月江渡/しろくまのきもち

月島軍曹に可愛いと言って欲しくて、妬いて欲しい江渡貝くんの話です。


「どうせ月島さんにはシロクマの気持ちなんて分からないんですよ!」
江渡貝は激昂し噛み付くように言うと、たっぷりと膨らんだ白い毛皮を着たまま月島に背を向けた。心なしか重々しい真っ白な獣毛は刺々しく逆立っているように見える。
「もういいです」
ふてぶてしくそれだけ吐き捨てると江渡貝は重たい足音を立ててその場を立ち去った。
「本当にそれだけ?」
前山は両手で頬杖をついた格好で月島を見上げた。山葡萄を思い出させる黒い瞳がくりくり動いて月島の反応を窺っている。
「それだけ、だが」
「だって江渡貝くん拗ねちゃったんですよね」
前山は悩ましげに大きな唇を尖らせた。ぷっくり厚い指先を顎下に付けて小さく唸った。
「たしかに江渡貝くんは繊細で良く分からない理由で泣き始めたりするけれど」
そう、江渡貝は作業場から突如現れるとドアの開閉音がうるさい、だとか鶴見さんに会いたい!等注文が多い。
今回も心当たりはないものの何か江渡貝の気に障ったのだろう。普段と同様に気にせずに過ごせば良い。放って置けばいつの間にか彼の機嫌は治っている。
「特に心当たりがないんだよ」
江渡貝が怒った理由が分からない。放って置けば良いものの、何故か江渡貝のことが、気になって仕方がない。
月島はそう言うとぼそぼそと今日の出来事を語り出した。前山に話せば心の中に出現した雲も晴れるような気がしたからだ。
「江渡貝、調子はどうだ?」
「僕はもう疲れました」
江渡貝はシロクマに寄りかかり、遠い目をして言った。たしかに朝早くから木の実を集めて潰しては人皮の小片を染めてみてはため息をつき、染まってしまった小指の先も気にせずに作業場へこもっていたのだ。
「少し休んだらどうだ?」
江渡貝くん、休めやすめと続ければ、菜の花を思わせる青年は表情を崩した。
「ふふっ」
何故か笑い出す青年へ月島は目を向ける。今のどこかに笑うところはあっただろうか、と。
「だって、仕事仕事の月島さんが休め、なんて珍しくって」
「そ、そうか」
そんなに俺は仕事仕事の鬼軍曹だったかな。悪かったなと月島は思う。そうでなくとも、無表情で何を考えているのか分かりにくいと言われる顔なのだ。
「謝らないでくださいよ」
別に謝っていないのだが、と月島は心の奥で呟いた。月島は楽しそうに目をきゅ、と笑わせる江渡貝に目を向けた。
今しがたのやり取りでも感じていたが、江渡貝に心の内を覗かれているのだろうか。どうにも落ち着かない。悪くはない、しかし春風を感じた時のような、動き出さずにはいられない心地なのだ。
「そうだ、ちょっとこのまま待っててくれません?」
出し抜けに江渡貝は人皮の長手袋を外しながら言った。脱ぎたての生暖かい長手袋の生々しい人肌の重みに月島は表情を硬くする。見慣れてきてしまったため、気に留めていなかったが、今日も江渡貝は人の皮で作り上げた服を身につけていた。
大胆に背中の空いた、前身頃全体に人の指を牛の乳頭の如く修飾した服を上半身にまとい、下半身はかなり丈の短い薄肌色のパンツによく見ると乳首を繋ぎ合わせたベルトを合わせている。太腿辺りまでは皮の靴下を履いているものの、露出が多く目のやり場に困る服装だ。
同じ性を持つ身体といえども、中性的な顔立ちのせいだろうか。どうしても変に意識してしまうのだ。
皮で伸縮性のない靴下が江渡貝の太腿に食い込んでいる。月島は柔らかそうな足だなと思いながらいそいそ支度をする江渡貝の背中を眺めた。
「ちょっと待っててくださいね」
江渡貝はちらちら月島に視線を向けると、シロクマの剥製の中へ入って行くところだった。
はいれるの、それ?! 思わず飛び出た月島の声も気にせずに江渡貝は一心不乱に熊の剥製の中に入っていく。困惑する月島をよそに熊の剥製はごそごそと蠢いている。
ようやく剥製の中にきちんと身体が収まったらしい。
しん、と一瞬の沈黙の後。
シロクマ、否、江渡貝は立ち上がった。
「僕の作った剥製、着れるものもあるんです」
のすのす、と江渡貝が身動きをする度に江渡貝邸の床はぎしぎしと揺れた。
「大きいな」
何とも反応しにくい。
何せ、シロクマの着ぐるみの首のあたりにぽっかり穴が空いており江渡貝はそこからすっぽり顔を出しているからだ。
可愛い、というよりも不思議で不気味な光景である。もしもこんな生き物が夕張の長閑な街を歩いていたら街の中は大騒ぎになるだろう。
もっとも、もうしばらく先の未来にその大騒動に巻き込まれるのことを月島は知らない。
「えへへ、どうです?」
重量のある毛皮感に反して江渡貝は軽々とその場でくるりんと回転してみせた。お尻にちっちゃく揺れる尻尾が可愛らしい。江渡貝の頬はほんのり赤く染まっており、大きな胡桃色の瞳は柔らかい光を携えていた。
大きなシロクマの両手を顎の下に合わせて首を傾げてくる様子にぎくりとした。
「あ、暖かそうだな」
江渡貝から目を逸らし軍帽の位置を直す。月島は自身の心の内に込み上げる可愛いという感情を嚥下しながら、深く帽子をかぶり直した。
「あの……月島さん」
江渡貝はぽむ、と月島の方へ向かい一歩踏み出した。剥製を着込んでいなくとも江渡貝の方が月島よりも身体は大きな筈なのだが、小さく華奢で小花を思わせるようなのは彼の持つ独特な雰囲気故だろうか。
何とも言い表せぬ沈黙に何か話さなければ、と月島は目を泳がせながら会話の糸口を探す。間抜けだと分かっていながらも月島は諦めたように江渡貝の着込むシロクマに目をやった。
「し……白いクマは珍しいよな」
不器用過ぎるだろ、と月島は心の中で自分自身を叱咤した。目の前の白い塊はきょとんと栗色の瞳を大きくした。
やはり自身の作成した作品へ興味を持たれることは嬉しいのだろう。江渡貝の息が熱くなった気がした。
「そうでしょう! 僕も気に入っています。綺麗でしっかりした獣毛。剥製になってなおも、日の光の下で艶めいていて」
江渡貝はぽうぽうと両頬から湯気を出し熱弁する。専門的なことなのだろう。言っていることはよく理解できないが好きという情熱が伝わってくる。
目を輝かせ語り続ける様子に相槌を打つ。ころころ変わる表情は日本本土の四季よりも遥かに色彩豊かで鮮やかで、月島の生きる世界よりも遥かに広く眩しい。
これ以上この人を金塊争奪戦に巻き込みたくない。江渡貝にだけは、どうかあの人の存在が死神でありませんように、と願う。
「ところで……」
気が付けば江渡貝は月島と後一歩の距離の近さにいた。図体の大きな白熊が月島を覗き込んでいる。
「えどがい」
「あのっ、これ、似合っていますか?」
一瞬片眉だけ悲しげに下がったのは気のせいかそれとも、腹でも減っているのだろうか。
月島も腹が減ったような気がした。腹が減ったような、酒を飲んだような妙な気分だった。
何故か分からない。根拠はないがこの気持ちを江渡貝に悟られてはいけない、と月島は感じた。
「似合ってる!にあってる!」
だから、早く会話を切り上げようとそれだけ言い切ると、月島は江渡貝に背を向けた。
「それだけ、ですか」
月島は自分のついた嘘で江渡貝を傷付けたことは感じていた。うそ、ではない。
けれども自身が江渡貝に対して思ったことをすべて伝えはしていない。
背後から悲しげな冷たい視線を感じた。気のせいだと願いながらも振り返れば江渡貝は怒りとも悲しみとも取れぬ表情で月島を見つめていた。
けれども、ここで月島はひとつ言い訳をしたいと思った。
例え鶴見中尉から江渡貝にさんざん可愛いと伝えている場面に出くわしており、その可愛いという言葉に江渡貝が喜んでいると知っていても、だ。
可愛いという言葉を江渡貝に伝えることは難しい、と月島は思う。
江渡貝に可愛いと言いたくない訳ではない。言えるなら言いたい位の心持ちではあるが、恥ずかしいのだ。
そんな言い訳を月島の脳内が考えている一瞬の間に、江渡貝の眉はぴくりと動き、そして冒頭の言葉に繋がったのだ。
「どうせ月島さんにはシロクマの気持ちなんて分からないんですよ!」
あぁ、分からないな。月島はげっそり江渡貝を見ながら考えることを諦める。
可愛いよ江渡貝くん。そんな言葉を今更言ったって遅いのは火を見るよりも明らかだ。
「もういいです!」
江渡貝は肩を上げ、勢いよく月島と反対方向へ顔を向けた。
追いかけた方が良いだろうか。しかし、めんどくさいことになってしまった。
「はぁ、めんどくさい」
月島は深く息を吐く。
一方で前山は笑みを深めた。
そして口を開く。
「めんどくさいを建前にしちゃダメです」
何が、と月島は言いかけた。しかし、柔らかい微笑みの裏に込められた前山の牽制に言葉を飲み込んだ。
「そういうところです、月島軍曹」
前山はよく見ると鋭い目をしている。江渡貝くん仕事しなよ、という時もこんな目をしていたなぁ、と月島は思う。
ぎしぎしと江渡貝邸の床が軋む。敏感になり過ぎているからだろうか。
これから江渡貝に声を掛けにいくのだが、江渡貝に気付かれぬよう月島は足音を潜ませる。
江渡貝が不貞腐れているであろう部屋の前に着くと、月島はこほんと咳払いをし、焦茶の一枚板の扉を叩いた。
「江渡貝くん」
部屋の中の人影程度は認識できる磨りガラスに顔を近付ける。中で人の頭が動いている様子が確認できた。
よし扉を開けよう、とドアノブに手をかけたところで、内側から勢いよく扉は開いた。
扉が鼻よりも先に額に当たる。
「何ですか、急にかしこまって」
痛む額を抑えながら、江渡貝はむくれた頬も半目も隠さずに両腕を組んで月島と向き合った。既にシロクマの剥製は脱いだ後だったらしい。江渡貝は初めて会った時の洋服を着ていた。
「さっきは悪かった」
月島の言葉に江渡貝は表情も変えずにそうですか、と返す。その反応は予測していた通りのものだ。
「シロクマの、似合っていたと思う」
これで機嫌が直ってくれれば有難い。しかし、職人江渡貝弥作は頑固者であった。腕組みをしたまま餅のように頬を膨らませる。
「いまさらですね」
真冬のように冷たい言葉だ。氷柱のごとく江渡貝は月島へ刃を向けた。
「僕が拗ねたから来たんですか。ご機嫌取りなんてしなくたって僕は鶴見さんのために仕事をしますし」
江渡貝の声色は月島が思っていたよりも冷静で淡々とした口調だった。もっと感情的に言葉を吐かれると思っていた月島は拍子抜けしてしまう。
「僕は鶴見さんが認めてくれたから月島さんに褒められなくたって仕事はしますし」
だが、先程から鶴見、鶴見と江渡貝は言う。もっとも鶴見中尉に絆されて繋がった縁だ。仕方ないとも思うのだがわざとらしく、当てつけのように鶴見中尉の名前ばかり出されると居心地が悪い。
江渡貝を可愛いと思っているのも惚れ込んでいるのも、鶴見中尉に限ったことではない。
「そうじゃない」
月島は気分に合わせて表情を豊かに変えるほど器用な人間ではない。愛想笑いは出来るが、嫉妬を隠せる人間でもない。
そして、本心も。
「か……」
「か?」
聞き返す江渡貝はまったく可愛げがない。鼻の穴が膨らんで半目で睨まれれば怯んでしまう。可愛いという一言でさえも月島には一世一代の告白のようなものだ。
「か……可愛い、と伝えにきただけだ」
ぎこちなくそれだけ言うと月島は帽子を深くかぶり直した。わざわざこんな事を言いに?と馬鹿にされるかもしれない。気味悪がられる可能性も高い。一瞬の間に月島は考えられる最悪のパターンを数種類想像し、一刻も早くこの場を立ち去ろうとした。
「それだけだ。もど」
「る」と身体を翻すのと同時に月島の身体は江渡貝に引っ張られていた。
「え、えっと」
江渡貝は自身を落ち着かせるためなのだろう。前髪の分け目に触れていた。
「も、もう一回言って欲しいです」
江渡貝の目の縁がじんわり赤く色付いて見えた。逢魔時で薄暗い部屋の中、夕焼けの見せる幻覚だろうか。江渡貝が可愛く見えてしまう。
塩らしい態度に月島の心臓のあたりは焼けたように熱い。
「ダメですか?」
心臓を掴まれているのだろうか。月島は締め付けられるような切ない痛みを胸に覚えた。
「駄目だ」
「もういいです」
江渡貝はわざと拗ねたような声で目線を横にやるが口元が緩んでいた。嬉しそうな表情をされると、もう一度くらい可愛いと言ってやりたくなる。
「本当に愛らしいな、君は」
何気なく口から出た言葉に月島はしまった、と口を押さえた。
一方、江渡貝は夕焼けを反射して輝く湖の水面のような瞳をしていた。熟れすぎた桃のような柔らかな頬をしている。
「月島さん」
呼ばれたかと思えば、江渡貝の体温に体が包み込まれていた。月島からも腕に力を込めれば、腕の中で江渡貝はふ、と溜息とも吐息ともいえぬ息を吐く。
そんな反応は予想していなかった。
あぁどうしようと心の中で頭を抱える。
シロクマの気持ちなんて分からない。

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