1105 いい林檎の日 鶴江渡

明治時代にアップルパイがあったかどうかはよく分からない。

江渡貝の家に入ってすぐ、玄関の奥から甘い香りがした。
砂糖の甘い香りに、これはニッキ(シナモン)の香りだろうか。
鶴見は鼻をひくひくさせて江渡貝がいるのであろう場所へと向かう。
きっとこれは料理をしている香りだ。
すると、江渡貝は鶴見の帰ってくる足音が聴こえていたのだろう。
「鶴見さぁぁん」
甘い叫び声とともに江渡貝は廊下の奥から鶴見のもとへ走り寄ってきた。
両手にはミトンをはめている。
江渡貝のうしろからは、わらわらと月島、前山、二階堂が続いて出てきた。
「鶴見さん、今日はですね、アップルパイを焼いたんです!」
江渡貝は、えっへんと胸を張り、そういった。
料理をする際には剥製作りのエプロンとは別のものを着用しているらしい。
薄茶色のシンプルなエプロンを身に着けており、初めて見る姿だ。
「ホントはミカンがいいって言ったのに~」
江渡貝の後ろからひょっこり顔を出した二階堂は不満げに唇を尖らせていた。
「今日は林檎がたくさんあるんで、そっちを先に消費します」
ミカンのお菓子はまた今度にしましょう、と江渡貝は言った。

鶴見は江渡貝たちの後を追う。
ずらりと剥製たちの並ぶ食堂の椅子に鶴見は座った。
するとミトンをはめた両手で江渡貝はアップルパイを運んできた。
丸いパイ皿にたっぷり乗った焼き菓子からは、甘くバターがふんわりかおる。
「さぁめしあがれ」
鶴見の目の前には、丸い皿に乗った三角に切られたアップルパイが乗っていた。
良く磨かれたフォークでパイを一口分。
口に含むとぱりぱりのパイの甘しょっぱさに続き、肉厚な砂糖と洋酒で味付けされた林檎の味がじんわりと口の中に広がった。
鶴見は酒は苦手だが、こうしてアルコールが飛んでいる、調理に使われたものは食することができる。
口のなかに広がる甘味に舌先がじわじわしびれるような気がした。
ちらりと江渡貝の方を見れば、嬉しそうな顔で鶴見を見つめていた。
「江渡貝くん?」
何だろう、と思い鶴見は江渡貝に向かい首を傾げてみせる。
「鶴見さんが、おいしそうに食べていたから……なんか嬉しいなって」
「そう……」
聴いているほうが恥ずかしくなるようなセリフである。
月島と前山はそれぞれ帽子の位置を直したり、俯いている。
鶴見は林檎が甘すぎたかな、などと心の中で呟きながら、コホンと咳ばらいをして、赤面している状態をごまかした。

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