはしない。七高の良心とも呼ばれていたかな」
江渡貝たちをみても驚きもしない文鎮のような態度。
「なんか納得かもです」
江渡貝はそう言うとくふくふ笑う。それは、まるで月島が鶴見と自分との関係を認めてくれているようでうれしかったからだ。
「鶴見さん、僕たちふつうの恋人に見えていますかねぇ?」
江渡貝の何気ない質問に鶴見は顔を強張らせた。
「鶴見さん?」
数秒の沈黙の後、鶴見は口を開いた。
「そうだなぁ、江渡貝くんには謝らないといけないのだけれど、月島は我々の関係は知っているんだ。江渡貝くんが男の子だってことも。だからこそ、普段は予約の取りにくい個室も使わせてくれていて」
「あぁ……やっぱり、僕たちって普通には好きって言い合えないんですね」
江渡貝は自虐めいた笑いをうっすら浮かべた。
「僕、男だし、好きな服はこんな格好だし。せめて、普通のカジュアルな服装だったら鶴見さんと年の離れた友達って関係に見えたのかな」
「違うよ、江渡貝くん。そうじゃなくって、普通なんて、どうでもいいことなんだ、私には。君はどう見てもお姫様だし、私はその横を歩く額のおかしな男だ。でも、私はそういう君が恋人として隣を歩いてくれるのがいいんだ」
瞳に光が消えていた江渡貝は鶴見をまっすぐに見つめた。
「い、いいんですか?」
「うん」
「こんな変ちくりんでも好きでいてくれるんですか?」
鶴見は江渡貝の若くてまっすぐな物言いに気おされながらも「うん」と答える。
「僕、でも、大人になっておじさんになったら、ふりふりはきっと止めます。かわいくなくなっちゃっても……好きですか?」
「うん」と鶴見が答えれば、江渡貝は少々不服そうに続けた。
「んもう、鶴見さんからも言ってください!」
「ん?」
鶴見はわかっていながらも江渡貝の口から好きという言葉を聞きたくて、わざと聞き返した。
「だから……好き。って」
鶴見はにんまり笑うと江渡貝の頬をつんつん突きながら、江渡貝の茶色い瞳をのぞき込む。そして、戸惑うような瞳を捉えると低い声で言った。
「好き」
これで満足かな、と言いたげな表情の鶴見だが、乙女のように頬を紅潮させてうつむいてはにかむ江渡貝をみれば抱きしめたいと体が疼いた。
いい雰囲気だったのだが、トントン、とノック音が聞こえた。紅茶の準備ができたのだろう。
座席の位置が変わっているのに気が付いたらしいが、月島は気にすることなくテーブルにティーセットを置いていく。
そしてティーポットを持つと、カップにゆっくりと注いでいった。江渡貝のカップに紅茶を注いでいくと月島はぺこりと頭を下げる。思わず江渡貝は「ありがとうございます」と声を出した。
この店に来店するのは二度目だが、江渡貝が月島の前で声を発したのは初めてだった。
男だと知られたくなかったからだ。しかし、先ほど鶴見が言ったことが本当ならば、月島は江渡貝のことも、二人の関係性も知っているはずだ。
月島は江渡貝が発声したことに少々驚いた表情を見せたが、すぐに元の冷静な表情にもどった。
「いえ、こちらこそ」
月島はにこりと江渡貝に微笑んでみせた。先日の絡んできた少年たちの言葉や拒絶の態度が江渡貝の脳裏に浮かんだ。けれども月島の瞳には拒絶するようなものはない。
むしろ江渡貝のような服装に対しても、鶴見と江渡貝の関係性に対してもフラットな態度を向けていた。月島には鶴見と江渡貝の姿が当たり前の日常のように見えているのだろう。
「では、いったん失礼いたします」
そう挨拶すると月島は部屋を再び出て行った。
「江渡貝くん、ちゃんとお話しできたね」
「んん……」
照れながらも江渡貝は紅茶のカップに手を伸ばした。
ふわりと香るのはパッションフルーツの香りだろうか。
オレンジやフルーツの香りで口の中が満たされる。一息つき、江渡貝は鶴見のほうを見た。
「ん? 一口飲んでみる?」
もちろん、そちらも興味があったのだが。
「そうじゃなくって、月島さん、僕の声に嫌な顔しなかったから、それがうれしくて」

あらかじめ、江渡貝が男だと知った上でも嫌悪感を示す人間は一定数いるだろう。それがまったくなかったのだ。
「月島はそういう人間だからねぇ」
鶴見は昔を思い出すようにしんみりした口調で言った。
「ふぅん」
うん、と鶴見は言うと、江渡貝の紅茶をじっと見ている。
「鶴見さん、もしかして飲みたい?」
江渡貝は首を傾げた。そして、どうぞ、とカップを鶴見の前に近づける。
鶴見もそれを真似るように江渡貝の前にカップを置いた。
江渡貝の目の前は、南国のフルーツティーの香りから、バニラとスパイスのきいた怪しげな紅茶の香りに変わる。
「ふわぁ、いい匂い」
鶴見が口付けた場所から口をずらすようにして江渡貝は紅茶を一口飲む。
口に入れれば強いスパイスの裏に香水のベースのように香るバニラが浮かび上がった。
ちらりと鶴見を見てみれば、鶴見は江渡貝の口紅のついたところに口をつけて紅茶を飲んでいた。キス以上のことを体験しているにもかかわらず、江渡貝は顔を赤くして鶴見の紅茶をもう一口飲む。
鶴見の方からカップが返ってきたため、江渡貝は鶴見のもとへカップを返す。
ちら、と鶴見を見れば、鶴見の口元にうっすら江渡貝の付けてきた口紅の色が移っていた。唇に対してまだらに移った赤はまるで軽いキスをした後のようだ。
「あ、あの……鶴見さん。僕の口紅が」
「あぁ、間接キスしたら移っちゃったかな?」
鶴見は自分のハンカチを探しているようだったが、それよりも早く江渡貝は自分のハンカチを差し出した。鶴見はそれを受け取ると口の周りを拭きはじめた。
しかし、なかなか口紅が落ちずに中途半端に残っている。
鏡を差し出してもいいけれど、と江渡貝は考えたが、鶴見からハンカチを取り戻した。
「もう少しこっちに顔を近づけてください」
江渡貝は困ったような照れたような顔をしている。
「ん」
江渡貝のすることを察した鶴見は江渡貝の方へ顔を近づけた。
「目っ、つぶっていてください!」
「しょうがないなぁ」
目の前で目を見開かれては作業するにも気まずいものがある。江渡貝の言うことを聞いた鶴見は目を閉じた。ふふ、と時々笑いが漏れている。
江渡貝は鶴見の唇のあたりについた口紅を拭きとっていく。手を動かすたびに手に触れる髭がちくちくしている。
「鶴見さん、取れましたよ」
江渡貝がそう言うと鶴見はへらへらと笑った。まさかこの人わざとやらせたな、と江渡貝はようやく気が付くが、それ以上に鶴見への愛おしさが込み上げてくる。
「もう、鶴見さんったら」
ぷん、としてみせるが、江渡貝の表情は笑っている。逆転親子のような関係も心地好く江渡貝はもっとこの人のそばにいたいと思ってしまう。
「あ……」
江渡貝は小さく声を上げた。
「僕、どうしよう……。昨日よりもずっとずっと鶴見さんのこと、もっと好きになってる」
鶴見は江渡貝には愛おしさを、過去の家族に対しては寂しさを混ぜ合わせたような表情を浮かべていた。優しい瞳なのに、眉は少し寂し気に垂れ下がっていた。
「好きは、一方的な好き、恋人への好き、家族になっていく好き。それぞれが少しずつ違うものだったよ、私には。だからきっと私たちの好きって気持ちも形を変えながら存在していくんじゃないかな」
鶴見はそう言うと江渡貝の体を引き寄せた。江渡貝はキスをされる、と体を強張らせながらも、からだも心も鶴見の元へ近づけていく。
「んん……」
個室といえどもさすがにキスは触れるだけのものだった。
それでも江渡貝は緊張と喜びと色々な感情がごちゃまぜになり、声を漏らしてしまう。
「と、突然で、びっくりしました」
江渡貝は、江渡貝の口紅が移って、再び赤く染まる鶴見の唇を見ながら言った。
鶴見は自分の手元のナプキンで口元を拭いながら「ごめん、つい」と答える。
そんな時間を過ごしていると、部屋の戸がノックされた。
二人合わせて返事をすれば、たくさんの洋菓子の乗ったケーキスタンドが運ばれてくる。
「うわぁ、かわいい」
江渡貝は反射的にきらきらしたケーキを眺めて甘い声を出す。
大好きな宝物を眺めるように自作の洋菓子や食事を褒められるのは、作った側には嬉しいことである。
江渡貝の素直でまっすぐな反応に月島は頬を緩めた。
「ありがとうございます」
「本当にこれ、美味しそうです!」
きゃきゃと声をあげる江渡貝に、月島はにこりと笑顔になる。そんな月島の反応に気が付いたのだろう。鶴見は月島に江渡貝の魅力を知ってほしい反面、少しだけ嫉妬してしまう。
「月島ぁ、江渡貝くんにときめいたら怒るぞぉ」
「分かっていますって」
月島は手を振りながら鶴見に愛想笑いを向ける。鶴見はふざけた様子で怒るぞ、と言っている。だが、鶴見と付き合いの長い月島は、鶴見のそれが多少なりとも嫉妬などを含んでいることを知っている。
「それでは、あとはお二人でゆっくりお過ごしください。お茶のおかわりはそちらのボタンを押して呼んでください」
月島は鶴見の口元にわずかに残っている口紅のあとを眺めながら部屋を出た。

二人きりになってすぐ、江渡貝は鶴見の顔をちらりと見て「あ」と声をあげた。
「す、すみません。鶴見さんの口元にまだ口紅が……」
「おや、本当だ。江渡貝くんもすみに置けないね、口紅で私にマーキングするなんて」
「そんなつもりじゃ……」
江渡貝は真っ赤な頬を両手で包み込むようにして目を潤ませた。
「え、江渡貝くん……その、私は嬉しかったんだが」
目を潤ませている江渡貝に鶴見はあわあわしながら声をかける。
「嬉しい……?」
「うん、嬉しい。江渡貝くんのものになったみたいで嬉しい」
鶴見の言うことに江渡貝は小首を傾げて、目をぱちくりさせた。
そんな江渡貝に対し、鶴見はポケットに手を入れて何かを探し始める。
「そうだな……えっと、まだアフタヌーンティー真っ最中だけど」
金属のぶつかるような音がしてようやく鶴見の動きが止まる。そして、鶴見は躊躇いがちに握った手を江渡貝の前に差し出した。
「その、ペアリングとかどうだろう」
鶴見の手のひらの上にはシルバーのシンプルなペアリングが二つ重なっていた。
「サイズは分からなかったから好きな指に付けていいと思う」
「……」
江渡貝は突然のことに無言のまま鶴見の手のひらから指輪を一つ手に取った。
そして、まるでそうするのが当たり前かのように左手の薬指に指輪を付けた。
「ぴったり」
そう言うと江渡貝は再び目を潤ませた。じわり、と涙が滲んでいる。
「私もぴったりだ」
鶴見も江渡貝をまねるように左手の薬指に指輪をつけた。
「鶴見さん、つるみさん……」
江渡貝は指輪をつけたお揃いの手を確かめるように、鶴見の左手に自分の左手を重ね合わせた。
愛情という不確かな存在が左手の薬指に収まっているように感じていた。
涙を流す江渡貝を落ち着かせるために、鶴見はそっと江渡貝の背中を撫でた。それから、まるで前世から、そうするのが当たり前だったかのようにゆっくり頭を撫で、頬を伝う涙を舌で舐めた。
「うぅ……鶴見さぁん」
「うん、江渡貝くん、大丈夫?」
「嬉しくて」
「それなら、落ち着いたらまたお茶会の続きをしようか」
「はい!」
江渡貝は涙を拭うとキラキラの瞳で鶴見を見れば鶴見も江渡貝のほうを見ていたらしい。
二人は柔らかな空気の中、ふわふわした心地でお互いをじっと見る。
先に視線をそらした鶴見は、目元を緩ませたままケーキスタンドに並ぶサンドウィッチに手を伸ばす。江渡貝も鶴見を真似てサンドウィッチを手に取った。江渡貝はちまちまとサンドウィッチをかじる。柔らかく滑らかなパンはほんのり甘い。しゃくしゃくと歯触りの良いレタスとハムの塩気のバランスが心地いい。
江渡貝は鶴見の様子をちらりと横目で見た。鶴見は江渡貝の視線を気にすることなく大きく口を開けてバリバリとサンドウィッチを食べていた。よく考えてみれば、今は鶴見と二人きりだ。
この人の前では自分をさらけ出しても良いのかもしれない。
江渡貝は手元のサンドウィッチに視線を戻すと、大きく口を開けた。鶴見は横目で江渡貝の様子を観察している。けれども、江渡貝は鶴見の視線も気にせず、パリパリとサンドウィッチを食べ始めた。
「おいしいね」
鶴見の言葉に江渡貝はうんうんと頷いた。
口いっぱいに頬張りすぎてしまったのだろう。江渡貝は一呼吸置き、照れた顔色で「美味しくて」と続けた。二人は目を合わせるとケーキスタンドに並ぶフルーツに手を伸ばす。

柔らかな空気に包まれながら二人の時間はゆっくりと流れていった。
「はぁぁ、美味しかったです」
満腹になった腹を撫でながら、「ありがとうございます」と江渡貝はつぶやいた。
そして、左手を見つめ言葉を続ける。
「指輪も、うれしいなって」
江渡貝は胸元で両手を重ね合わせ、左手の薬指を握りこんだ。鶴見も江渡貝をまねて、左手を軽く握る。
好き合っていると分かっているが、名残惜しい。思わず鶴見は江渡貝の手首をつかんだ。
「つ、鶴見さん!」
「君と出会ってから魔法をかけられっぱなしだよ、私は」
鶴見の言葉に対して江渡貝はふるふると首を振った。
「僕の方こそ……鶴見さんの魔法のおかげでドレスを着ることができたんです。それに鶴見さんの恋人にも」
江渡貝はまっすぐに鶴見を見つめていた。道の端で二人はしばし見つめ合っていた。
二人の魔法が溶けてしまわぬよう、鶴見は江渡貝の体を引き寄せた。
お茶会には、恋と可愛いの魔法を。

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