鶴江 現パロ 待ってて、鶴見先生! 2

現パロ 鶴江
続きものです→待ってて、鶴見先生!1話
高校生江渡貝くんと鶴見先生の話。そのうち本にしたい。
きちんと書いてはおりませんが、ふわっとタイムパラドックス系だと思います、たぶん。

音楽室の外には、夜の気配を沁み込ませた廊下が続いていた。
普段であれば、校庭から聞こえる運動部の声や、吹奏楽部の練習曲がしている廊下だが、こちらはしん、としており冷ややかな印象を受ける。
人のいない廊下を歩く。ひたひたと自分の足音だけが響いている。
人の話し声ひとつない空間はやはり少々不気味である。先ほどまで鶴見と同じ空間にいたため、尚更そう感じるのかもしれない。
廊下には蛍光灯が点いているが、新しい校舎で使われている明かりと比べると少々薄暗いように感じる。けれども、キンキンとした灯りよりもこちらの方が落ち着いているようにも感じた。
寒々しい白い灯りの下で、江渡貝は鶴見から預かった本の表紙に目を落とした。
鶴見が授業中に紹介していた本だ。高校二年生の夏休みに読んだことがある。
動物の大きさ、寿命、生物学。何気なく普段目にしている生き物だが、生物学を基に世界を見てみると不思議だったことに合点が行くような気がした。懐かしさを感じながら、歩きながら何気なく一ページ目を開いてみる。
本の一ページ目には紙が一枚挟まっていた。
江渡貝はそのメモを指先で摘みあげた。
そこには、しりと「り」と書かれていた。
丁寧にやじるしまで添えてある。
悪戯だろう。
しおりのように挟まれていた定期券程度の大きさの白い紙だ。裏側を見るが何も書いていない。
誰かが授業中に手紙を回していた後だろうか。
ひ昨日の日付が描かれている。
江渡貝は胸ポケットに差していたボールペンを持つと、そこへ「りんご」と今日の日付を書き足した。
江渡貝は満足げにボールペンを胸にしまう。机の上に落書きをしているみたいだ。と江渡貝は思った。
それだけ書いて紙を挟み、本を閉じる。これを読む相手の顔はわからない。
けれどもこの学校に通う誰かなんだろう。そもそもこの本をたまたま手に取ったけれども、貸し出しされているのだろうか。何となく本を裏返して貸し出しカードを取り出した。数年間誰にも借りられていないのか、日付は二十年前で止まっていた。記名はされていない。まさか二十年前からあの音楽室にあったのか。江渡貝は唇を尖らせてじろりと本を睨んだ。
たしかにページを開けば古い紙と微かなカビのにおいがする。小口の部分は日焼けして薄茶色に変色していた。
書かれたメッセージをもう一度確認する。誰かが遠い昔に悪戯したのかもしれない。
それならば、返事は来ないのだろう。
急に胸の奥が冷えたように感じた。
江渡貝はカバンと鶴見から受け取った本を持つと、昼間、授業を受けていた教室へ向かった。
教室は闇に沈んでいた。窓ガラスに反射する廊下の灯りすら得体の知れない生き物のように見えてくる。
江渡貝は教室の入り口の外から、部屋のスイッチに手を伸ばした。明かりも点けずに底知れぬ深い闇の教室に身を置くのは躊躇われたからだ。蛍光灯はりりり、と鳴ると青白く室内を照らした。江渡貝は足早に座っていた窓際の席へ向かう。
案の定、机の上にはシロクマのマスコットが転がっていた。マスコットの先には家の鍵がついている。
肩に掛けていたカバンを一度、椅子の上に置いた。
無事に自宅の鍵と再会できたことに胸を撫で下ろし、江渡貝は鍵をズボンのポケットに滑り込ませた。
その他に忘れ物はしていないだろうな、と江渡貝は用心深く、机の中を覗き込んだ。
机の中には特になにも入っていないようだ。
早く帰ろう、と再びカバンを持ち上げる。教室を出ようと、一歩踏み出すと、江渡貝の横で小さな物音がした。
誰だ、と思わず江渡貝は音のした方へ目を向けた。
見ない方が良いかもしれないと後悔するも、江渡貝の判断は一秒遅かった。
視線の先には、金色の目をぎらぎらさせた白黒の猫がいた。猫の頭の柄ははち割れだ。はち割れの猫である。
猫はネズミのお土産を口に咥えたままどこかへ向かっているところだったらしい。
江渡貝と目が合うと、驚いたように目を丸くして大きな口を開けた。
「にゃぁぁ」
ぽとりとネズミは床に落ちた。
猫は威嚇するように真っ赤な口を開けている。
江渡貝は思わず、息をのんだ。悲鳴を上げるより前に江渡貝は猫から逃げるように教室の外へ駆け出していた。
教室の電気を消し忘れてしまった。けれども、今はそんなことよりも、猫の前から逃げることが最優先であった。
江渡貝は転びそうになりながらも、全速力で旧校舎の出入り口を目指す。
息を切らせながらも、渡り廊下を走り抜け、おなじみの校舎の廊下に飛び込んだ。
見慣れた白い樹脂の床、LEDライトの灯りにほっとする。
ちょうど鉢合わせた部活動帰りの下級生が変質者を見るような目で江渡貝をちらちらと遠目に見ていた。
見世物じゃないと、言いたい気持ちもあるが、息切れと極度の緊張からの解放で江渡貝はその場にしゃがみこんでいた。
江渡貝は現代に戻って来た安心感に思わず天を仰ぐ。
冷静になって考えてみれば、さっきの猫はただの白黒のはち割れの猫だったのでは、と江渡貝は思う。
けれども、旧校舎という言葉の響き、夜の学校というシチュエーションではただの猫でさえ怖いと思ってしまうのは仕方ない。
「あ……」
鶴見の存在とともに、江渡貝はひとつ思い出したことがあった。
鍵は持ってきたけれど、鶴見から引き受けた本を教室に忘れてしまったのだ。
けれども、あの恐怖を思い出すと、暗くなった校舎に引き返す気は起きなかった。
明日の日の出ている時間に取りに行こう。
しばらくの間、江渡貝は昇降口の方へ遠い目を向けぼんやりと眺めていた。

江渡貝は翌日の放課後、再び、旧校舎の教室へ向かっていた。
昨晩教室へ忘れた本を取りに行くためだ。
昨日見かけた猫はきっとただの猫だ。怖いものではない。そう言い聞かせながら渡り廊下を進んで行く。
それから、もうひとつ気になっているのは鶴見のことだった。
時々旧校舎の音楽室にいるのか、それともよく来ているのか。直接本人に聞き出せば話は早いのだが、授業中にそんなことは訊けないし、わざわざ職員室に行って聞くようなことでもないように思えた。

今日は、授業が終わってすぐに旧校舎へ向かっているため、外はまだ明るい。窓の外は穏やかな天気が続いている。
空き教室の並びを進んでいき、昨晩の部屋を見つける。窓際の席には昨日のまま本が取り残されていた。本を手に持ち、ページをめくった。
昨日いたずらに残していたメモも取り除いておこう。
そう思いながら一ページ目を開けば、しりとりの続きが書き込まれていた。
「ごりら」と書かれた文字の下にはメッセージが一言添えてあった。
まさか返事がくるなんて、と江渡貝は紙の筆跡をじっとみる。
丸くもなく、角ばってもいない。特別上手い文字ともいえないが、全体的に整った文字だ。
「私はもうすぐこの学校を卒業します。あと十日ほどでここともお別れです。」
同じく三年生だったのか、と江渡貝はしりとりの相手に対して急に親近感を覚えた。もしかしたらクラスメイトかもしれないし、隣のクラスの生徒かもしれない。
「僕も三年生です」
江渡貝は返事と「らっこ」という文字を書き足した。
江渡貝はもう一度本をその机の上に置いて置くことにした。本来ならば図書室へ返すべきなのだろう。
けれども、貸し出しカードの日付は二十年前までで止まっており、それ以降借りられた形跡はない。
昨日のメモに対して少なくとも今日には返事が返って来ていたが、本を読んでいるというわけでもなさそうだ。
江渡貝はあと十日ほどで高校も卒業する。そう考えると、残りの日々を顔の見えない同級生との文通に使っても罪には問われないのではないだろうか。返事がくればいいな、と江渡貝は本を閉じ、机の上に置いて行く。
受験も終わり暇を持て余した高校三年生にはちょうど良い遊びなのかもしれない。
窓から射し込む光で部屋の中のホコリが反射して輝いている。
「あ……」
本を閉じ、椅子から立ち上がろうと机の上に手を置くと、ちょうどピアノの音がした。
江渡貝は全身が甘い緊張に包まれるのを感じていた。柔らかな体の奥の心臓が、どきどきと脈打っている。
全身が緊張していた。足元が落ち着かない。
江渡貝は鶴見の目を思い出していた。昨日会ったばかりだというのに、記憶の中の鶴見は夕陽に照らされて、ぼんやりとしか思い出せない。どんな顔の人だっただろうか。江渡貝の足は自然と音楽室へと向かっていた。
ここなら咎められることはない。誰もいない廊下を走っていく。
猫に驚いて逃げていた時とは違う、もどかしさが胸を焦がす。
一歩一歩足を進めるごとにピアノの音がよく聞こえてくる。
昨日はぴったりしまっていた音楽室のドアは、微かに空いていた。江渡貝にいつでも入って良い、と言っているようだ。
ドアに手を掛けスライドさせると、ピアノの音が止んだ。
江渡貝は恐る恐るドアの隙間から中を覗いた。
おや、と鶴見は顔を上げ、ドアの隙間から顔を出す江渡貝を見た。
「鶴見先生っ!」
「あぁ、江渡貝くんか」
江渡貝は鶴見の呼びかけに頬を紅潮させた。
「音楽が聴こえてきたので、来ちゃいました」
弾むような声で江渡貝は嬉々として答えた。
「あちらの校舎まで音が漏れていたかな」
一方で鶴見は、まずいなと渋い顔をしてあごにしわを寄せた。
「いえ、こっちの校舎に入ったら聞こえてきたんです」
また忘れ物しちゃって、と江渡貝は舌を出した。
「あの……今日も弾くんですか、ピアノ。聞いていっても良いですか」
「どうぞ」
鶴見は仰々しく肩を動かして見せた。
そして鍵盤に両手を置くと、息を吐き出すように音楽を奏で始めた。
ピアノを弾きながら鶴見は江渡貝をちらりと見た。江渡貝は直立不動で目から星を零しながら鶴見の方をじっと見ていた。教壇に立つ側の人間故に授業中に感じる、生徒たちからの視線には慣れているが、音楽を演奏している様子は見られ慣れていない。いよいよやりにくくなった鶴見は演奏のテンポを落としながら江渡貝に声をかけた。
「そこで聴いていないで、こっちに座ったらどうかい」
ピアノの奥にはもう一脚椅子が置いてあった。黒塗りで高さを調整できるようになっており、座る部分はえんじ色をしている。連弾用に置いてあった椅子なのだろう。
グランドピアノの大きな本体から回り込み、江渡貝は椅子に座った。高さを調整する部分は古くなっているからだろうか。座ると軋んだ音がした。
ここの音楽室も過去のものばかりが置かれており、仕方ないことなのかもしれないが、ピアノも椅子も年季が入っている。心なしか、楽器の音もあちらの校舎のピアノとは違うように感じた。
「そういえば……あっちの音楽室のピアノはひかないんですか」
江渡貝の質問に鶴見は手を動かしながら口を開く。
「あちらは吹奏楽部が使っているし、趣味で引く程度なら、調律はややおかしいかもしれないが、こちらのピアノで十分だ」
鶴見は一息、間を置いた。
そして、深く息を吐くように言葉を続けた。
「もうすぐこちらの校舎は取り壊される。きっとその時にこのピアノは撤去されてしまう。あとほんの少しの間になくなってしまうのに誰も弾かないというのは寂しいと思っているだけだ」
僕もさみしいと思います。そんなありきたりな言葉しか浮かばず、江渡貝は黙り込んだ。
「そういえば、江渡貝くんももうすぐ卒業だったね。たしか、生物系の大学だ」
「よく覚えていますね」
「そりゃ、何年も教師をしているからね。それに、私は生物担当だから、将来の同士を贔屓目に見てしまう」
「ふふ、先生の授業を聞けなくなっちゃうのは寂しいです」
江渡貝は心のそこからそう思っていた。殆どの生徒は受験が終わり、残すイベントは卒業式くらいしかない。高校三年生の授業もほとんど終えており、授業内容は補足的なものに切り替わっていた。そのため、まだ受験のある者を除き、自主的に授業を受けるようになっていた。もっとも学校側は積極的に皆勤賞を推進しているため、殆どの生徒は出席しており授業風景はいつもと大きく変わらない。
「生物はあと何回あったかなぁ」
「あと……5回くらい?」
「うぅむ、そろそろ授業のネタも尽きてきたなぁ。何か聞きたい内容とかはあるかい」
「そうですね……鶴見先生の学生時代の話とか……?」
冗談半分、けれどももう半分は本気だ。江渡貝は上目遣いに鶴見の横顔を見る。
鶴見は思い出を振り返るように目を瞑った。それでもなお、ピアノを演奏している。
弾きなれた曲なのだろうか。滑らかに動く指先に関心してしまう。
「難しいなぁ。学生の頃のことなんて忘れてしまったよ」
鶴見は薄っすら目を開ける。遠い昔を思い出しているのだろうか。ゆったりした音楽が室内を満たしている。
まるで喫茶店で流れているクラシック音楽のように、その場にしっとり溶け込んでいくような音色だ。
鶴見も江渡貝も始終無言だった。何の曲を弾いているのだろう。江渡貝は鶴見の弾く曲が気になったが、いま口を開くのは間違っているような気がした。だから、静かに鶴見のことを眺めていた。
やがて演奏は終わり、鶴見は両手を膝の上に置いて顔を上げた。
「今日はこのくらいにしようかな。外も暗くなってきた」
たしかに外を見れば、いつの間にか青空は茜色に染まり、世界は薄紫色に変わっていた。
ピアノの音が止むと、途端にあたりの静けさが際立った。音楽室は特に遮音性がある壁を使っているからだろう。
部屋にかけられた時計の音だけが妙に大きく聞こえた。
鶴見はもう帰るのだろう。それならば、僕も帰ろうかな。江渡貝はそんなことを考えていた。
昨晩の猫との遭遇と恐怖を思い出す。正しくは猫が怖いのではなく、化け猫が怖いのである。
昼行性の人間という生物である以上は、無条件に夜を怖いと感じてしまうのは仕方ないことなのかもしれない。
「あの鶴見先生」
僕も一緒に帰ります。という言葉は錆び付いた鐘の音にかき消されてしまった。
毎日午後五時に鳴る学校側にあるベルの音だ。
帰路や、皆のいる校舎で聞く分には不気味だとは感じることはなかったが、薄暗い音楽室の中、たった二人で聞くと不安な気分になった。不協和音は幽霊でも呼び起こしそうだ。
「こちらだと鐘の音が大きい。鐘が近いんだ」
心細そうな江渡貝に鶴見は言った。聞き慣れた鶴見の声に江渡貝は穏やかさを取り戻していた。
「先生……一緒に帰ってもいいですか?」
江渡貝は鶴見に甘えるような目を向けた。
「うん、帰ろう」
音楽室の外には、夜の気配を沁み込ませた廊下が続いていた。
昨日と違うのは廊下に響く足音が二人分、そして二人分の話し声があることだ。
「そういえば、先生って毎日ここにきているんですか?」
江渡貝は気になっていたことを訪ねた。
鶴見はにこりと紳士な笑顔を作る。
「うん。何日か前からこっそり」
「そういえば先生はどうしてこっちの音楽室に来るようになったんですか」
「私も江渡貝くんと同じく忘れ物をしてしまってね。偶然だよ」
「明日はきます?」
「うん」
それなら、僕も、と江渡貝は答えた。

続く

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