エレリ あの丘であなたと

※後半に動物が死ぬ描写や、流血、暴力描写を含みます。
苦手な方はご注意下さい。

「ワインの材料は何で出来ているのか知っているのか」
「ぶどう……です」
「それぐらいの知識はあるのか。だったらブドウがどの地区で取れるか当然知っているよな」

リヴァイのからかうような声色にエレンはふふふと笑い、答えた。
「それは勿論……」
その土地はワインを好む者には当たり前のように知られている名前であった。ちょうどこの壁に囲われた世界では南の方向。土地自体は栄養の少ない土壌で芋位しか育たないと言われてきていたようだが、水はけがよく、日照条件、硬すぎない土が葡萄の生育に好条件だったらしい。そこで育てた葡萄は主にワインを作るのに用いられた。そして世界の生産及び売り上げもほぼ独占と呼ばれるほどのワイン生産の拠点となっていた。ここまではリヴァイがエレンに教えた薀蓄であった。
「いつか一緒に行きましょう」
「まずは巨人を全滅させたらな」
「そうなったら、また一面の葡萄がみれるようになりますかね」
エレンは遠い目で、今はなき葡萄の樹が広がる光景を想像した。
「オレがもし、あと五歳年をとるのが早ければ、一緒に見れたのかな」
「そうかもしれないな」
妄想の葡萄の樹々に想いを馳せるエレンにリヴァイはグラスを渡す。そして片手で真紅の液体の入ったガラスボトルを傾けて、飲み物を注いだ。ボトルには葡萄が描かれていた。グラスを受け取るままにエレンは口をつけた。
「オレのはジュースなんですね」
少しがっかりしたような様子のエレンにリヴァイは答える。
「いいからガキはとっととそれでも飲んで寝ろ。俺はこっちだ」
リヴァイは自分のタンブラーに鍋で温めたワインを注いだ。そこにどこからかくすねてきたシナモンと、蜂蜜を足してカラカラとスプーンで混ぜた。揺れる湯気を吹き、口をつける。甘いシナモンと、ワインの香りがゆったりと広がった。
「ずるい」
子供扱いにエレンは拗ねたような声をあげたが、それをリヴァイはふん、と笑う。
「ガキは葡萄ジュースで十分だ」
ガキ、という発言とは裏腹にその視線は子供に向けるそれではない。子供を慈しむ、というよりは恋人へ向けるような視線だ。リヴァイはエレンを好いている。気付いているのかどうかは定かではないが、エレンは照れ臭そうにグラスを覗いて目を逸らした。
「美味しいから、いいですもん」
「そういうところが……ガキだってんだよ」
上機嫌そうに右手で頬杖をついたままリヴァイは言った。
「明日からは、ようやくお前も俺から解放されるな」
この夜が明ければエレンへのリヴァイの監視は外れる。そしてリヴァイは第57回壁外調査での特別作戦班ではなく、別の新たな班へ配属される。エレン自身もまた、壁外調査から無事に帰還し、一人前の兵士としてリヴァイとは別の精鋭班への所属が決まっていた。
会えなくなるわけではない。しかし今までのように二人でこれほどに親密な時間を過ごすことは減るのだろう。リヴァイは迷っていた。
「すぐにまた、壁外調査だ。……精々……死ぬなよ」
「リヴァイ兵長も、死なないでください」
「誰が死ぬかよ。それから、俺は……」
いつ死んでもおかしくない。リヴァイ自身が、ではなくエレンに関してである。物理的に近い距離にいることで満足していた。しかし、その物理的に満たされた状態すら保てない。それならばいっそ……。
「俺は……」
黙り込むリヴァイをエレンは熱のこもった目で見た。
「俺は、いつかお前とまた、こうして酒でものみたい」
それから、とリヴァイはエレンの手をつかんだ。重ねた手のひらは湿っていた。包み込むようにリヴァイはエレンの手を握る。
「俺は」

夜が明け、東の空が白く輝く。
小さな鳥の鳴き声と、慣れない温もりでエレンは目を覚ました。
腕の中にはリヴァイが眠っていた。昨晩、二人で話し込んだ後そのまま二人で眠りについた。憧れのあの人が自分を好いていてくれた。昨晩の愛の告白を思い出すだけでエレンの心臓は勝手にドキドキと脈打ち、表情は蕩ける。
「兵長、リヴァイ兵長、オレも好きです、あなたを」
エレンの顔の前にあるリヴァイの頭に向かって言う。夢の中でも聞こえてくれただろうか。それとも狸寝入りだろうか。少し位置を変えると見えるリヴァイの顔がぴくぴくと動いている。
「寝たふり。」
エレンはリヴァイの頭に口を付けて言った。そしてうなじの辺りから上へ向かうように撫で上げると、観念したようにリヴァイは片目を開いた。
「朝っぱらからお前は……」
至近距離のままエレンはリヴァイの口を塞いだ。リヴァイはだからガキなんだよと言おうとしたが、それは黙っておいた。

「我々は第…回壁外調査へ出発した。その時に考案された近距離で狭い場所を探索する陣形を今回は編成し直したものを使う」
のどかな午後、うっかりするとうたた寝してしまいそうな日差しの心地良い会議室。しかしここにいる兵士たちはしっかりとその説明を聞いていた。次回の壁外調査の陣形や班編成を本決定する前の話し合いである。新兵などはおらず、繰り返す調査の遠征になれたベテランが集まっている。
「おい、アルミン、この班編成は今回はどうするんだ?」
エレンの横で話を聞いていたジャンがアルミンに質問をした。アルミンはあ、そうそうと言って手元のレジュメをひっくり返す動作をした。
「説明を先にしていなくて、申し訳ない。班の編成はこの裏にでているから目を通して欲しい」
「また陣形の話に戻ります、壁外調査で重要なのはハンジ分隊長の報告によると……」

調査兵団へ入団してから約5年、エレンはもう20歳になっていた。
以前より巨人から人類を守る術も発達し、かつて懸念されていた内地での人口増加による食糧問題も技術の発展も合間って解決しつつある。とはいえども巨人により侵略された領土の奪還や、巨人自体の調査はまだ完了していない。あの場所、葡萄園へ行く約束も。

エレンは地図と陣形を確認した。
丸く、どこまでも囲われた地形。その中にあの場所もあるのだろう。
「あ、」
エレンはついつい声をあげた。アルミンは嬉しそうにエレンの方を向き、そして耳打ちをした。
(エレン、今回はリヴァイ兵長と同じ班だよ。ただし……)
そして何事もなかったかのように説明に戻った。いつからだよ、とエレンは前髪が潰れるのも気にせずにひたいを抑えた。肌の温度が沸騰した頭を冷やす。作戦の話をするアルミンに意識を戻す。ちょうど、作戦内でのリヴァイ率いる班編成の話をしている。居心地の悪さを感じながらも、エレンの耳は再び次回作戦の話に向いた。

楽しそうに息を切らしながらも話をするアルミンはハンジのそれに似ている。長い長い会議であったが、ついに日が沈み始め、話の終着点も見えてきたため、解散となった。長時間頭を使ったために疲れてはいるものの、エレンは浮き足立ったように廊下にでる。
数歩進んで、急に足を止めた。ガラスにうっすら映る自分を見て髪を整え、意を決したように次の一歩を踏み出した。
「お久しぶりです」
掃除をしていたのだろう、三角巾をつけて箒をもつその人の後ろ姿にエレンは声をかけた。
「え、」
リヴァイは箒を持ったまま振り向いた。口元の布はずらされ、驚いたように口をあんぐりとあけている。停止したリヴァイに近寄り、エレンは確認するようにリヴァイの頭を両手で包み込み、そして肩、腕と触れた。
「図体ばかりでかくなりやがって」
上目遣いに見えるその悪態はエレンにはまったく怖くない。エレンは15歳の頃より成長しており、以前に報告をしたところ、リヴァイは悔しそうな顔をしていた。
「兵長は変わりませんね」
「……」
「えっと、大人っぽくなりましたね!」
あからさまにリヴァイが嫌な顔をするとエレンは慌てたように、しかし冗談と親しみを込めて返答した。
「ほぅ、また躾けられたいか?」
リヴァイはわざと怒ったような声を出した。エレンはもう躾は嫌ですよ、と笑っている。
「……冗談はさておきだ。」
からん、と箒が床に落ちた。会いたかった、とリヴァイはエレンの背中に手を回した。周囲にはひと気は若干だが、ある。しかし、人目も気にせずにリヴァイはエレンの胸に顔を埋めた。エレンも一度腕に力をいれ、それからリヴァイの両腕を捉えるように掴み、向き合った。
「兵長、今回の陣形ではオレがいつもそばにいます。オレから……離れないでください」
「それは、命令か?」
エレンは頷き、リヴァイと真っ直ぐに向き合った。
「おい、今度の俺の班だが、お前以外はすべて新兵なんだな」
リヴァイはエレンの手元にあった書類を盗み見たらしい、知らない名前ばかりだと、リヴァイは言った。
「ええ、相変わらずめざといですね」
リヴァイはエレンに顔を近づける。キスをするかのように顔が近い。一見睦み合う恋人同士のような雰囲気である。
「何を企んでいるんだ?」
至近距離でリヴァイが低く囁いた。
「危険なんです、オレはあなたを守らなければならない。協力してくれますよね」
すっ、と鼻の頭が擦れる。承諾するかのようにリヴァイは唇を寄せた。たまたま通りかかった新兵が、いけないものを見た、というような顔で早足に通り過ぎた。リヴァイは明らかに不愉快そうな顔をしたが。一方でエレンは興味がなさそうに見送った。
互いにまったく顔を合わさなかった訳ではない。会話の内容は物騒であるものの、恋人らしく触れ合うことは久しぶりであった。エレンの腕の中でしおらしくしているリヴァイの横を兵士達が通り過ぎる。
「今夜、一瞬に寝てもいいですか?」
「構わない」
距離の近い二人に視線は集まるが、気にも留めず話つづけた。周りの兵士達は居心地が悪そうに足早に通り過ぎていった。

エレンはリヴァイに連れられ、リヴァイの部屋に向かった。エレンがふいにドアノブを掴むと部屋は簡単に開いた。部屋は開いていたらしい、エレンはドアノブを掴み、一瞬周りを確認するように停止した。そして、リヴァイの方を顧みると、首に腕を回し、抱きつくようにして部屋の中へリヴァイを引き入れた。エレンは後ろ手でドアを乱暴に鍵もかけずに閉めた。
部屋は月明かりは射し込んでいるが暗かった。転びそうになり、エレンはリヴァイを離した。月明かりを借りてテーブルの上のランプをとった。火を灯すと部屋の中がぱっと明るくなった。
相変わらずリヴァイの部屋は掃除も整理整頓も行き届いていた。いくつか私物を持ち込んでいるらしい。私服で着ているジャケットや、ワインが目に入った。
「兵長、あれは……」
「一緒に飲むと約束したからな、」
リヴァイは珍しく微笑み、どこからかワイングラスを出してきた。片手には高価そうなワインボトルが握られていた。中身は少し減っていて、どうやら新品ではないようだった。かちゃりとテーブルにリヴァイはワインボトルとグラスを一つ置いた。
その時、エレンは目を大きく見開いた。アドレナリンが全身を震わせた。そしてエレンの手が大きく動いた。
「ダメだ!」
エレンが叫ぶのと同時に派手な音がした。リヴァイの右手には不自然にワイングラスだけが残された。テーブルから赤い雫が落ちる。リヴァイは割れたワインボトル、そして震えるエレンの拳を見た。
「これは……お前らの地域の葡萄園で作られたワインだ、この意味が分かるよな」
もう二度と飲めることはない、あの失われた地域を思い出す、そんなワインだった。エレンは痛いほど、その意味も失う悲しみも知っていた筈だった。
リヴァイは手に傷がつくのも気にせずにワインボトルの破片を集め始めた。
「兵長、」
「俺の生きている間にその地域を奪還したとしても、もうこれはないんだ」
集めた破片を手に握り締めてリヴァイはエレンの前に突き出した。まだ、床には硝子がエレンとリヴァイの間に散らばっている。その間を鼠がちょろちょろと移動した。古びた部屋のカーペットを鼠は舐める。
「そしてこれが最後の一本だ。長年の秘蔵の物として保管されていた品だ。そして今はお前の足元に広がっている液体が最後の液体だ」
エレンはリヴァイの言葉に俯いて自らが割ったそれを見る。
「別に大した物ではねえ。特別な価値があるものでもねえ。ただ……」
ボトルだった破片の一部に書かれた数字は割れてしまったため、よくは見えなかった。見える限りで掠れた数字を読み取った。30年以上前のヴィンテージワインだ。さらにかつて葡萄の栽培が盛んであったであろう、あの約束の場所が記載されていた。
「俺の誕生した歳と同じってだけだ。ただそれだけだ。ラベルを貼り替えたら価値は消える。――くだらない話をしたな。拭いておけよ」
そう言ってリヴァイは背を向けた。ゆらり、とこの場所を後にするようにリヴァイは歩き出した。
「リヴァイ、兵長!」
まって、とエレンはリヴァイの手を引いた。ずっ……と鳥肌の立つような感触が伝わった。ぬるりとした真っ赤なそれはワインではない。
「……っ!」
リヴァイは拒絶するようにエレンを振り払った。振った手からエレンの足元にぼたぼたと赤黒い血液が落ちた。
「触るな!」
手を引くエレンにリヴァイは拳を振るった。威力は弱いものの、リヴァイからの拒否のショックは大きい。エレンは驚いたようにその場に座り込んだ。
「なんで、こんなことをしたんだ」
液溜まりにリヴァイの涙がはらはらと落ちた。ちち、と鼠は部屋の角へ歩き出そうとしていた。しかし、その鼠はふらふらと揺れるように動き出したかと思うと、急に激しく頭を掻き始めた。
「まさか……」
鼠はぢぢぢっと不穏な様子で鳴いた。そして尻尾を追いかけるかのように、狂ったように旋回をし始め、ぱたりと倒れた。
「毒、です」
エレンは床を見つめたまま呻くように言った。死んだ鼠の目が白く濁ってきていた。
「オレは言いましたよね、あなたを守ります」
エレンの身体に力が入った。
そして、急にエレンは立ち上がり、超硬質ブレードを投げた。
「ぎゃあぁぁっー!」
間抜けな声がブレードの行く先からあがった。床までの長いカーテンがあると思われていた場所が揺れ、そこからは兵士が出てきた。男の足首にブレードは命中したらしい。足から流れる血液が床を汚していた。
エレンはその男のもとへ、ブレードを片手に持ち無言で近寄る。男は足首を負傷しているものの、ナイフを持っていた。大きな武器は忍び込むのに持ち込めなかったらしく、それ以外は殆ど丸腰のようだ。
その認識までは一瞬だった。エレンはそれ以上の装備がないことを知ると男が動き出す前に強く床を蹴った。そして、目の前の男の太腿目掛け、ブレードを突き刺した。
「がぁぁあっ」
ブレードは太腿から床にかけて貫通していた。男はブレードを抜かない限り動くことはできないだろう。エレンは次のブレードを片手に持ち、男に近づいた。
「お前だな?」
男の顎にブレードの刃先を向けたままエレンは聞いた。
「リヴァイ兵長、ご無事ですか!!」
大きな音と怒鳴り声で気づいたのだろう、近くにいた兵士たちが部屋に駆けつけた。

その男はどうやら、兵士に紛れ込んで侵入した街の商人だったらしい。ここ数週間で、上官を狙った物騒な事件が続いていた。その対策の為にアルミンを始め、一部の兵士が集まり今回の調査の計画をたてていたのだ。
「ほぅ、しかし、これで犯人は見つかっただろ?なんで壁外調査を行うんだ?」
ことの顛末を知ったリヴァイはすぐ側に馬を走らせるエレンに尋ねた。
「今回は前にも言ったように短い距離での調査ですよね。これは本調査に入る前の地域の探索、だそうです」
ついでに、新兵の訓練にもなりますし、とエレンは付け足した。
しかし、新兵達はエレンとリヴァイのそばにはいなかった。どうやら二人きりのようだ。
「それより、兵長、少しだけ時間をもらってるんです」
エレンは丘に向かい、思い切り馬を走らせた。リヴァイもそれに続くように馬を走らせる。
「……っ!」
風が強く吹く。周りの草木を風が撫でて行く。その行き先を辿ると。

リヴァイは泣きそうな、しかし嬉しそうな顔をしていた。
「やっと一緒に見れましたね」
もう、枯れちまっているかと思っていた、とリヴァイは呟いた。
「帰ったら今度こそ、飲みましょう?」
「あぁ、」

馬から降りて、二人は丘から葡萄園を眺める。葡萄はなっていないが、緑が広くどこまでも続いていた。
飲み込まれてしまいそうな青空に、広すぎる大地。二人は消えてしまわぬよう、手をそっと繋いだ。

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