エレリ 君に恋する金曜日 現パロ

エレリ、現パロ。サンドウィッチ屋バイトエレンとリーマンリヴァイのラブコメ。オフ本の再録集に収録している作品です。

毎週金曜日は日替わりで野菜のサンドウィッチ、
――以下ベジタリアンサンドが安い。

全国チェーンを展開しているこのサンドイッチ屋であるが、リヴァイの通っているシガンシナ店は自宅から徒歩15分。また、電車であれば約5分。
全国展開しているそのサンドウィッチ屋は各駅にあると云っても過言ではないほど店舗が多い。
おまけに、一駅かけて通わずともリヴァイの自宅の最寄り駅・トロスト駅前にも存在しており、この店舗までわざわざ出向く必要はない。
しかし、ここの店舗にリヴァイが通い詰めているのには理由があった。それはこの店のベジタリアンサンドが特別美味しいからという訳ではない。
店員に聞けばおそらく全国同じ品質の同じ味の商品を提供させて頂いておりますと返ってくるだろう。
通い詰める理由……それは毎週金曜日の夜19時以降に現れるなじみの店員がいるからであった。

今夜もリヴァイは一駅手前で電車を降りた。

毎週金曜日の夜の秘密の寄り道。
電車を降りながら考えるのは、雨の降った肌寒い金曜日のことだった。

あの雨の日、電車の揺らぎに揺さぶられながらリヴァイは夕食を何にするかを考えていた。
夕食を何にするかという議題は毎日考えていることだが、一週間分の疲労を蓄えた今の身体と脳は働くことを放棄している。
週末くらいは手を抜いても許されるよな、と考えながらリヴァイはふらふらと電車を降りた。
重い頭をあげてリヴァイの目に入り込んできた情報は『シガンシナ駅』という駅名。駅名を見てリヴァイは脱力したように溜息を吐いた。
溜息の理由はただ一つ。降りた駅が自宅の最寄りの一つ手前の駅だったからである。
折り畳みの傘を持っていたのがせめてもの救いかもしれないと鞄の底に眠っていた傘の化学繊維に触れながら思う。
それにしたって迂闊だったとリヴァイはどっと押し寄せる一週間の疲れにもう一度深く息を吐く。
そして足元のアスファルトに視線を落とす。雨に濡れたアスファルトはチカチカと車のヘッドライトや看板の混沌とした明りを反射させている。
ふいにリヴァイは顔を上げるとそこには学生時代に良く食べていたファーストフード店の看板。広告の日替わりサンドウィチの文字がリヴァイの目に飛び込んできた。
禍福は糾える縄の如し。
本日の日替わり商品はベジタリアンサンドだった。
うっかり間違えて降りた駅であったがこれも何かの運命かもしれない。疲れた胃腸にあっさりとしたサンドウィッチ。
ちょうどいい、とリヴァイは店内に入っていった。

店の中に入った途端に外の雨音が強くなった。ちょうど外の雨脚が強くなったタイミングだったようだ。しかし店内の客はリヴァイひとりだけのようだ。
オフホワイトとパイン材の家具で統一された店内はファーストフード店にも関わらず、落ち着いた印象を残している。
店内の照明もファーストフードにしては落ち着いており、蛍光灯ではなく白熱灯の橙がかった柔い光は喫茶店のようである。
また、レジの横や店内の小さなラックにも観葉植物が飾られており、さらにジャズピアノが流れる店内は好印象だ。
本日のサンドウィッチであるベジタリアンサンドを注文しようか、とリヴァイはカウンターへ向かった。
カウンターには新人なのだろう『研修中』の文字の入ったプレートをかけたおそらく、学生の店員が立っていた。
まだ慣れていない様子でその店員はリヴァイににこりと作り笑顔を向ける。
「いらっしゃいませ、コンバンハ。ご注文は何になさいますか? えっと、本日はベジタリアンサンドがお安くなっておりますが」
何に致しますか、と新人店員はたどたどしく言った。
あ、二回も聞いてしまったというような顔で視線をきょろきょろとさせる。学生なのだろうな、とリヴァイはささやかな粗相は気に留めずに注文を行う。
「……ベジタリアンサンド。ドリンク付きで」
まぁ、最初っから決めていたがなとリヴァイは心の中でそのやりとりに独り言を付け足す。
「ええっと、パンはどれになささ、いますか?」
あ、どもった……どんな顔しているのか、などと意地の悪い考えを浮かべながらリヴァイはふと店員の顔を見上げた。

茶色みがかったくせ毛に大きな瞳。
やや中性的だが、所謂イケメンに分類されそうな顔立ちである。リヴァイは思わず見惚れてしまっていた。
「……」

黙り込んでじっと目の前の店員を凝視するリヴァイを不思議に思ったのだろう、新人の店員は小首を傾げた。戸惑いの色を浮かべた色素の薄い瞳は頼りなげにゆらゆらと揺れている。
「えっと、これだとプレーンタイプのパンでトースト無しがおすすめですが……?」
新人店員はリヴァイが勝手に心をときめかせているなんて気が付くこともなく、マニュアル通りの手順でリヴァイにドレッシングと野菜のカスタマイズを尋ねた。
いっそこの店員に好みの野菜とドレッシング、ついでに連絡先と好みのタイプを聞きたい、とリヴァイはぱっと閃く。
好みのタイプを聞いてそれから、と妄想は広がるが、爽やかな営業スマイルにその思考は現実に引き戻される。
疲れているからこんな考えになるんだ、とリヴァイは自分自身に言い聞かせ、店員のすすめるカスタマイズに、自分の注文も加える。
「じゃあカスタマイズはお勧めで、野菜はレタスを特に多め、あとはオニオン以外増しで。セットドリンクでアイスティーも一緒に」
好みのタイプなんて聞けるはずもなく、会話もすることなくリヴァイはただ注文を終わらせてしまった。心の奥のリヴァイは後悔にがっくりと地面に膝を付いた。
「お会計は五百円になります」
結局、リヴァイは連絡先も好きな野菜も聞き出せず、五百円になりますという間違ったバイト敬語すら突っ込めなかった。しかし、でかでかと研修中と書かれたネームプレートの下に隠れるように記してあった彼の名前は見逃さなかった。
『研修中 イェーガー』

トレイにアイスティーの入ったカップとサンドウィッチを乗せてリヴァイはテーブル席に移動した。
ちなみに注文したサンドウィッチはベジタリアンサンドと銘打っているが挟まっているものは野菜のみではない。
確かに野菜の種類はほかのサンドウィッチと比べると多いのだが、チーズやハムが挟まっており一般的に思うベジタリアン・菜食主義者のそれとは違う。
あっさりとしているこのサンドウィッチにシーザードレッシングの濃厚な味付けはあっている、とリヴァイは思う。

他のドレッシングと比べるとやや高カロリーであるものの、サンドウィッチ自体のカロリーは控え目であるため問題はないだろうという考えがリヴァイの持論だ。
大きく口を開けてパンを頬張ろうとしたところでリヴァイは座った場所を少し後悔していた。
何気なく選んだ席は店員のいるカウンターから目の届く席にしてしまったからである。それに加え客はリヴァイ一人だけである。
人目を気にするような性格ではないが、意識した方向にリヴァイはつい振り向いてしまった。
サンドウィッチを食べようとして大口を開けたままのリヴァイと、カウンターの向こう側で暇そうにしている青年との目があう。
間抜けな顔をさらしてしまったようで、気恥ずかしさにリヴァイは手元に視点を戻した。
あの一瞬の視線を交わすやり取りの中で、まだ幼さを残す顔つきがはにかんだような気がした。
もう一度顔をあげ、店内を見れば、店員は外を眺め、手元のストローやケチャップなどの補充の作業のために手を動かし、再び仕事に戻っていた。
鼻歌を歌いながら花に水やりでもしているような仕事ぶりを何気なくみていると、店員はリヴァイの方に気が付いたらしい。その口角がわずかにあがる。
大口を開けていたことや、観察している変な客を馬鹿にしているというより、親しみを込めたような表情の変化にリヴァイの気持ちはどきりと跳ねた。
落ち着かないが、親しみ深い表情を向けられたことに緊張が解れたのかもしれない。リヴァイも店内の音楽に耳を傾け、ただの客に戻る。

外の雨はどうなっただろうか。店内に入った時と比べると音楽に打ち消されているからかもしれないが、大分穏やかになったのではないだろうか。
雨の線で塗りつぶされていた店の外もすっかり落ち着いており、どこか気怠い週末の雰囲気を楽しみながらリヴァイはようやくサンドウィッチを頬張った。

サンドウィッチに歯をたてたところでリヴァイはパンのトーストをしていないことに気が付いた。
リヴァイは店内で食べる焼きたてのサンドウィッチの香ばしくてカリカリとした歯触りが好きだった。
故にリヴァイは店内でこのサンドウィッチを注文する際はパンのトーストを頼んでいた。

しかし、イェーガー青年の勧めるままに今回はトーストなしにしたパンのカスタマイズで注文をした。

そのパンの少し張りのある表面に歯をたてる。次いでやわかい内側の食感、そして気が付けばみずみずしい野菜たちに歯がぶつかる。
あえてトーストしていないパンの柔らかさは、多めに挟まっているレタスやグリーンリーフの柔い葉の食感に寄り添っており味だけではなく食感から楽しめる構成になっているとリヴァイは思った。薄切りしたトマトは増量したため3枚挟まれている。少な目のオニオンとパプリカ本来の辛さや苦味が味のメリハリを出している。
昔より少々味付けがマイルドになったような気がするがこれは美味しい。
次はほかのソースでもいいかもしれないな、とまだ手元にサンドウィッチを持っているというのにリヴァイはすでに次回ご来店の予定を考えていた。
腹も満たされ、心なしか疲れも少々とれたような気がした。
折りたたんだ包み紙のラップと、空のドリンクカップを乗せたトレイを返却口へと運ぶとありがとうございますーと青年の声がする。
ちらりと目線を向けてどうも、とだけ言い残すとリヴァイは店をでた。サンドウィッチだけでは少し物足りないような気がする。リヴァイの記憶が正しければこの店舗から自宅までの道のりにコンビニがあったはずだ。
小腹は満たされているがこれでは夜中に空腹に目を覚ましてしまうかもしれない。
そんな事を考えながら傘を開こうとしてリヴァイはその手を止めた。さきほどの雨は通り雨だったようだ。
外の空気が身体を生温く包む。
雨はすっかり止んでいた。

休日明けの月曜日の朝は体が重い。
重い足取りのままよろよろと会社の自動ドアへ吸い込まれるように進むリヴァイは、いまだ休日から引きずっている平日との時差ボケに悩まされながらも職場へ向かう。
「週の始まりから溜め息か?」
エルヴィンがぬっと、リヴァイの背後から現れた。
「眠いだけだ」
リヴァイは通勤鞄の脇に入れていた缶コーヒーのプルタブを引く。曲線に開いた缶の飲み口からは香ばしい朝の香りが広がった。
この香りが朝の香りだと思うようになったのはここ数年の事である。
社会人になりたてのころは優雅に朝にはコーヒーショップでコーヒーを飲んでから出勤する、なんて夢を見ていたが、実際に働き始めると、優雅にのびのびとした生活は難しい。
なによりも朝は優雅にコーヒーショップによる暇があるのなら眠る時間に回したいと思うのが現実であった。
じんわりとリヴァイの心境を反映させたようなほろ苦い味が舌先に染みる。
これが美味しく慣れ親しんだ味になるとは大人になったものだ、とリヴァイは額にあたる温い湯気を感じながらひっそりと過去の自分と今の自分を比較する。
比較といえば、とリヴァイは先週食べたサンドウィッチの味を思い出した。
先週食べたものと比べると学生時代に食べたそれは少しだけ味が変わっていたような気がする。
やはり時代に合わせて世の中の物は変わっていくのだろうか。時代の変遷に寂しさを覚えつつもリヴァイの思考は次第に今日の昼食のことへと移り変わる。
そういえば今日の昼食は外で済ますことになりそうだ。
リヴァイは連想ゲームのように移り変わる思考で昼食のことを考えながらタブレットの画面を指先でなぞった。
そこに映し出されているのは先日立ち寄ったサンドウィッチ屋のスマートフォン向けのページだった。どうやらリヴァイの通う会社のそばにも店舗はあるらしい。
連続して食べるものでもない、と思いながらもリヴァイは画面に映しだされている例のサンドウィッチ屋のランチクーポンの画面を保存した。
出勤したばかりの朝はなんとなく気怠いが、コーヒーを飲むと目が覚めるような反射神経の回路でもできているのだろう。
オフィスの自分の机に鞄を置くころにはリヴァイの目はしっかりと冴えており、すぐに机の上のパソコンを起動させ、取引先からのメールに目を通す。
そしてこの後始まる月曜朝のミーティングに向けてメモ帳とペンを胸ポケットに入れてリヴァイは冷め始めている缶コーヒーを飲み切った。
朝に行われるミーティングはプロジェクトの班長を務めるエルヴィンを主体に話は進んでいく。リヴァイはそのプロジェクトの中では営業のようなことも行っている。
愛想も悪くコミュニケーションが苦手そうだとリヴァイは思われがちである。
だが、その無骨な職人気質と有無を言わせぬ雰囲気に説得力があるらしく、数々の困難と呼ばれていた課題やノルマを達成し、社内の契約数の歴代記録を塗り替えたことすらある。
その交渉力は過去にリヴァイがチンピラであった時代に培われたものだという噂が社内には流れているが真偽のほどは定かではない。
怪しげな噂はあるものの、実際のところチームバランスなどの環境もリヴァイにあっているのだろう。
リヴァイは営業成績は良い、そして部下からの信頼も厚い。また意外と面倒見がいいというギャップが妙に受けていてファン的な様子の部下もひそかにいるらしい。
もっとも、本人は鈍いのか興味がないのかどちらかは分らないがそんなやついるのか、などと自身のファンの存在を信じていない。
「さて」
咳払いをしたエルヴィンが部屋の壁のスイッチに手を伸ばすと部屋の照明が薄暗くなり、部屋の中央につられているスクリーンにプレゼンテーションの資料が映し出された。

ミーティングルームでのやり取りでリヴァイは冷静に情報を拾い集める。冷静さを持ちこの場の情報を分析していかなければ、この後すぐにある外回りの仕事に響くからである。
最新の情報は交渉相手に提供できる大きな資料である。
知っていればプラスかゼロだが、知らなければこちらの信頼を失うだけだ。
情報を知る。これは世の中をうまく渡り行く為には大切な事だとリヴァイは思う。特に人に対して何か働きかけるのならば。
今回の仕事の情報を脳内で整理しているその隙間にイェーガー青年の顔が浮かんだ。
思考をリセットさせるべく、リヴァイは慌てて資料を映しているスクリーンを強く見据える。
そこに移されているのは赤と青のグラフの内容はA群とB群とでの顧客満足度の比較である。
なんだいつも通りの仕事風景ではないか。まだ落ち着きのない心臓をゆっくりと落ち着かせるようにリヴァイは自分自身に言い聞かせた。
この後は外部との仕事がひとつある。
折角外に出るのならば、今日もあのサンドウィッチ屋に立ち寄ろう。どうせ駅前に行けば必ず一軒はあるだろう、とリヴァイは考えながらメモ帳にペンを走らせた。

ファーストフードのピークは朝、昼、晩と一日に約三回混雑のピークを迎える。現在はちょうど昼時である。
ちょうど外回りの仕事もひと段落つき、リヴァイの腹の空き具合もピークに達していた。
何気なく前を向くとオフィスビルのガラスに自分の顔が写っていることに気が付き、リヴァイはげんなりとした。

もともとの顔色の悪さ故か、それとも血糖値が下がっているからなのか、血色の悪い自分が自分自身を間抜けな顔で見つめていた。
あぁこんな顔をしていただろうか、と空腹とあいまってリヴァイは気分が落ち込んでいくのを感じる。
やや重い足取りであったが、目印の看板を見つけると気分が上向きになる。
自然と早歩きになる歩調で一歩一歩店へ続く道を踏みしめていく。オフィス街の青っぽい空気の中、そこだけ切り張りしたコラージュのように眩しく蛍光灯の光を発している。
店舗内はガラス張りとなっており外からも店の中が良く見える。混雑具合は席の半分ほどが客で埋まっているといったところか。
街中のサンドウィッチ店ということで女性客が多いがちらほらと男性も見かける。一人での利用客が多いようで男一人ではあるものの気兼ねなく入れるな、とリヴァイは思う。

店の手前の看板で立ち止まってそんなことへ思考を巡らせていると店へ入ることを急かすようにリヴァイの腹時計がぐぅと鳴った。
腕時計を確認し、食事を摂るほど時間に余裕があるかどうかを確認する。
時計の針はまだ十三時前後で、残り時間に安堵しながらリヴァイは店内へと向かう。
自動ドアを抜け、店内に進む早速カウンターの向こう側から店員の「いらっしゃいませこんにちは」が、リヴァイを迎えた。人の流れに乗るようにリヴァイはカウンターへ向かい注文を言おうとしたが、何にしようかとまったく決めていなかったことに気が付く。
先ほど外で眺めていたメニューはなんだったのか、と考えを巡らせるが、詳細が思い浮かばない。
後ろに待っている客も今のところいないようだが、カウンター越しの店員から少しだけむっとした雰囲気を感じ取る。
申し訳ないと思いつつリヴァイは目の前に張ってある小さなメニューに顔を近づけた。
日替わりのサンドウィッチはなんだろうか。
それとも。
少しの焦りの中リヴァイの口からでた注文は先日と同じく野菜のサンドウィッチであった。
厳密には野菜の種類が多めのサンドウィッチ、である。
因みにここの店のメニューはもともとの野菜の量の多い少ないに関わらず野菜の増量が可能であった。
勿論減らして注文することもでき、パンを抜いてサラダのようにしてオーダーすることも出来る。
また、インターネットで調べた情報によればもともと入っている野菜の倍程度までであれば増量が可能らしい。
その限界に挑んだブログを見る限り、サンドウィッチはパンの間に具を挟むという体を成しておらず、サンドウィッチというよりは野菜サラダの乗っかったパンのようであった。
勿論平日の昼間からそんな悪趣味な挑戦をする気はない。
ご注文は? と急かすような店員の台詞に焦ったリヴァイの注文は先日と同じものにした。
ベジタリアンサンドとセットにアイスティーを。
サンドウィッチのパンはプレーンのトースト無しでシーザードレッシング。
野菜はオニオン以外すべて多めに、と注文をした。
店員の若い女性は普段のそれよりも多めに野菜を盛り付けてから顔をあげる。
「これくらいでよろしいですか?」
「あぁ、それくらいで」
もっと限界まで野菜を足してくれと言ってみたらどうなるだろうか。悪趣味と評してはいるものの興味深いテーマもあったが、美味しく食べきる範囲に収めてもらうことにした。
会計と引き換えに受け取ったトレイには先日と同じようにサンドウィッチとドリンクが乗っている。窓際に一人用の席が並んでおり、いくつか空席が空いていた。
外から店内が良く見えてしまう故に日射し避けでもあるのかもしれないが、ブラインドが窓に取りつけてあるが特に人目も気にしていないためそれをしめることはない。
そもそも人目が気になるのであればわざわざ窓際の席は選ばないだろう。
トレイを持ったまま見渡しの良い窓際の席へ向かう。
街中の人通りの多い大通りに面した店舗で客の入りは良いらしい。一人で食事をしているらしい男性客からひとつ席を開けてリヴァイは椅子に座った。

柔らかなパンにリヴァイは歯をたてる。
空気を含んだ柔らかな食感。そしてレタスやピクルスの歯触りに続きシーザードレッシングの酸味が口に広がる。もう一口進めればようやく顔を出したハムの弾力。そして、そこにチーズが合流する。
先日の味付けよりもやや尖った塩気がするな、とリヴァイは思う。
これこそ普段の味だと舌自体はいつもと変わらぬ美味しさを受け取るのだが、何かが違うとリヴァイは首をひねった。
イェーガー青年のそれはもしかしたら新人が作った為に野菜やドレッシングの配分が異なった為に味付けが違かったのだろうか。
そう考えてもみたのだが、味の根本はあの日と変わらないのだ。
どこが違うのか、ともう一口食べ進めてもリヴァイはその謎を解決は出来なかった。
また週末にあの店に立ち寄って食べ比べればその疑問は解決するかもしれない。そのついでに限界までの野菜増しでもして驚く顔も見てみたい、などと悪戯心が顔を出す。
その注文をした後の彼の驚いたような顔を想像すると腹の奥がこそばゆくなる。
大きな目を更に大きく開いて猫みたいな顔でこちらを見つめるのだろうか。からかってみたいし、もっと話したい。ガラスに写った自分自身の姿にリヴァイははっと我にかえる。
食事を摂っているためだろう、薄暗い表情にはほんのり赤みがさしており、口元が緩んでいる。
一人で思い出し笑いを浮かべていた事に気が付き気恥ずかしさにリヴァイはこほん、と誰に向けるわけでもなく咳払いをした。

初めてシガンシナ店を訪れた金曜日から一週間後の金曜日がやってきた。

「……それで、今日は花金だっけか」
リヴァイの同僚のハンジが机の上に頬杖をついて上機嫌そうに言った。
はて、はなきんとは何のことだろうか。
リヴァイは頭上にクエスチョンマークを浮かべ首を傾げた。
リヴァイは体格が小柄で、顔のパーツが小さい為、本人は認めたがらないが、童顔だ。無意識な動作なのかもしれないが、小首を傾げるなどの細かい仕草が彼の幼い印象を助長させていることに本人は気が付いていない。
「はなきん?」
リヴァイ曰く「俺はこう見えて結構現代語に疎い」らしい。
ちなみに花金とは花の金曜日。
景気の良かった時代にサラリーマンが土日休日であることを理由に金曜日の夜に遊びまわる事を意味する俗語だ。景気の良い経済成長の時代の終りとともにその言葉は死語となりつつあり、認識率の低下は否めない。
「そう、花の金曜日。最近は死語になりつつあるけどさ。明日は休日だし、皆飲み会とか遊びにいったりしたくなっちゃうよね?」

ハンジは何か悪巧みでも考えているような顔つきでリヴァイに好奇心の目を向ける。

普段リヴァイが金曜日だけは早く帰る為に、何か色恋沙汰のイベントを隠していると思っているらしい。
警戒の意思を込めた目でリヴァイはハンジを睨む。
ハンジは、やだやだぁそんな顔で睨まないでほしいね、と言って手を顔の前で振って誤魔化した。
「ふふ、だってリヴァイは毎週金曜日の夜は一人でどっか出かけちゃうじゃない。仕事人間で週末だって死んだ目をしていたあなたが、ねぇ?」
誤魔化しながらも旺盛な好奇心はその程度の脅しではひっこまないらしい。メガネの奥の瞳をぎょろりと動かしハンジは面白そうに続けた。
「サンドウィッチ屋さんでかわい子ちゃんでも見つけたのかなぁ?」
サンドウィッチ屋という単語に対してぎょっとしたようにリヴァイの目は大きく見開かれる。
誰にもこれは言っていないハズだ、どうしてサンドウィッチ屋のことを知っているのだろうか。
「おい、どうしてお前がそのことを知っている」
「ふふん、私の情報網を舐めないでほしいね」
トントンとこめかみを人差し指でたたく動作をしながらハンジは言った。
「どこまで知っている?」
「さあね。」
さあね、とリヴァイから目を逸らしたハンジは唇を尖らせてそっぽを向いてしまった。こういう時のハンジは絶対に口を割らない。仕方なしにリヴァイは舌打ちをする。
自分だけの秘密を知られたようで少し気分がささくれる。
「俺は帰るからな」
「いってらっさーい、悪いことはしちゃだめだよぉ」
本当にどこまで知っているんだ、クソとリヴァイはコートを着ながら呟いた。

週末の帰宅時間の電車は混んでいる。
皆それぞれに休日へ向かっているようで浮足立っており、心なしか騒がしい。
隣に座る若い男女が手を握り合っている。もしも、自分にも恋人がいたら、などとリヴァイは柄にもないことを考えた。
胸の奥がぎゅと掴まれるような感覚に切なさを感じた。
それは空腹のときの切なさとは違う気がするが、きっと腹が減っているんだろうとリヴァイは思い直した。

早く駅前のあの店に行きたい。空腹と焦燥感の入り混じる気分がリヴァイに電車の窓を覗かせる。
窓の外を覗くと春独特のとろりとした夜空と風景が広がっている。春一番はいつの間にか止んでいて、すっかり春めいてきたな、とリヴァイは思った。

駅に到着し、電車から降りる。
人の波に乗るように改札を出ると、みずみずしい春の気配を含んだしっとりとした風がリヴァイに触れた。
とろみのある春風を通してみる世界はどこか薄膜に包まれているように感じて不安な気分になる。
これから新しく芽吹くものを感じさせるからだろうか、力強く変化していくものに不安と期待にリヴァイだけではない、世間が騒めいているからなのかもしれない。

「いらっしゃいませ」
店内に入ると、耳心地の良い声がリヴァイの鼓膜を揺らした。時刻は夜九時をまわったところだ。
リヴァイは頭上と手元に設置してあるメニューには目も向けずにイェーガー青年のいるカウンターへと向かった。
走った覚えはないが、少しだけ脈が速い。
それは気のせいではなく、リヴァイが無意識に緊張していたからだ。
「日替わりサンドウィッチのドリンクセットで」
間を開けずにリヴァイはドリンクを紅茶で、と続けた。
「パンはどうしますか?」
マニュアルに沿ったようにイェーガー青年はサンドウィッチのカスタマイズを尋ねる。
その声は前回よりも店員として落ち着いており、バイトに慣れてきたことを感じさせる。
「プレーン、トースト無しで」
リヴァイは次に聞かれるのであろう事項を先回りするように言った。
「野菜はオニオン以外多め、特にレタスを多めに。ドレッシングはバルサミコソース気持ち多めで」
「えっと……トッピングはいかがなさいますか?」
「今日はアボカドを」
今日は、という言葉に青年は興味を持ったようで、きょろりと動いた瞳がリヴァイに向けられる。
「ん?」
何か質問でもあるのか、という意味を込めてリヴァイは店員を見つめ返した。
「はは、ここには良く来るんですね、オレよりも注文慣れているんじゃないかって思ったんです」
「よく利用しているからな」
確認の為にとリヴァイは店内を見回した。今日もリヴァイ以外に店内に客はいないようである。それならば、多少の会話をしていても許されるだろう。そう考えリヴァイは言葉を続けた。
「そういえば……学生か?」
高校生くらいだろうか、と思いリヴァイは尋ねた。
「そうです、大学通ってて今19です」
「……そうか」
大学生だったのか、身長がやや低いリヴァイ自身も若く見られがちである。その為、目の前の青年のことを棚に上げることはできない。
だが彼に対する第一印象は子犬のような高校生、であった。リヴァイが思っていたよりも年齢は離れていないようだ。
そんな感想をリヴァイが思っている一方で、目の前のカウンターでは決して手際は悪くはなく、丁寧に野菜がパンの間へ詰められていく。
話しかける事が作業の邪魔をしているだろうか、とも考えたが、じっくりと話をしたいリヴァイには好都合だ。
「……今日はもう金曜だな」
「そうですね、明日はおやすみですか?」
「あぁ、そうだな」
何と話しかければいいものか、思案の結果出てきた言葉はそれであった。
まだ二度も会話を交わしていない店員と客の関係性ではこの程度の会話しか生まれないのは仕方のないことであろう。
二人の会話は途切れ、小さく流れていたピアノ音楽がはっきりと耳に届き、静けさを際立たせた。
くすり、と何小節分かの沈黙を破るようにリヴァイの目の前の青年は笑みを零した。
なぜここでそんな表情を、と思うリヴァイの心中を察したのか、青年は面白そうに切り出した。
「そういえば、さっき、オレの年齢聞いてびっくりしましたよね?」
くくく、と笑いながら青年は続ける。
「実年齢よりも結構幼く見えるみたいで、よく驚かれるんです」
「だろうな」
リヴァイは口角をあげてそう言った。
「ぎりぎりの時間まで働いているようだからちょっと気になった」
「そういえば、お客様、お野菜の量はこれくらいでよろしいですか?」
少しだけ落ち着かないその呼び方に思わずリヴァイは眉を顰める。
「その、野菜の量はそれでいい。それから……」
「もう少しお野菜何か追加とかしますか?」
「そうじゃなくって……俺のことは……その」
勿体ぶったような言い方に青年は首を傾げてリヴァイの言葉を待った。
「リヴァイ。そっちで呼んでくれて構わない」
イェーガー青年は考えるように口を噤んだかと思えば、躊躇いながらも言葉を紡いだ。
「オレはエレン。エレン・イェーガーです」
その、とエレンはぼそぼそと話を続ける。
「オレのことはエレン、でいいです」
少しだけ打ち解けたような言い方がリヴァイの耳に届く。
エレン・イェーガーというのか、とリヴァイは一人心の中で何度もその名前を復唱した。
そして。
「エレン、オリーブをもう少し頼む」
と注文を追加した。
リヴァイはオリーブが好物というわけではない。
わざわざブラックオリーブの追加を頼んだ理由は、ただ単にエレン、という名前を呼んでみたかったからであった。
しかし、ただ名前を呼ぶのは不自然すぎる。それだけの理由であった。
始めて口に出すその名前はリヴァイが思っていたよりも言いやすく、言葉としてリヴァイになじみが良い気がした。
もう一度呼びたいと思ったが流石に不自然だと思い、喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。
リヴァイの葛藤など知る由もないエレンは、威勢の良い返事を返し、ステンレスのパッドに入っているオリーブを手一杯に掴み取り、ベジタリアンサンドにぶちまけた。
ブラックオリーブがてらてらと新鮮なレタスの上に光っている。確かにオリーブはサンドウィッチに合っており、美味しいが、流石にこの量は味が濃くなってしまうだろう。
ほんのりと自分の考えなしの行動に後悔しつつ、考えるように顎に手を添えていたリヴァイは上を向いた。
それならば少し味付けを薄めにした方が全体のバランスが取れるだろう。ドレッシングのボトルを持つエレンに注文を追加した。
「ドレッシング少なめで」

トレイを受け取るとリヴァイは再び先日と同じテーブル席へと移動した。椅子に腰をおろし早速サンドウィッチを手に取る。
ずっしりとしたそれを両手に持ち、パンを包んでいるラップをめくるとしっとりとしたパン生地が顔を出す。
今日に限ってはオリーブが多い。
しかし多めにオリーブを挟んだわりにはバランスよくレタスは盛り付けられており、齧ってもトマトが滑り落ちることがなかった。
新人にしてはやるじゃないか、とリヴァイは感心したようにパンを噛みしめる。
甘味と酸味のきいた刻み玉葱の入ったソースが野菜に絡んでいる。噛みしめるブラックオリーブの弾力も心地が良い。ブラックオリーブは単体でも塩気がある。
バルサミコソースを少な目にしておいて良かった、この盛り合わせも悪くない、と自分の選択に間違いはなかったことにリヴァイは表情を緩ませた。
もう一口進めると今度はアボカドの風味が全体的にまろやかさを生み出した。
ちなみに、アボカドを使った商品はパンの断面に直接アボカドソースが塗られる。アボガドは森のバターと呼ばれるほどのねっとりとした舌触りである。
このアボガドソースは一度食べたら舌がその味を忘れないだろう、パンに水がしみこむことも回避し、かつ美味い。
あっさりした軽い味わいも楽しみたいが、たまには重みも欲しい、そんな贅沢も満たしてくれる。
本当は珈琲を注文したいところだが、珈琲の濃い苦味は野菜の味わいを楽しみたいときには強すぎるとリヴァイは考えている。
そのために大抵の場合、烏龍茶か紅茶を注文している。
ああ、美味しかった。リヴァイは顎についてしまったパンくずを払い、トレイをもって席を立つ。
食器の返却口にトレイを運んでいるとエレンと目が合った。
ありがとうございましたとマニュアル通りの挨拶で見送るエレンに手を振ると、エレンはリヴァイにむけてにこりと笑い返した。
物足りないくらいの軽い食事であるのに関わらずその日は普段よりも腹が満たされたような気がして、今日はコンビニにもよらずにリヴァイは真っ直ぐに自宅へと足を進めた。

毎週金曜日の夜九時。

この時間帯にエレンはバイトをしている。
ここで働いている理由は大学の側にあるため、学校帰りに働きやすかったからである。
おまけに固定でシフトを入れている金曜日の夕方から夜まではちょうど週末で学生も社会人も遊び歩く時間帯であるらしく、客足は少なく、潰れてしまわないか不安になるほどにこの数時間の間はやることがない。
最近始めたばかりのバイトだが、すっかり店内の掃除と、備品の補充に関してはベテランになってしまった。
だが、接客はなかなか慣れる事はなく、ようやく客が来てカウンターに出たかと思えばたどたどしい対応をしてしまう。
もっとも同じ時刻に働き始めた幼馴染のアルミンは、中性的な見た目と、優しそうな顔立ち故か、接客に駆り出される比率は高く、エレンはどちらかといえば後方支援の厨房での仕事を任されることが多かった。エレン自身も接客で前へ出ていくよりも厨房でオーダーされるサイドメニューのポテトやら、デザートの準備、店内の掃除をしている方が向いていると思っている。
しかし、先日の大雨の降った金曜日、時間差でアルミンは通り雨にぶつかってしまったらしく、電車が遅延した。
遅延しているその当時にシガンシナ駅では小雨程度だったため、早めに店についていたエレンはアルミンの代わりにオーダーを取るハメになったのである。
どうせ暇なアイドルタイムだから客は来ないだろう。
エレンはガラスのドアの向こう側の様子を眺めては手元のストローの補充をし、あくびをするという労働をこなしながらバイトの終わる時間を待っていた。
ぱっとガラスの外に人影が見えた。小柄なスーツ姿の男を認識すると同時に店の入り口ドアが開く。
反射的にエレンはお客様を迎える挨拶を行った。
たどたどしく挨拶をして、注文を受けていく。そしてパンの焼き加減を聞いたその時、ようやくその男はうつむきがちだった顔をあげてエレンの方を見た。
俯きがち……というよりもエレンよりも身長が低い為に必然的にそうならざるを得ないのかもしれない。
真っ黒な前髪と同じ色の瞳がエレンの瞳を捉えた。切れ長の釣り目に、尖った鼻筋、黒いコートはどこか威厳というか、近づき難い雰囲気を作り出している。
その中で唯一さし色のように唇と頬の血色が赤く色づいてはいるが、全体的な雰囲気におされているのか、それとも顔色自体も良くないのか、どこかモノクロな雰囲気は拭えない。
綺麗な顔立ちではある。

その一方で、どこかとっつきづらそうな、神経質そうな人だ、とエレンは思った。
頭の中で鼻歌を歌いながらカウンターで作業をしていると、客とぱちりと目が合ってしまった。客といっても今は先ほど来たあの男性客一人だけである。
目つきが悪い事にエレンは定評がある。だからこそ普段は厨房担当といえどもカウンターに立っているからにはしっかりと接客をしなければ、と営業スマイルを浮かべた。
すると、こちらを見ていた黒っぽい男は驚いたように目を大きく開いた。一度その顔は伏せられてしまったが再びこちらを振り向く。
にこり、と日頃使わない営業スマイル筋は引きつりながらも仕事を果たし、ぎこちなくだが、エレンは笑顔を作った。その笑顔を見たのか、見ていないのかはわからなかったが、エレンの方に向けた顔はもともとそうする予定だったかのように自然と逸らされてしまった。
冷たいイメージではあったが、今はどちらかといえば気まぐれに歩き回る黒猫のようだ、とエレンはリヴァイに感じた。近寄りがたい美人でもあるが、その中に可愛らしさも少し感じてしまった。
カラス……それとも黒猫のようなその男は、店内に一人でとくに見るものもないのだろう。時折店内をじっと見ては食事をし、そして静かに帰って行った。
次の週の金曜日もその黒っぽい男はやってきた。
今日のエレンの大学の講義は朝から夕方までぎっしり詰まっていた。その後のこのゆったりとした時間の流れのアルバイトは非常に暇である。そうでなくとも夕方から夜までの移り変わりの時間は瞼が重くなる時間帯だ。
夜に眠くなることは生物として健康的で良いことだ、などとアルミンが言っていたことを思い出しながら業務用のストローの入った袋を手に取ると、店の入り口ドアが開いた。
先週よりもだいぶ春めいてきた気候に合わせているのだろう。ベージュのトレンチコートを着ており前回よりも雰囲気が柔らかいような気がした。
接客をすること自体が稀である為、エレンはその男のことをよく覚えていた。
たった一度の出会いであったが、あの短時間のうちに何度も目が合ったので余計に印象に残ったのかもしれない。
先週に引き続き今週もエレンがこのカウンターに立っている理由はオーダーをとることにいい加減慣れろ、という店長からのお達しがあったからだ。

店長のハンネスとは小さいころからの顔見知りであった。両親とも交流はあり、昔からよく知っている人物だ。
幼馴染のアルミンも働いていて顔見知りばかりの環境であったため、甘えてしまいつい楽な仕事ばかりやってきた事への今更ながらの罰かもしれない。
しかし、慣れないままピークの時間にカウンターを任せるわけにもいかず、今のところ金曜日の夕方あたりに主にカウンターに立たされることとなったのだ。
春の雰囲気に凛とした雰囲気が薄れているのだろうか、初めてここに来た先週と比べると、今日の天候のように彼も穏やかな空気を纏っていた。
実年齢を知ると彼は子猫のように目を丸くした。この人は驚くとこんな顔をするのか、と込み上げる笑いをかみ殺す。
それに加えこの人は沈黙が苦手らしい、不器用そうに話題を振ってくる。なんだ、この人面白い。
エレンはついに、くくくと笑ってしまった。
笑いながらも年齢の話をすればつられるように彼も笑う。
良く見ると目の下に少しだけしわがあるが、年齢は自分と近いのだろうか、とエレンは考える。
野菜の量を尋ねればむっとしたような表情をし、そして次は勿体ぶるように言葉を出し渋る。
注文の追加だろうか、と拗ねたような表情の彼の言葉を待てば、彼はリヴァイと呼んでくれ、と言った。
……さて、これまでの話題はアルミンが今日の金曜日までにもういく度も聞かされた話の要約である。
行儀はよろしくないが、アルミンはカウンターに肘をついたままでその話を聞き流していた。
いくら幼馴染の話といっても三回も四回も同じ話題を繰り返されては飽きる。
「それでリヴァイさんって呼ぶことにしたんだろ?」
アルミンがうんざりしたように話の結末を先取りして話す。
「そうだよ。なんで先に結末言っちゃうかな」
「もう、その話題は今週に入ってから五回目。で、今日もそのリヴァイさんが来るのをエレンは楽しみに待っているんだろ」
アルミンはにやにやとエレンの肘をつんつんと突く。アルミンのその物言いに気恥ずかしさを感じてエレンは思わず否定をした。
「ち、違うって。ただ、常連さんっていいなって思っただけだ」
「ふーん、で、今日も待ってるんでしょ。僕の気のせいかもしれないけど髪型気合い入ってるし」
否定をするエレンに対してアルミンはからかうような口ぶりでエレンの顔を覗き込む。
獲物を狙う猫のように目を細めたアルミンに前髪の変化を指摘されると頬がかっと熱を持つ。
「それよりも、いつになったらそのポケットのメモは渡すつもりなの?」
「わ、忘れてたんだよ」
アルミンのからかいを振り払うように手を払おうとしたが、次のアルミンの言葉にエレンの意識は一気に店の外へと向かった。
「あ、エレンの言うリヴァイさんってあの人?」
外へ目を向ける。そこには先週と殆ど変らぬ背格好のリヴァイがこちらへ向かっている様子が見えた。
どきり、と心臓が跳ねた。

「いらっしゃいませ、こんばんは!」
もしもエレンの身体に耳や尻尾がついていたとすれば、それは振り切れんばかりに左右に振られていることだろう。
まるで忠犬が主人を迎えるような、でれでれとした挨拶具合をアルミンはモップを片手に観察していた。
「あぁ。おつかれさん」
エレンのそれに比べ、リヴァイの口調は落ち着いており、本当に主と犬のように見える。
「あ、どうもありがとうございます。今日は何に……」
「日替わりのサンドウィッチにドリンクは紅茶で」
エレンが言葉をすべて言ってしまう前にリヴァイはすらすらとオーダーを唱えた。
エレンもその注文を予測していました、と実はすでにスタンバイさせていた日替わりのサンドウィッチの具やパンをいそいそと取り出す。
「トースト無し、野菜はオニオン以外多めで。今日は追加なし、あ、紅茶にミルクを付けてくれ」
「かしこまりました、他に何かご注文はございますか?」
イレギュラーに何か頼むこともあるだろう、と他になにか注文があるかどうか、先ほどまでの砕けた口調から一変して畏まった態度で尋ねた。
生真面目な態度をとる振りを続けようとするからなのだろう。自分で決めたポーズだというのに自分でおかしくなってしまったらしく、エレンの鼻の穴は少し膨らみ、今にも笑い出しそうだ。
「以上だ」
今日も店内はリヴァイのほかの客はいない。
店内では掃除をしている金髪の少年……アルミンが気怠そうにモップをかけているだけだ。
ふぅ、と一息ついたアルミンは両手で支えたモップの頭に顎をのせて小さくご馳走様……と呟いた。

「いらっしゃいませ」
「おぅ」
春一番もすっかり落ち着き始めた金曜日。
二人の交わす挨拶も慣れてきている。
おぅ、とだけ言ってリヴァイはわざと間を置いた。
黒目がくるりとエレンに何かを伝えるようにエレンの方へ向けられる。
「あ、こんばんは。もしかしてご注文は日替わりサンドにパンはプレーン、トーストなし。野菜はレタス多めで、それ以外の野菜はオニオン以外増量ですね?」
「よく覚えたな」
感心したようにリヴァイは言った。
「そりぁ、いつも……来てくださっているじゃないですか。リヴァイさんのこと、覚えちゃいましたよ」
「ところで、今日はドリンクはどうしますか?」
「紅茶」
ふふ、とエレンは笑いをもらす。
「ほかに注文は……」
「特にないな」
「今日も同じですね。そういえば……いつもリヴァイさんが帰った少し後に仕事おわるんですよね」
「いつも時間通りだなっておもって……あ、それだけ、なんですけど……こんなこと」
どうでもいいですよね、すみませんとエレンは続けるが、それを遮るようにリヴァイは口を開いた。
指先はメニュー表に添えられており、その先はデザート欄を指している。
「やはり注文追加で頼む。チーズケーキも」
甘い物を食べる事もあるのか、とエレンは思わず、珍しいですね、とこぼした。
知らなかったリヴァイの一面を知れた喜びで腹のあたりがくすぐったいような感覚が湧き上がる。
チーズケーキ用のフォークと付属するソースを取り出しながらエレンはリヴァイの視線を感じて目線をそちらへ向けた。
見つめた黒目は真っ直ぐにエレンへ向けられたかと思えば、すぐに逸らされ、そのまま左右にふらふらと落ち着きなく揺らいだ。
何か言いたい事でもあるのだろうか、と手元のストローなどの補充用品とリヴァイとを交互に見ながらエレンは次の言葉を待つ。こういう時のリヴァイは何かを言おうとしている時だ、と先週の一件よりエレンは感づいていた。
リヴァイの唇が、エレン、と言った気がした。
「……もし、よければ一緒に帰らないか?」
もしかしたら言葉始めが小さかったから聞き逃してしまっただけかもしれないが、確かにこの台詞はエレンに向けたものだ。
カウンターを介した突然の誘いにエレンはへ、と空気の抜けたような返事とも何ともとれぬ言語を発した。
リヴァイのモノクロの瞳は不安の色を浮かべたままエレンの方へと向けられている。
「え……」
リヴァイは苦々しい表情を浮かべている。一番初めに会った印象に一番近い気がする。
もしかしたら彼の平素がこうなのかもしれないが、言った事を後悔しているようにも取れる。
「その、忙しいなら断ってくれて構わない」
リヴァイは静かにエレンから顔を逸らした。
断ってくれて構わない、と表面上は言っているが、先ほど向けられていたリヴァイの寂しげに何かを懇願するような眼差しをエレンは思い出す。
そして珍しくリヴァイがチーズケーキを注文したこと、この二つの事柄がエレンの中の鍵穴に鍵があうように結び付く。だからか、とエレンは誰に言うでもなく口に出した。
「リヴァイさん、それじゃぁ、チーズケーキ食べて待ってて。バイト終わったらすぐに着替えてきますから」
トレイに乗せたサンドウィッチの隣にチーズケーキを乗せて、会計を済ませる。
「ありがとう」
と、リヴァイはどこに係るか分らないが礼を述べてから
ほとんど指定席と化している自分の席へと向かった。

食事を終えると、リヴァイはサンドウィッチの食べ終わりのラップを折りたたんだ。
時計を確認するが、まだ時間は九時半過ぎ。エレンの仕事は十時まで、らしい。
紅茶で口直しをし、一息ついてから、リヴァイは頼んでおいたチーズケーキに手を伸ばした。
リヴァイはチーズケーキを囲っている透明なフィルムを人差し指と親指で摘まんだ。透明なフィルムの端をめくれば、はらりとそれはチーズケーキの柔肌を離れ、露わになった生地の表面から柑橘の甘酸っぱい香りが広がる。
付属のオリジナルソースと印刷されたソースをチーズケーキの乳白色にかけてみる。赤紫色で、中にはカシスのようなものだろう。
小さな果実の種のようなものがまざったソースは檸檬の香りに溶け込んでリヴァイの鼻腔をくすぐる。
チーズケーキにプラスティックのフォークを刺しこんでいくと、ケーキの底の生地に対してプラスティックのフォークは少しだけ頼りないが、力を込めれば難なく刺すことができた。
二等辺三角形の一番鋭利な角を切り分けて、ソースを少しだけ付け直した。
ぱらぱら、とフォークからこぼれ落ちるビスケット生地も気にせずに口に運ぶ。
ビスケット生地はよくあるチェーン店のパサパサとした食感でビスケット生地だけで口にするとチープだが、そこに絡めたオリジナルソースがビスケット生地をタルト生地のような食感へと格上げしていた。
更に上のチーズの部分もありがちな檸檬のきいた甘酸っぱいチーズケーキだが、生地はチーズスフレを意識しているのかふんわりとしている。
食後にチーズケーキは重いという印象の強い洋菓子であり、普通の洋食屋で食事をした後であればあまり注文する気分には……少なくともリヴァイはならない。
しかし、この店のメインメニューは軽食のサンドウィッチであり、食後の物足りなさを感じる人は少なくない。
まるでその物足りなさまでも計算されたようなこのチーズケーキは、弾力のあるパンに対峙するように、口にすればその中で甘さと香りを残して溶けるように消えていく。
値段のわりに計算された食べ物だ、とリヴァイは思いながらフォークを握る手を動かした。
半分以上食べて一口紅茶を口に含んだところで肩に重みがかかる。
振り向けばそこには私服姿のエレンが立っていた。
残りのケーキにフォークを指して一口で食べてしまうとリヴァイは紅茶を飲んで席を立つ準備をする。
「いいですよ、オレが片しますって」
エレンは手慣れたようにトレイを手に取り、それを返却口に戻す。
「じゃ、帰りましょうか!」
エレンに促されリヴァイはコートを羽織った。
何気なく隣に目を遣るとエレンは規定のポロシャツとハットではなく、私服姿である。
長袖のカーディガンの下には良く街中でも見かけるチェックのシャツ、そして無地のチノパンに革のショルダーバックを肩から背中にかけている。
リヴァイはそれに比べ、ダークグレーのスーツにベージュのトレンチコートを着ており、隣に並ぶと少しだけ違和感がある。
「そろそろコートも要らないな」
「そうですね、明日までは暖かいらしいですね」
「そうか」
ここで会話が途切れそうになるだろうか、とリヴァイが不安を覚えたところで、どこかから聞いたことのある音が鳴った。

きゅううとよく昼時になると聞く耳慣れた音。
「あぅ」
その音の発生源はリヴァイの横で恥ずかしそうに腹を押さえるエレンの腹からであった。
よく考えれば先ほどまでリヴァイは食事をしていた一方で、エレンはアルバイトをしていたのだから仕方がないのかもしれない。
「そういえば、お前は一人暮らしだったっけか?」
リヴァイがそう尋ねるとエレンはえぇと頷く。
「それならちょうどいい。寄り道ついでにお茶の一杯でも付き合え」
どうせ帰っても食事の用意なんてまだだろ、とリヴァイは勢いに任せたように言う。
そしてエレンが一歩踏み出そうとするのと同じにリヴァイは歩みを止めて、エレンのカーディガンの裾を引いた。
引き止められると、目の前には洒落たカフェがあった。
『シュガー・ロケット』と書かれたシックな立て看板には手書きの文字でメニューが書かれている。
「日中は喫茶店だが、夜は居酒屋メニューもある」
手慣れたようにリヴァイは扉を開ける。エレンもそれに続くように店のなかに入っていった。

店の中の照明は薄暗い。
店内の内装は日中喫茶店として経営しているだけに、居酒屋というよりはバーのような雰囲気だ。学生のエレンは飲み会があれば参加するものの、普段こういった洒落た雰囲気の店に来る機会は殆どない。リヴァイに不慣れだと悟られぬよう、エレンはきょろきょろと店内の様子を観察する。
席数は大人数で飲む居酒屋のように多くはなく、店主と思しき人物と向かい合わせに配列してあるカウンター席と、そことは少し離れた場所にあるテーブル席が数席あった。
リヴァイはカウンター席ではなく、奥の向かい合って座るテーブル席を選び、手荷物をそこへ置く。
テーブルの上には小さなメニューとカクテルの種類の書かれたポップが置いてあった。
「こっちが食事のメニューだ。好きなもん選べ」
布張りの表紙のメニューを渡されてエレンはリヴァイが夕食をごちそうするつもりであることに気が付く。
「え、そんな、悪いですよ」
「ばかいえ、学生と違って結構金持ってんだから遠慮はしなくていい」
「で、でも新卒って結構生活大変だって聞きますけど……」
「あ?」
新卒、という言葉にリヴァイの頬はひくりと動いた。
「お前……俺をいくつだと思っていやがる?」
いくら若くみえると云っても年下の、しかもリヴァイ自身が童顔だと思った相手からそれを言われるとは心外であった。
仕事では露わになることはないが、プライベートでは言葉遣いが粗暴で、目つきが良くないリヴァイにエレンは恐縮したように肩を縮める。
「えっと、その22歳くらい、ですか」
じろり、と三白眼がエレンに向けられる。年齢の話題は地雷だったのだろうか……蛇に睨まれた蛙のような気分だ、とエレンは思った。
「俺はもう30過ぎだ。」
「ふぇぇ、マジですか」
思っていた以上にリヴァイが自分よりも年上という事実にエレンは純粋に驚いた。
気兼ねなくこれでおごることができるな、と冗談めかしたリヴァイはエレンの前にメニューを開いて差し出す。
「好きなものを食べなさい」
優しいようなおかしいような、不思議な気分にエレンの胸はざわざわと騒ぐ。騒がしいけれど不快ではなく、どこか心地いい。
メニューを開いて軽食そして洋食のページを開く。
オムライスやハンバーグ、そしてデザートまで扱っているらしい。
「これにしてもいいですか?」
エレンは照り焼きチキンのサンドウィッチを指さして言う。
「外食までサンドウィッチか」
リヴァイに指摘されうっかり外食だというのにエレンはサンドウィッチを選んでしまったことに気が付いた。
「た、食べたいからいいんです!」
間抜けだ、と思いつつも甘辛い照り焼きのチキンを食べたいのだから仕方がない。
「それもそうだな」
「じゃあ俺はアールグレイ。食事と一緒で」
頬杖をついて同意をするリヴァイの纏う空気は大人っぽくてどこか柔らかだった。
柔和なそれにエレンは思わず見惚れ、息を飲む。心臓の鼓動が一瞬大きくなるのを感じた。
手のひらが汗で滑る。少し震える指先を落ち着かせようと出された水のグラスの側面を触れば集まった水が一筋落ちてコースターに滲みを作る。
落ち着きなく過ごすエレンから見ると、春空のようにぼんやりとしたリヴァイはどこか落ち着いているように見える。
子どもだと思われているのかもしれない。どこか晴れない気分の出口を探すように何気なく手を突っ込めば手には固い紙が触れる。

これはずっと渡しそびれている、連絡先を書いたメモだ。
何を話せばいいだろう、このメモはいつ渡せばいいだろう。
その一方でリヴァイは次の会話の糸口を探していた。
十歳以上も年齢が離れているという事も原因かもしれないが、互いの共通点も、知っていることもあのサンドウィッチ屋を基点とした事柄しか知らないのだ。
しかし、知らないのならば聞けばいいのだから。それならばサンドウィッチ屋の話から話を広げればいいだろう。
「ところで、なんであの店でアルバイト始めたんだ?」
「社会勉強になるからです」
ああ、これではまるで就職活動の面接だ、とリヴァイは考えるが、その前にエレンが話を続けた。
「ってのはやっぱり嘘で、遊ぶためにですよ!」
そんな真面目にとらないでくださいよ、冗談です、とエレンは軽く笑みを浮かべながら訂正をする。
「社会勉強ってのはオレの幼馴染の、ほら、店にいた金髪のやつ、アルミンっていうんですけど。あいつが言い出したんです」
「あぁ、あの目のでかいやつだな」
「……たぶん。なんでも社会の世界に飛び出すとかなんとか」
「その出口にしちゃ小さいな」
リヴァイが突っ込みをいれればエレンもですよね、と同意する。
「サンドウィッチ作って社会経験か、悪くはないけどな」
リヴァイは自分の学生時代を思い出しじんわりとした寂しさを感じた。
その原因は過ぎ去っていった学生時代への郷愁なのか、それともエレンと自分の生きる時間が思っていたよりも遠い事実が生む時間空間が原因なのか、リヴァイには分からない。
近くに座って共に過ごしているというのに、知れば知るほど積み重ねていった共有する時間の少なさに焦りに似た距離感がリヴァイの心の中に寂しいという気持ちを芽生えさせた。
どんなに店に通えども、所詮は店員と客であり、十年以上も年齢差があり、ましてや同性同士では友愛は生まれてもそれ以上のものにはならない可能性が高いだろう。
こうして話していてもどこかまだ遠い気がして、それはきっとリヴァイがエレンに想う感情とエレンがリヴァイに思う気持ちが平行関係に並んでいるからなのだろうと思う。
リヴァイが深く考え事をしている間にいつの間にか、照り焼きのサンドウィッチはテーブルに運ばれてきていた。
いただきます、とエレンは一口サンドウィッチにかぶりつく。
美味しい、と言い、そのサンドウィッチをリヴァイに差し出そうとしたが、エレンはふと思いついたようにリヴァイに訊いた。
「そういえば、リヴァイさんってベジタリアンなんですか?」
「は?」

ジェネレーションギャップ怖い、とリヴァイは紅茶のカップを持ったまま動きを停止させた。
しかし、
もしかしたら、だが、このエレン青年は毎回リヴァイがベジタリアンサンドを食べているためにリヴァイのことを菜食主義者だと勘違いしているのかもしれない。

「エレン……あのサンドウィッチはたしかにベジタリアン、とつくが……あれには……チーズならまだしもハムまで挟まっているだろうが」
「あ、そういえば」
「まぁ、確かにベジタリアンサンドが好きで毎回頼んでしまっているが、俺は肉だって結構好きだ」
「よかった。それなら、これ食べられますね」
一口どうぞ、と食べかけを差し向けられて、リヴァイは齧りやすそうな断面に顔の角度を変える。
普段であれば他人の齧った物には抵抗があるのだが、今日に限ってはそのガードが緩んでいる。
その理由は自分自身でも薄々気が付いてきているが完全に認めるのにはまだ決定打が足りないとリヴァイは決めつけていた。

また、エレンもリヴァイに好意を持っているものの、あと一歩を踏み出せずにいた。
ポケットの中のメモを渡すくらい簡単なことの筈だが、もしかしたら、とあと数パーセントの可能性に怯えていた。

「あの、どうして、リヴァイさんはいつも金曜日に来てくれるんですか?」
本当の質問ではない。しかし、自信がない。
だからエレンは遠回りをしながらリヴァイに質問を重ねていた。
「やっぱり、好きなサンドウィッチが安いからですか?」
なんと答えていいのかわからずに考えているリヴァイの答えを先回りするようにエレンは言った。
どうか、それだけでありませんように、とエレンは心の中で願う。しかし先に答えが用意されてしまうと、人はそこを着地地点としたくなる生き物である。
例え本心がもっと深く考えている途中の状態であったとしても。
「それは……」
始めはたまたま日替わりで安かったから。
次に来た時も金曜日ではあったが、別に金曜日にお得なサンドウィッチを続けざまに食べなければならないほどリヴァイの経済状況は現在切迫していない。
特に理由はなく、気が付けばこればかり注文していただけであった。
金曜日にここへ立ち寄るのもエレンの顔を見る為、という下心満載な理由しかないのだから正直にいう訳にもいかない。
「金曜はこれが安いからな」
リヴァイはその結果導き出した一番無難な回答をエレンに返す。世の中いつだって無難に、危険なものは踏まずに渡っていく。
本音をすべて正直に吐き出して生きていけるほど社会は優しいものではない。
冗談めかしてエレンに会いに来た、と言えるほどリヴァイは子供でも、正直者でもなかった。
「それもそうですよね、」
リヴァイの思い違いかもしれない。
見逃してしまう程の変化であったが、弧を描いていたエレンの口元が少し歪んだ気がした。
本当に短い時間だったためもしかしたら見間違いだろう、良く見ればいつも通りの表情だ。
営業向けの笑顔のように見えた。
本音を裏側にしまいこんで、今のリヴァイ自身の言い訳に似た物質で構成されているように感じる。
所詮店員と客の間にはカウンターがありそれ以上の距離は縮まらないのだろうか、とリヴァイは思う。
それから、二人はすれ違ったまま会話を重ねていった。
そして食事を終えて外に出る。
星空を見ようと、空に目を向ける。
空模様はあまりよろしくないらしい。
星は隠れていて月は良く見えない。
今日はいつもより粘っこい春の湿った空気がやけに重く感じた。


春。
長かった冬は終わり、日射しは次第に強く、気温も上っていき、暖かな気候にぼんやりとしてしまう季節だ。
社会人であれば人事の異動で人の出入りによる出会いと別れの時期である。

リヴァイの金曜日の夜からあまり良くなかった顔色は、朝のミーティングを境にますます悪くなった。
春という季節にしては不釣り合いな顔色のリヴァイは傍目に見ても調子が良いとは思えない様相だった。真冬の氷点下のもとにいるような血色の悪い顔面でじっと宙を見つめ、溜息をつく。その原因はミーティングで浮上したトラブル、そして先週から心に引っかかっているエレンの存在があった。
完全にコンピュータやロボットが仕事をしているわけではない。人間は不完全な生き物である故に仕事の上においてもトラブルはつきものである。そして、形を具象化し難い感情のやりとりに関しても。

「今回のデータの結果から考えられることは……」
少女のような容貌の新人社員のペトラがグラフにレーザーポインターを合わせた。赤い光の点を眼で追う。
二つのデータを比較したデータは確かに差が出ているのだが、前回のデータとは正反対の結果となっている。
つまり、この情報から結果が出なかったということになる。
「つまり、情報収集がもう少し必要だ、ということだね」
ハンジはきっぱりとそう告げた。エルヴィンもグラフを目にしたときから気が付いていたのだろうが、ふむ、と改めて顎に手をあてた。
新年度が始まり社内では新しい仕事の計画も進んでいる。その為、昨年度で終わらせる予定のプロジェクトは予定外の事態の発生といえども早急に終わらせる方が勿論良い。
特に週末の残業は好まないというホワイトな社風だが、こういった事態のもとでは残業になるのを覚悟で取り組まねばならない。
「少し厳しい闘いになるかもしれないが……」
「こんな時だからこそ、頑張りますっ!」
エルヴィンが奮い立たせるような言葉を言おうとする前にペトラの隣でスライド資料映写のサポートをしていたもう一人の新人が声を張りあげた。
変わった髪型で遠目からみても良く分かる風貌の彼はオルオという。隣のペトラとは学生時代からの友人であるらしい。ペトラはそれを否定おり、一見仲良くは見えないのだが、互いに切磋琢磨しているような関係でいいコンビと言えるだろう。
声を張り上げるオルオにペトラは鬱陶しそうに「リヴァイさんはそんな風に叫ばない」と言った。
もしかしたら先日のリヴァイのファン的な存在、というのは彼らのことなのかもしれない。
 朝のミーティングを終え、通常業務をこなし、翌日からに向けての打合せをしていると時間はあっという間に終業時刻をすぎていた。
今日に関してはもう、エレンがアルバイトに入っている時間帯も過ぎてしまっているだろう。
腕時計を見ればもうすぐ九時半。
今日に限ってはエレンのもとへ寄るのは諦めた方が良いかもしれない。
溜息をついて気分を切り替えるようにリヴァイはジャケットの捲れた箇所をただした。
春めいてきているがまだ、夜風は冷たい。
ベージュのコートをはおり、通勤鞄を手に取ると、ハンジが面白そうに訊いた。
「今日もシガンシナ駅寄るの?」
「今日は寄らない」
「かわいこちゃんに会わないの?」
「ただの店員だ」
そんなんじゃない、とリヴァイが答えると、ハンジは八の字眉をきゅと寄せて振られちゃったの? と同情するような声で尋ねる。
「違う、ただ……遅くなっちまったから。今日は、もう、
いないと思う」
淡々とそれだけ答えるとハンジは面白いものを見つけた時のように眼鏡の奥を光らせた。
「なになに、随分いろいろ知っているんだね。ね、今日そこに寄らないのなら、飲みにいかない?」
久しぶりだしいいでしょ、と押し切られてしまうが、どうも乗り気にはなれない。
「そういう気分じゃない」
斜め下のつま先に目をやったまま言えばハンジはつまらなさそうに唇を尖らせた。
「じゃぁ途中まで帰ろ。週末一緒に帰るなんて久しぶりじゃない」
ついでにその子のことも聞きたいしね、とハンジは意味深げな笑みを浮かべて言った。
「あれ、ここだっけ?」
ハンジは駅の名前を指さして言った。
「間違えた」
シガンシナ駅でつい降りてしまったリヴァイはバツが悪そうな顔で言う。
次の電車もすぐくるが、ハンジの提案でそのまま一駅歩くこととなった。
「ここら辺のお店だよね、その子が働いているのは」
「……そうだ」
「リヴァイのことを待っていたりして」
茶化すようなハンジにリヴァイはそんなことはないと、どんよりした調子で返す。
「元気ないのはその子となにかあったんでしょ」
図星をつかれてリヴァイはぐうの音も出ないまま地面に目を落とす。
「連絡とってみたら?」
地雷を踏んでしまったな、とハンジはフォローを入れるが、リヴァイは目も口も開けたまま何かに気が付いたように茫然としていた。
そしてそのフリーズ状態が溶けると
「連絡先聞くの忘れていた」とぽつんと漏らした。


春。
一般に動植物の活動が盛んになり、何かが始まるイメージがある季節だ。
卒業式に入学式、新しい生活が始まるこの季節は出会いもあれば別れもある。

エレンは入口のドア、そして店の随所に貼りだされている広告を見て顔色を青くした。
『日替わりサンドウィッチ終了のお知らせ』
そしてバイトが終わり変える時間にはその顔色を更に悪くしてエレンは項垂れた。
エレン終了のお知らせ、というテロップが現在のエレン自信の頭の中に流れている。
「顔色が悪いみたいだけど」
心配そうにアルミンはエレンの顔色を覗き込んだ。
今日は金曜日。土日は学校が休みでせいぜいバイトに来るか遊びに出かける、と意気込んでいるエレンに元気がない。
特に「リヴァイさん」が来店するようになってからというものの、ますます金曜日のエレンは気合いが入っていたというのにこの状態である。
「大丈夫?」
いつまでたっても着替えすらしないエレンにアルミンは声をかけた。
アルミンの呼びかけにようやく気を取り戻したらしい。エレンはのろのろとした手つきで着替えを始めた。
シャツのボタンが掛け違っているような気がしなくもないが、エレンはそれすら気が付くことなく外へとふらふら歩きだした。
ひゅうと流れる冷たい風にアルミンは身を震わせた。気温の高い日々が続いていた為、薄着で出てきた事を後悔しながら空模様を見上げる。
先ほどから風が吹いている春の夜空の星は雲隠れしており、雨空になりそうな空模様だった。
早く帰った方がいいだろう、と考えるアルミンの天気予測をよそに、エレンは足取り重く歩みを進める。
「今日は……」
「今日はリヴァイさんが来なかった」
そう言われれば今日は金曜日だというのに、毎週来ているリヴァイの姿が見られなかった。
エレンに元気のない原因はこれか、とアルミンはようやく気が付くが、先週にいたっては一緒に帰っていたではないか、と思い出す。
「やっぱり、リヴァイさんの言ってた通り、金曜日の日替わりを食べに来ていただけなんだ……」
先週の金曜日の話を聞いていた為、エレンが思っていた返答を得られずに落胆していたことは知っていた。
しかし、あのリヴァイの様子から考えても、たかだか日替わりのサンドウィッチが変わった程度でエレンに会いに来なくなるとは考え難い。
「リヴァイさんだって忙しいだけかもしれないよ」
そんな繊細な心の持ち主だったっけか、と日頃の幼馴染の態度を思い出しながらも懸命にアルミンはエレンに慰めの言葉をかけた。
「だけど……」
だけど、と言ったところでエレンはいったん言葉を止めた。
「あ、アルミン」
エレンの言葉が震えていることに気が付いてアルミンはエレンの目線を辿る。
「やっぱり、リヴァイさんの言ってた通りだ」
わなわなと震えるエレンの目線の先にはリヴァイがいた。
ベージュのコートを着込んだ小柄の男性。後ろ姿は少し刈り上げた髪型が特徴的だ。
「似たような人じゃないの?」
「いや、あれは……」
そう言ったエレンの目はひどく虚ろだった。
リヴァイの横には女性……と思われる人物が並んでいた。長い髪を後ろで一つに束ねて親し気に会話して歩く姿。
毎週来てくれているリヴァイがエレンのもとへ現れなかった理由は恋人らしき人物とあっていた。
エレンはそう勘違いをすると、ぐったりと下を向いた。
地面にぽつりと水滴が丸く染みこむ。
「あ……雨振り出した」
アルミンは手のひらを上に向けて残念そうに呟いた。先ほどから怪しい雲行きだったが、ついに雨が降り出した。
ポツポツとアスファルトを叩く雨粒は大きい。そのリズムはだんだんと加速しており、アルミンは慌てて折り畳みの傘を開いた。
小さな傘で男が二人で入るには少し小さいが、雨避けの傘まで気が回っていないであろうエレンの身体に雨が直撃しないよう、半分入れてやる。
しかし、茫然自失としているだけではないらしい。人の温もりや気遣いを拒むようにエレンはそこから身を避けた。
「エレン!」
アルミンが呼びかけるがエレンはそのままどこかへと走って行ってしまった。
こんな状況で彼を追っても無駄だろう。
幼馴染故にエレンの性格は良く知っている。
それにこの事は彼自身がどうにかすべき問題だ。

『37度6分』
ぴぴっとエレンの脇の下で電子体温計は画面にその数字を表示した。
昨日とはまた違う意味で重い体をベッドから引きずり下ろすと、ふらふらとエレンは寝間着のズボンを着替え、コートのポケットに財布と鍵を持つと家の外へ向かった。
覚束ない足取りで向かう先は近所の内科だ。
昨日は雨を浴びてそのまま冷えた身体のまま床に眠り込んでしまった。さらにその他ショックな出来事が重なって熱がでたのかもしれない。
土曜の午前中の病院は思っていたほどは混雑しておらず、風邪薬と解熱鎮痛剤を処方された。
ドラッグストアに寄り、ビタミンの入った飲み物と、ゼリー飲料をいくつか購入する。
ここのところ食欲が落ちており、熱が出て具合が悪く、現在のエレンの食欲は廃絶していた。
このまま一人餓死するのではないか、と不安にも思う。

精神的にも弱っているためだろう、餓死をしても良いかもしれないと虚ろな頭は薄暗い未来に想いを馳せる。
解熱鎮痛剤で熱と風邪による頭痛は収まったが、心の痛みにまでは効かないらしい。この胸のつかえも風邪が原因であればどんなに良かったか、とエレンは天井を眺めた。
でもまだ振られた訳ではない。
目をつむると瞼の裏に浮かぶのはリヴァイの姿だった。服の裾を控えめに引いた時に香った彼の自身の香り、時折見せる桜色を乗せた頬。
釣銭を渡す時にこっそり手に触れたことすら思い出のように思い出す。昨晩の雨が髪の間の熱を冷ますように流れて行った感覚に似たものを感じる。
腕で顔を拭う。無意識のうちにどうやら泣いていたらしい。
風邪薬を飲んでいるからだろうか。エレンは暗闇に飲み込まれるような感覚に意識を手放した。

暗闇の中、夢の中か、それとも真っ暗な電気もつけていない部屋の中なのか。
わからないままにエレンは前方へと手を伸ばした。
かさり、と手の平に乾いた小さな四角いものが触れた。
これは、とエレンは靄のかかった視界のままなんだっただろうか、と記憶を掘り返す。
良く分からぬままに手を握ればそれは人の手の形をしており、その手の主は……
強い風がエレンの前髪を巻き上げた。渡しておけばよかった、と大きな波が寄せるように後悔の念が押し寄せた。
「リヴァイさん……」

月曜日には熱は下がりっていた。死んだように寝て過ごしていたお陰だろう。先週の土曜日に処方された風邪薬は明日までしか残っていない。
中途半端に風邪薬を飲んで、再び風邪をぶり返してはこの後困るのは自分自身だ。
頭痛と喉の痛みは残っていたが着替えることができそうだ。エレンは着ていたTシャツを脱いで軽くシャワーを浴びる。
風邪薬の影響と、寝た切りによって体力が落ちてしまっているのだろう。少し足元がふらつくが、新しいシャツに着替え、上着を着込む。
部屋の外に出ると先週までの土砂降りの面影はない。気分はまだ重いが病院へとエレンは向かった。

駅前の病院は土日の休日を経て、待合室は患者で賑わっていた。少し待つことになりそうだ。
大学の一限には間に合わないだろう、とエレンは待合室に置いてある雑誌を開く。

待ち時間があるために、待ち時間に外出する人も多いらしい。人の出入りが多く普段は静かな待合室だが、混雑しているという事もあり落ち着きがない。
それに加え業者や医療関係者の出入りもあるらしい。待合室の雰囲気にはやや異質なスーツの人間たちがエレンの目の前を横切って行った。
「おはようございます」
斜め向いの受付の方角から聞こえる声に、エレンは鼻を啜りながら耳を澄ませた。
それは聞き慣れた……聞きたくて、恋焦がれた人の声。
 はやる気持ちを抑えながら顔をあげる。
「リヴァイさん!」
病院にいる事すら忘れ、エレンはつい声をあげた。エレンの大声が待合室に響き渡り、リヴァイを含め、新人のような男女二人……オルオとペトラ、そして待合室にいた人間までもが突然の事にエレンの方を向く。
大声を出してしまい、予定外の自分の行動にエレンはすみません、と詫びて、椅子に座り直した。
辺りを窺うようにリヴァイはエレンに向かい唇に人差し指を当てる仕草をとる。そして空いている手で『お静かに。』と書かれた張り紙を指せばエレンは口を尖らせた。
けれども、リヴァイは思いがけないエレンとの再会に少しだけ表情をふにゃりと崩す。
職場では見せないその柔和な表情にオルオとペトラは口を大きく開けたまま顔を見合わせた。
「イェーガーさん」
リヴァイとの思わぬ再開にエレンは口をパクパクとさせていたが、診察室へと呼ばれ我に返った。
リヴァイの方を再び振り返るが、看護師の促すような呼名にエレンは咄嗟にポケットの中を探る。
もしかしたらここで逃したらもう二度と会う事はないかもしれない。紙の感触が指先に絡まる。
それを握りしめたエレンは拳をすれ違い様にリヴァイにその紙を手渡した。エレンの体温を離れ、今はリヴァイの手の中に握りこまれている。
振り返るとリヴァイがその小さな紙を広げている様子が視界の端に入った。それだけの事であったが走った後のように脈が乱れているのをエレンは自覚する。
これでもしも連絡が来なかったらと、不安が胸の奥から押し寄せた。
喉元をせり上がってくるような不安は決して気持ちの良いものではない。しかし、何もせずに後悔するよりはきっと数倍良い、とエレンは思う。
 一方で、仕事を終わらせて昼の休憩をとるリヴァイ達は待合室での一件で盛り上がっていた。
「さっきの子がリヴァイさんの言っていた噂の子ですか?」
「な、んで知ってるんだ、お前ら」
「ハンジさんの言っていた通り可愛い子ですね」

いつの間にか広まっていたこの話にリヴァイは頭痛を覚えた。社内で流れている根拠のない怪しげな噂の発祥地も同一人物ではないだろうな、とリヴァイは頭を抱える。
「そういえばさっき何か渡されていましたよね」
手紙ですか、と促され、折りたたまれている白いメモ用紙を震える手でリヴァイは開く。
二回分の折り目のついた紙には、上手くはないが丁寧な文字で電話番号、そして『連絡まっています――エレン』というコメントが添えてあった。
文字を人差し指で触れようとしたその時、肩に妙な重さを感じた。
「リヴァイさん、電話しましょう」
「充電足りないようでしたら俺のバッテリー使ってください」
「オルオ、スマホじゃないじゃない」
「連絡先わかって良かったじゃん」
肩のすぐ後ろからペトラとオルオ、そしていつの間にか現れたハンジが覗き込んでいた。三人の顔はいつになく真剣である。
「お前ら……いつもよりも真剣じゃねぇか……」
「だってリヴァイさんの大事な人のことじゃないですか」
「そうそう、まさかリヴァイ絡みの恋バナが聞けるなんて思いもしなかったよ」
 
そう言ってハンジはリヴァイの電話を持つと手慣れた様子でそこにエレンの連絡先を登録する。
「おい……」
リヴァイの制止も聞かずにハンジは電話の発信ボタンを押し、そのまま電話をリヴァイに受け渡した。
「早く電話、する」
慌てて発信を停止させようとするリヴァイだったが、その行動は遅かったらしい。発信音は一度途切れたかと思えばそこからエレンの声がすぐに聞こえた。
『もしもし、どちら様でしょうか』
「もしもし」
リヴァイの電話番号を知らない為、当たり前といえば当たり前の余所行きの声に不思議な気分になる。
もしもし、に続き名のろうとした。だが、それは緊張で上擦ったようなエレンの声に掻き消される。
『……リヴァイさん、ですよね』
「今、電話は大丈夫か?」
『はい。』
「……今夜会えるか?」
『えぇ、大丈夫です』
「夜九時にシガンシナの駅前でいいか?」
『了解しました』
早く仕事終わらせてそちらに向かう、とリヴァイは一言つけたした。
電話しているリヴァイの横でハンジが笑った。
我に返れば、部下たちの目線が一気に自分に集中していたことにリヴァイは気が付き、顔が沸騰したように熱くなる。
「仕事早く終わらせて帰る、なんてリヴァイが言うなんて」
「なんだかこっちまでドキドキしちゃいます」
軽口をたたくハンジの隣でペトラも興奮に頬を紅潮させてぎぎ、と拳を握る。
休憩中といっても、仕事の場にプライベートな話題に持ち出すつもりはなかった。それに加え、普段は静かに仕事をこなす先輩社員を気取っていたリヴァイとしては、自分でも制御できていないほどに恋愛に必至になっている姿をさらしてしまい、なんとなくきまりが悪い。
リヴァイは颯爽と電話を鞄に入れると、なんでもなかったかのように今日は仕事をさっさと片付けるぞ、と続ける。
が、まだその頬の粗熱は取れていないらしい。リヴァイの横顔はまだ少し赤く染まっていた。

今日の曜日は月曜日。

リヴァイはシガンシナの駅前に立っている。
駅を出たすぐ側らの自販機の横でリヴァイは時計を見た。
時刻はまだ八時五十五分。
ジャケットのポケットが震える。リヴァイは振動する電子機器を取り出した。画面に表示されている応答の文字をタップして電話に応答すると、弾んだようなエレンの声が聞こえた。
その背景に周囲の騒然とした雑音も聞こえる。車の音も多い。その雑音から察するに街中にいるのだろう。
「今シガンシナ駅前なんですけど、あ。一旦きりますよ、そこにいて下さいね」
「おい、」
リヴァイが何か言う前にエレンの一方的な電話は切られてしまった。
「リヴァイさん!」
片手に電話を強く握りしめ、泣きだしてしまいそうなエレンが息を切らして現れた。
「その……突然呼び出しちまってすまない」
申し訳ないと謝るリヴァイに対してエレンはとんでもないと言うようにふるふると頭を振った。
「オレこそ、すみません。ただの店員のくせに」
ただの店員のくせに、という言葉がリヴァイの胸にチクリと刺さった。乾いた笑い声に不釣り合いな歪な笑顔から、リヴァイは顔をそらす。
少し歩くか、とリヴァイは歩き出した。

帰宅の学生や会社員で駅前は溢れている。
行き交う人々はまっすぐに帰る場所へ向かっているが、リヴァイとエレンはどこに行くのか決まっていない。ふらふらと目的も定まらずにエレンはリヴァイについていく。

次第に辺りは静かになっていった。駅前から少し外れた住宅地の中にある川沿いの道に出た。
川沿いのフェンスに沿って樹々が植えられており、所々に桜や木蓮が咲いている。桜の花弁は月の光を吸って内側から発光しているように青白く咲いている。
「少なくとも」
二人は駅前から一言も交わしていなかったが、リヴァイの言葉により、ようやく沈黙が破られた。しんとした夜の空気を震わせてその声は妙に大きく聞こえた。
「少なくとも、俺にとって、お前はただの店員なんかじゃなく……」
気恥ずかしい気分もあったが、それ以上に緊張が上回っているらしい。リヴァイもの顔色も薄桜の青白さを映している。
「お前のことは友人とか、その、それ以上に思っていて……エレン。お前のことを俺は、どうやら好きらしい」
まさかリヴァイから告白を打ち明けられるとは思っていなかった。エレンは嬉しいという気持ちも大きいが、驚きに返答も忘れて息を呑む。
エレンはリヴァイの両手の先に手を触れた。見た目からうける冷たい印象よりも手の体温が温かい、とエレンは思った。
好きだと言われることは嬉しい。しかしエレンがリヴァイに抱いている好きという気持ちは決して友情の好きではなく、もっと複雑で不純に満ちた恋愛感情を含む感情だ。

「リヴァイさんの好きっていうのは、オレの好きって気持ちと同じですか……?」
温もりの繋ぎ目を見つめたままエレンは言葉を絞り出すように続けた。
「オレもリヴァイさんのこと好きです。でも……オレの好きは、友達とかそういうのじゃ足りない。手だけじゃ足りないくらいに好きなんです」
エレンの告白は涙声で震えていた。リヴァイの手の甲に涙がポタポタと落ちてきている。

「一緒に話したり、ご飯食べるだけで最初は嬉しかったのに、気がついたら独り占めしたくて」
エレンの言葉はそこで止まる。お互いに友愛かもしれないと考えている関係に休止符を打つようにリヴァイがエレンの体を抱き寄せた為だ。
エレンの方が少し背丈は高く、引き寄せられたエレンの頭は少し屈められている。リヴァイの両手はエレンの後頭部に回され、互いの顔の距離は酷く近い。皮膚が触れない距離のままリヴァイは表情も変えずに言う。

「伝わっていないようだから言うが、俺は恋愛感情としてお前を好きだ。だからお前がさっきから回りくどく言っている好きという定義が同じであるようならば……」
深呼吸をすると、リヴァイは言葉を続けた。
「このままキスしてほしい」
 エレンを見るリヴァイはいつになく真剣な表情であった。
「オレは、」
エレン自信もリヴァイに同様の感情を抱いているのは確かであった。しかし、同じように好きだと思っていたとしても、こういったシチュエーションは経験がなかった。キスをしてほしい、とリヴァイは言っている。そしてエレンも同じ感情をリヴァイに対して抱いているのだから、そのまま引き寄せて唇を合わせるだけである。
好きだからキスはしたい、しかしそれ以上に恥ずかしさ、動揺、そして緊張が上回る。唇を合わせるだけの行為が二人の関係性を一気に変えてしまう。それは望んでいたことの筈なのに、エレンはなかなか動きだすことができない。
それらの混沌とした雑音を打ち消すように一度強く目を瞑る。どうすればいいだろうか。
目をつむるとごちゃごちゃとした思考が混ざり合い、一瞬のことだがひどく長い時間のようにも思えた。
「早く」
リヴァイの声がエレンを呼んだ。目を開ければ上目づかいにエレンを見つめるリヴァイの顔がある。
月光を反射して光る瞳には薄い涙の膜がきらきらと光っている。涙できらめく瞳、よく見ると長い睫。薄い唇の隙間から見える小さな歯。
それらの要素が作り出す雰囲気は、普段店内で仕事帰りの空気を纏ったリヴァイとは違う。店員と客という関係から抜け出して向き合った時の彼はどこか放っておけない。どこか頼りなげで、愛しい存在となる。
「早く答えろ」
子供が大人に菓子を強請るような、泣きそうな顔でもある。
こんな泣きそうな、困った顔をさせたいわけではない。
ようやくエレンの行動が心の動きに追い付き始めた。

しかし、その判断は、リヴァイにとっては少し遅かった。
「困らせて悪かった」
リヴァイは怒りとも悲しみとも取れぬ表情をし、感情を押し殺しているのだろう、抑揚のない声でそう告げた。
「今日のことは、もう忘れる。俺もお前も元のようにこれからも過ごそう。変なことを言った、すまない」
「ま、待ってください」
呼びかけても振り向かずにリヴァイはエレンに背を向ける。強引かもしれないと思いつつ、エレンはリヴァイの肩に手をかけ、振り向かせた。
「こっち向いてください」
振り向いたリヴァイの目からは涙がこぼれていた。振り向かなかった理由は泣き顔を見られたくなかったからだろう。
今更なんだ、と言いたげにリヴァイは眉を吊り上げる。

けれども、怒った表情を作っている間にもぽろぽろと落ちる涙がその迫力を打ち消してしまっていた。

泣いているリヴァイにぎょっとしながらもエレンはリヴァイの身長に合わせるように、少し屈み、勢いに任せてリヴァイの顔を引き寄せて顔をぐい、と近づけた。目を閉じる前の一瞬に、リヴァイの鋭い瞳が、大きく丸く見開かれる。

エレンは距離感を掴めぬまま、リヴァイの唇に自分のそれを重ねた。唇の感触を感じる間もなくエレンは顔を離す。
エレンは強い眼差しでリヴァイを見つめているが、その顔は真っ赤に染まっている。
「き、キスできないじゃないですか……」
「お……」
青白かったリヴァイの表情も今はすっかり血色を取り戻し、赤く紅潮していた。作った怒り顔も崩れており、もはや泣いているのだか怒っているのだか良く分からない調子でリヴァイは口を開閉させている。
「お前が遅すぎるんだ、待たせやがって」
照れていることを隠すように、口元を掌で覆い、目線を逸らしながらリヴァイは言う。
必死に冷静な振りをしようとしているが、沸騰したように赤い顔に、涙目でまったく動揺を隠せていない。
健気で不器用なリヴァイの感情表現に緊張していたエレンの口元の筋肉がゆっくりと緩む。
「リヴァイさん」
ひと呼吸つくと、エレンはリヴァイの身体を抱きしめた。

腕の中で呼吸に合わせて上下する身体と、服を介して伝わる体温、そしてその匂い。

夢のように意識は春霞がかかったように曖昧模糊となるが、これを現実だと証明するようにリヴァイの存在が五感で感じられる。腕の中からくぐもった声がエレン、と呼ぶ。

強く抱き返してくるリヴァイの腕は本物だ。
はじめて、感情を共有できたような気がする。
二人が見上げる桜を照らす月光、身体を通り抜ける春の風。お互いに交わす体温は同じものだろうか。それがどうか同じであって欲しい、と願った。

自宅の一駅前でリヴァイは電車から降りた。

もうすっかり習慣になってしまった毎週金曜日だけの――と云いたいところだが、今日は金曜日でもなければ、エレンのバイトがある日でもない。
今日はエレンもリヴァイにとっても何でもない、オフの日であり、秘密の寄り道でもない。

「エレン、待ったか?」
リヴァイは息を切らせてエレンのもとへ駆け寄った。
「さっき着いたとこです」
 リヴァイの顔をじっと見つめて肩に手をかけようとするエレンをリヴァイはさり気なくかわす。人通りの多いところではべたべた触れ合わないというのは二人の約束であった。
「朝から会うなんて初めてですよね」
リヴァイにあっさりとかわされ、少しだけ寂しそうな顔をした。同性というだけで表立った触れ合いが難しく、寂しい思いをしているのは決してエレンだけではない。気分を変えるようにエレンは話を切り出しながら歩き始めた。
隣を歩くリヴァイは応えられず申し訳ないという顔で一瞬だけ、手をエレンの腕に触れさせる。
「この間病院で会っただろ」
「鼻水垂らして具合悪そうにしていた癖に突然大声を出すからビックリした」
「う……反省はしているんですよ」
 リヴァイはふざけたふりをしてエレンの肩に頭をぶつけたが、それも一瞬だけの行動だった。
すぐに体勢はもとに戻され、何事もなかったかのようにリヴァイは前を向く。
「でも……ちょっとうれしかった」
前を向いたまま小さな声が恥ずかしそうにそう打ち明ける。不機嫌な表情はどこか不自然で、照れた感情が垣間見られる。

「あれ?」
 エレンが唐突にリヴァイの方を向いた。そして、少しだけ、リヴァイに顔を近づける。勿論、公然でのべたつき禁止令を守っておりそう云った意味合いではない。ふんふんと鼻を鳴らしてリヴァイの方に体を向けるエレンの様子はまるで犬のようだ。リヴァイは不審な行動に思わずやや引いた様子で頬をひくひくと痙攣させた。
「リヴァイさん、何かつけています?」
 エレンの行動から察するに何か変わった匂いがするのだろう。リヴァイは自分から変なにおいでもするのでは、と自信の服のにおいを嗅いでみる。
「な、なんか変な匂いでもするのか?」
不安げに尋ねるリヴァイ自身にはとくに変わった匂いは見つけられておらず、そろそろ俺も加齢臭が……と悲壮感溢れる口調で独り言を呟いた。

「そ、そうじゃなく……あ、これかも!」
 エレンは年の差ならではのリヴァイの反応に戸惑いながらも、リヴァイの頭を力強く掴んだ。そして躊躇うことなくそこに鼻先を近づける。リヴァイの頭上ではすんすんと匂いを嗅ぐ音がする。
 第三者から見れば、顔を地面に向けて両腕を後ろに突き出したままの男性と、その頭に顔を埋めて匂いを嗅いでいる青年というなんとも奇妙な組み合わせである。
「リヴァイさん、良いにおいする」
「し、シャンプーの匂いだろ、たぶん」
 慌ただしくわたわたと上下する両腕も気にせずにエレンはまだ頭を埋めている。いい加減にしろ、とリヴァイはようやくエレンを振りほどき、もとの体勢に戻る。
「朝、風呂入ったからな」
 少し乱れたシャツの襟を正しながらリヴァイは言った。それに対してエレンはなにか不埒な妄想でもしたのだろう、頬をピンクに染める。
「変な事考えているだろ……」

 ぎろりとリヴァイが睨みつけるとエレンは叱られている子供のような様子でだって、と唇を尖らせる。
 リヴァイは年下の恋人の可愛らしく変わっていく表情に胸の辺りが熱を持つのを感じたが、それを誤魔化すように話題を変える。
「それよりもさっさと公園行くぞ。早く行かないと場所がなくなっちまうだろ」
「確かに人多いですし……」

 あたりを見渡せば弁当や飲み物、果てはパラソルやテント、多種多少な花見客がエレン達と同じ方角へ歩いている。 
 花見会場に着く前から酒が入っているのだろう、すでに酔って大声で笑いながら歩く人も少なくない。春の陽気と青空に桜色が舞っておりとても長閑に時間が流れている。
「きれいですね」
 呟いたエレンの手の甲がリヴァイに何かを伝えるようにその手の甲に触れる。花をきれいだと云っているだけだろう。しかしあの日好きだと伝え合った時のような切ない気分が急に胸にあふれた。
 何気ない会話なのにもかかわらず、泣いてしまいそうだ。幸せを噛みしめながらエレンを見つめ、リヴァイは想う。こんな時はどうやって気持ちを伝えればいいだろうか。

 周囲は酔っ払いたちが腕を組んだり抱きしめ合ったりと騒がしい。それならば、許されるだろうか。
 リヴァイはそっとエレンの手を握った。
エレンは一瞬、驚きに目を丸くしたが、その表情はすぐに春の温い風に溶けるように柔く笑い顔をつくる。
「リヴァイさん、酔ってる?」
「うん」
 何事もなく前を見て歩く二人は普段の街中であれば目立っていたかもしれないが、この騒がしい花見会場では馴染んでいる。ただ握っていただけの手はいつの間にか、指先が絡められていた。
風に合わせて木々の枝が揺らいでいる。
桜の花びらが太陽の光を浴びて、淡く、白く光る。
「桜は散るのが早いな」
「そうですね」
 散ってしまう桜は美しいが、それと同時に儚さを感じるものだ。寂し気な言い方のリヴァイに対して、エレンは握った手に少しだけ力を込める。
「でも、これから夏がきます。それに秋も冬も。来年の春だって。だから、オレが言いたいのは」
 エレンはそこで言葉を切った。黙ったというよりも、黙らされた、という方が表現は近い。

「これからもずっと一緒にいろよ」
 背中にリヴァイの持っている弁当の入った袋があたる。しかし、今重要なのはそんなことよりもリヴァイがこんな場所でエレンを抱擁しているという事実だ。
「もう、この酔っ払い!」
 文句を言いながらもエレンはリヴァイの背を抱き返す。
「うぅーエレン」
 まだ酒はおろかジュースすら飲んでいない癖にリヴァイは酔ったふりをしてエレンにべったりと甘えてくる。駅前で会った時は人前だからと言ったくせに、と思いながらもエレン自身も満更ではなく、その抱擁を受け入れる。
 
が、その甘ったるい空気は次の出来事で一気に張りつめた。
「あ、リヴァイさん」
 
桜並木の下で手を振り駆け寄るというドラマのワンシーンのようなシチュエーションでリヴァイの部下であるペトラが現れた。それに続くようにもうひとつリヴァイのよく聞く中性的なハスキーボイスと笑い声。
互いに寄り添ったままでリヴァイは顔をあげ、「げ」と潰れた蛙のような声をだす。気まずそうなリヴァイの目線の先には腹を抱えて笑っているハンジの姿が目に入った。

ハンジの右手には一升瓶が握られており、開封済みの瓶の中身は半分ほど減ってしまっている。
 酔っているのだろう、覚束ない足取りでほろ酔いと悪酔いの間を彷徨っているハンジの目には何事も面白く映るようだ。
 リヴァイは甘えていた今までの態度はすっかり変わり、自分の普段は見せない姿を見せてしまった恥ずかしさに顔を真っ赤にしてエレンから離れた。
 ちなみにエレンにはリヴァイの会社での人間関係に関してはまだそれほど詳しくなかった。
だが、エレンの胸に引っかかっていたものが、ひとつだけ、浮かび上がった。もやもやとした雨の日の中、リヴァイの隣で親しげに肩を並べて歩いていた人物。
長い髪の毛を後ろに一つに束ねており、リヴァイよりもやや身長が高く、中性的な外見。遠目で詳細までの確認はできなかったが、おそらく目の前にいる人物がそれに当てはまる。病院で見かけたときにもいたのかもしれないが、あの時の体調は決して良くはなく、記憶が少し曖昧であった。

あの時エレンはリヴァイばかりを見ていた為、ハンジの姿まで見ていなかったとも云える。その為エレンがハンジを認識したのは今日が初めてであった。
それらを思い出したエレンはリヴァイにとって思いもよらない行動に出た。
「リヴァイさん、こっち向いて」
エレンのその大胆な行動にペトラとハンジが驚いたのは勿論のことだが、一番驚いたのはリヴァイであろう。
なぜならば突然、身体を引き寄せたかと思えば、エレンはリヴァイに口づけをしたからである。
触れるだけのキスから離れて、口元を覆うリヴァイは耳まで赤く染める。エレンは一方で赤い舌で自分の唇を舐め、それからハンジたちの方へ顔を向けた。そして見せつけるようにリヴァイの肩に手を回す。
「エレン、人前でそういうことはしない約束だろ」
「この前二人で歩いていたから……」
 この前、とは恐らくハンジと二人で歩いていた事を指しているのだろう。拗ねるように言うエレンに対し、リヴァイは額を押さえて見ていたのか、と呟いた。
「いっちょまえに嫉妬しやがって。さっきも言っただろ……ずっと一緒にいろって」
「リヴァイさん……」
エレンは目を潤ませてリヴァイをじっと見つめる。
そんな二人の様子をハンジたちは呆れたように眺めて笑う。
「まったく、ラブラブなのは良いけど、早くお花見の場所取りしないと場所がなくなっちゃうよ。それから、エレン」
 ハンジはリヴァイには聞こえないようにこっそりとエレンに何かを伝えると、エレンの顔は真っ赤に染まる。
「あ、こら! エレンに何吹き込んだんだ!」
「別になんでもないよ、リヴァイのかわいこちゃんは思っていたよりも男前だね、って言っただけ」
「かわいこちゃん……」
 そんな言葉は初耳だとエレンはハンジの言葉を繰り返す。
「そういえば、いつまで手繋いでいるんです?」
 からかうようなペトラの言葉にリヴァイははっとしたようにエレンを見た。いつの間に、と気が抜けていた自分自身に呆れるが、暖かな春の陽気がリヴァイをおおらかな気分にさせる。満面の笑顔で手を握るエレンを見ていると、どうでも良いような気持ちになってしまう。
 いつまで手を繋いでいようか、とリヴァイは考えるが、こんな長閑で平和な空気で手を離してしまうのは勿体ない。
あの日はまだ蕾だった桜はすでに満開の桜になり、次は青葉に変わるのだろう。突然リヴァイは雨降る金曜日の夜を思い出した。
 いつになったら離そうか、と冗談交じりに言えばエレンは眉尻を下げて寂しそうな子犬のようになってしまう。
 手を離す気はないけどな、と思いながらリヴァイは前を向き、その手を少しだけ、強く握り返した。

 

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