鶴江渡 永遠に麗しく、菫の花よ5(最終更新5/14)

江渡貝は鶴見の手を一度握る。
暖かな手を握る手の反対側で、零れ落ちた涙をぬぐった。
「怖かったね」
そう言うと鶴見は江渡貝の頭を撫でた。
たしかに江渡貝の手は冷えており、頬紅を塗っているものの、顔色は決して良くはなかった。けれども、すぐに助けに来てくれた鶴見が嬉しくて、こんな姿でも隣にいてくれる鶴見が嬉しくてたまらなかった。
だんだんと手のひらは温かくなってきており、顔色も戻ってきている。
「ううん、鶴見さんがすぐに来てくれたから……」
江渡貝は次の言葉を少しだけ逡巡した。先ほどまでの氷漬けにされたような感覚はすっかり消えて、今は耳の端が妙に熱い。
「鶴見さん、ヒーローみたいでした。すごく、かっこよかったです」
江渡貝は照れ隠しにスカートの裾をぎゅっと掴んで俯いた。
「ふふ、君にそう言われると照れるね。お姫様を守ったみたいな気分だ」
「お、お姫様!」
江渡貝は、口元に手を当てて目を丸くした。少年たちには馬鹿にされた格好にもかかわらず、鶴見はお姫様と呼んでくれている。
今日の服装はこれから向かうケーキ屋さんに合わせた格好である。そんな風に褒められたら嬉しくて思わずにまにまと笑みが止まらない。
「え、えへへ」
思わず零れる笑いだが、一方で鶴見は不安げに江渡貝の様子をうかがっていた。
そして、真剣な表情で切り出した。
「あんなことあった後だし、今日はお店はキャンセルにしようか?」
「え……」
鶴見は江渡貝を心配している。そのことは江渡貝でも理解はできた。
しかし、折角のお出かけ日和なのに。それとも、先ほどの少年たちの言葉で目が覚めて、この姿で一緒にいるのはキツイと鶴見は思ってしまったのだろうか。
江渡貝はしゅん、と眉根を下げた。
「その、君の体調が不安だから聞いただけだよ。今の気持ちはどうかい?」
「えっと、その、もし鶴見さんが僕の服を嫌なら……」
江渡貝が話している途中で鶴見はそんなことない、と強い口調で言った。
「今日の服装は素敵だよ。髪型だって、ドレスだってお店に合わせてきてくれたんだろう? アーモンドみたいな瞳だって綺麗だし、君はどこに連れて行っても恥ずかしくないレディだと思っているんだが」
「え、えっと、その僕」
かぁぁぁと真っ赤になった江渡貝は鶴見の顔を見上げた。
「お店、いきたいです。鶴見さんと美味しいもの食べたい」
江渡貝の笑顔に花が咲く。鶴見はうんうんと頷くと、江渡貝をエスコートするように一歩先を歩き始めた。

・・・・・・

「たしか、この先の……」
あったぁ! と江渡貝はスマートフォンのカメラで店構えを写真に撮る。
「お店のケーキも可愛いけど、店構えも可愛らしいんだ」
「うんうん……かわいいです」
江渡貝は興奮しているのだろう。自然な動きで鶴見の腕に、自分の腕を絡めた。
「ひゃ、すみませんっ」
我に返ったのだろう。江渡貝はぴょんと鶴見から腕を離すと慌てて半歩距離を空けた。
鶴見は気にしなくてもいいのに、と言いたげに腕の位置をぎこちなく元の位置に戻す。
「け、ケーキ屋さん入りましょう!」
江渡貝の言葉尻にはまだ少し照れているような、動揺しているような調子が感じられた。動揺する様子を眺めながら、鶴見はケーキ屋のガラス戸を引いた。
どうぞ、と江渡貝をエスコートしながら店に入っていく。
お姫様扱いにドキドキしながらも、江渡貝は鶴見にの後についていった。
鶴見が予約の名を告げると、一番奥にある窓際の席に通された。
「わ……」
白いテーブルに白い椅子、窓の外には時期によって変わる花々が咲いていた。
まるで、庭園でアフタヌーンティーでもしているように感じられる席だった。
店内もホテルのラウンジルームのように落ち着いており、外から見たこじんまりとした雰囲気とはまったく違っている。シックで、でもどこか可愛らしさを残しており江渡貝好みの店だった。
「素敵です、こういうお店に来てみたかったんです、ぼく!」
江渡貝の喜ぶ顔に、鶴見もつられて表情を緩ませる。
江渡貝の好んで着ている服装のジャンルはロリィタファッションというものである。
鶴見はそういった服装を好む子たちにも人気のある店を調べここを予約したのである。
もし鶴見の目論見が外れたとしても、鶴見が来たかった店だと言えば良い。しかし、幸いなことに江渡貝の様子を見る限りでは、この店を選んで当たりだったようだ。
嬉しそうに辺りを見渡したりしている。それに加え、周りにも江渡貝と同じような服装の子たちが多く、その光景を見るだけでも嬉しいらしく、江渡貝は嬉しそうにしている。
鶴見の予約していた席には「予約席」と書かれた立派そうなプレートが立ててあった。
ウエイターはそれを取ると、水の入ったグラスとおしぼりをテーブルに置いた。
そして、メニューをそれぞれに渡すと一旦席を離れた。
江渡貝はじっと穴が開くようにメニューを見つめている。
それもそのはず、ここのメニューには名前は記載されていても写真が載っていなかった。たしかに、ショートケーキやオペラは想像がつくのだが、それ以外のケーキが想像できない。眉間にしわを寄せてメニューとにらめっこしている江渡貝に対して、鶴見は言った。
「ケーキのショーケース見に行ってみようか?」
鶴見はメニューの端に小さく書かれた「ケーキはショーケースでご覧ください」という文字を指してにこりと笑う。
「そうします」
江渡貝はほっとした表情で鶴見の後ろを歩いていく。
ケーキの入ったショーケースの前には、他にも数組ケーキを眺めている人たちがいた。
ほとんどが女性客である。まだ男子高校生といえども背丈のある江渡貝は人の隙間からショーケースを見た。ケースの中には苺のムースや、濃厚なチョコレートのオペラ、季節のフルーツがあしらわれたケーキが並んでいる。
「あ、あれが良いです」
江渡貝はそっと鶴見の耳元で言った。
何種類ものスイーツが並ぶ中でひときわ江渡貝の目を引いたもの。
白のスポンジの上には薔薇色のムース、その上にはホイップクリームと苺やブルーベリーが乗っている。そして一番上には三角形のチョコレートが乗っている。
「今日のドレスに合った色だね」
にや、と鶴見は江渡貝に耳打ちする。
鶴見はシンプルにオペラを選んでいた。
そういえば、と江渡貝は鶴見の服装を見た。会った時には慌ただしく鶴見の服装を気にしている余裕はなかったのだが、よく見れば、今日の鶴見の服装はブラウンのチノパンに、淡いシャツ、今は脱いでしまっているがクリーム色のジャケットを合わせている。
席に戻り、ウエイターに鶴見はオペラと江渡貝の選んだケーキを注文していた。
それから、ケーキに合う紅茶を二種類と、いつの間にかマカロンが数個追加されていた。
「鶴見さんもお洋服に合わせているんです?」
くすくす笑いながら江渡貝は尋ねる。
「何がかな」
「ケーキです。僕は、お洋服に合わせて選んでみたんですけど」
江渡貝からの鶴見さんは、という問いかけに対して鶴見は目を瞬かせた。
江渡貝のように何かこだわりを持って選んだわけではなく、何となく食べたいものを選んだだけだったからだ。しいて言うならばここの店はチョコレートも美味しいらしい。
「あぁ、ここはチョコレートが特に美味しいんだ。だから、特に服装と合わせて選んだわけじゃないなぁ、私は」
帰りにショコラも買っていこうかなぁ、と鶴見は指先を加えて妄想を膨らませている。
「もう、鶴見さん。本当に甘いものが好きなんだから……」
江渡貝は幸せそうにためいきを吐いた。鶴見の顔をちらりと見る江渡貝の表情は桜色をしている。先ほど、少年たちから守ってくれた時の表情とはまったく違う、落ち着いた顔をしている。守ってくれた時の殺意すら感じる表情は今はない。
きっと江渡貝が知らないだけで、鶴見にはもっと色々な顔があるのだろう。
「江渡貝くん」
じっと鶴見を見ながら考え事をしていたらしい。いつの間にか江渡貝の目の前にはケーキが運ばれてきており、隣には飲み頃の紅茶が用意してあった。
「あ、ケーキ……!」
江渡貝はきゅんと胸をときめかせながらケーキを見つめた。
可愛らしい三段重ねのフォルム、キラキラのムースにホイップクリームのヘッドドレス。
ケーキの香りを打ち消さず、丁度よく香ってくるダージリンの香りが心地いい。
江渡貝はシルバーのフォークを持ち、ケーキを崩さないようにそっとムースの辺りをすくった。薔薇色のムースはよく見ると中にカシス色のジェリーが入っている。
口に含み、そのジェルが薔薇を煮詰めたジャムだったのかと気が付いた。
ふわりふわりと薔薇が香りまるでローズガーデンにいるような気分だった。
一息つきたくて江渡貝は紅茶を口に含んだ。カップに口づけながら鶴見を見ると鶴見もまた、チョコレートの甘味に恍惚の表情を浮かべていた。
鶴見さん、と江渡貝は小声で鶴見を呼んだ。江渡貝は、うっとりしている鶴見にケーキの乗ったフォークを差し出して小首を傾げ尋ねた。
「こっちも食べてみます?」
「うん」
そう言って鶴見は小鳥のように江渡貝のフォークをついばんで、それはそれは幸せそうな表情を浮かべていた。一方で江渡貝は出過ぎた真似をしてしまった、と顔を真っ赤にしていた。いくら親しい仲であってもフォークで間接キスはダメだと猛省しながら鶴見の様子をうかがう。しかし、幸せそうにケーキを味わっている様子を鑑みるとこれくらいのふれあいは何ら問題ないのかもしれない。
「江渡貝くんも食べるよね」
ずい、と目の前にチョコレートケーキの気配。ふわりと香る甘いカカオと、甘いマスクの鶴見に江渡貝はくらくらしながら口を開けた。
ふわりと甘いチョコレートの味、けれども何層にも重なったチョコレートはそれぞれの味を主張している。江渡貝は鶴見からの間接キス返しにくらくらしながらも、冷静になろうと必死に頭の中で数を数えていた。
「ふふ、ちょっと気恥ずかしいね」
鶴見はこてん、と小首を傾げて頭を少し掻いた。
「つ……」
江渡貝は普段はキリッとした態度で教壇に立つ鶴見と、今日の鶴見とのギャップに胸がざわついた。鶴見のことをかっこいいと思っていたけれど、そんな可愛らしい態度をとるなんて思いもしなかった。
江渡貝は可愛いものが好きだ。それに、鶴見のことも好きだ。
ドキドキして胸がいっぱいになってしまいそうになりながらも江渡貝は紅茶を一口口に含んだ。鶴見のフォークで食べさせてくれたチョコレートケーキの甘味を紅茶が中和していく。
どうにも気恥ずかしくて会話がぎこちなくなってしまったが、ケーキを食べ終えた二人はマカロンを眺めてにやりと口角を上げる。甘くて、見た目も可愛くて、自宅じゃ到底作るのが困難なお菓子と言われているマカロン。
「マカロンって、可愛くて好きなんです」
「私もだ。甘いし、色々なフレーバーがあるだろ。以前自宅で作ろうとしたんだが、失敗してしまったよ」
「結構コツがいるって言いますもんね」
話ながら自然と二人の手はマカロンに伸びていく。
二人とも、苺とピスタチオのマカロンを一つずつ手に持つとはくっと一口齧った。
サクサクした外表のあっさりした甘味に、ねっとりしたソースが甘酸っぱい。
甘さに心奪われながらも食べ終えると二人はほぼ同時に紅茶を飲んでいた。
「美味しい」
「うん、これは……テイクアウトも見ていこうかな」
「ふふ、鶴見さん、もうテイクアウトのこと考えているんです?」
江渡貝は真剣な顔でケーキのメニューを見直す鶴見を見て、口元に手をやった。
「家で作ってもいいんだが、やはり専門家の作ったケーキは美味しいし……」
「お家でお菓子を作るんですか?」
江渡貝は目をぱちくりさせると鶴見の顔をじっと見た。
鶴見先生の作るお菓子は美味しいのだろうな。江渡貝は想像しながら、鶴見の自宅でケーキを振舞われる自分を想像してしまう。
「うん。週末とかにインターネットで調べたレシピとかで」
そして、鶴見は言葉を続ける。
「そうだ、もしよければ、今度家に来て食べてみてくれないかな」
いつも多く作ってしまって余ってしまうんだ。鶴見は一言言い訳を付け足した。
「い、良いんですか!」
「うん」
にこりと笑う鶴見と、興奮気味の江渡貝。
次のデート先は鶴見の自宅だ。
「もしよければ、土曜日に来て泊まって行くかい?」
「ひぇ……?」
お泊りですか、と江渡貝は繰り返す。
「ケーキを一緒に作ったりしたら楽しいと思ってね。それとも勉強もあるし忙しいかな?」
鶴見の問いかけに江渡貝は首が取れそうな勢いで真横にぶんぶん振りながら返事をする。
「ぜ、ぜんぜん!忙しくありません!!泊まる準備、して、き、ま、す!」
変なイントネーションで答える江渡貝の顔は真っ赤になっている。
「たしか、君のお家は私の住むマンションから10分もなかったっけ。赤い看板のスーパーのそばだよね」
「はい」
「じゃあ、そのスーパーから右に曲がって三ブロック目の公園で待ち合わせにしようか」
鶴見がここまで詳細に待ち合わせ場所を決めているのには理由がある。
やはり教師と生徒という関係上、プライベートで会っているのはあまりおおやけにしたくないからだった。江渡貝もそれを理解した上でうんうんと頷く。
「公園ですね」
二人は次のデートの約束を取り付けると、電車に乗り互いの帰路に着く。
甘い。甘い、甘い気持ちを抱えて一週間過ごすのか。
江渡貝は来週に思いを馳せながら帰路に着くのであった。

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