エレリ リリィローズの目覚め

エレンとリヴァイが女子校に通っているmarimite的な設定。ハンジとアルミンがナチュラルに女子校にいます。何でも許せる方向け。エレリです。前半エレンがリヴァイをリヴァイさま呼びしています。話し言葉とかなんか変です。

姿見に映り込む短く切った黒髪がリヴァイの頬に触れた。首飾りをつけようと首筋に手を回せば、刈り上げたばかりのうなじの感触が鋭くリヴァイの手の甲に触れる。
そんな男の子みたいに短くしちゃって!とクラスメイトは嘆くが、普段のボーイッシュなリヴァイの性格を考えると釣り合いが取れており何の問題もないように思える。
事実、この髪型のお陰でリヴァイはよくモテていた。もっとも、リヴァイの通う学校は女学校。リヴァイはボーイッシュ故にモテてしまう女学生といったところだろう。
事実、160cmのすらりとした身体には、うっすらと薄く肉がついているだけで、声の低さも合間っており、男装の麗人のようにも見える。男性と隔離された女子校という特殊環境故にリヴァイは後輩からはもちろん、クラスメイトや先輩生徒から憧れの的となっていた。
紺色のセーラー服から覗くのは、白く長く伸びた手足、そして夏の日陰に吹くこ風のように凛とした涼しげな表情。時折見せる憂いを帯びた目付きまでもが、周囲の女生徒を夢中にさせた。
それに加え、リヴァイ自身のことはあまり話さない態度もミステリアス、聞き上手などと言われていた。
リヴァイさん、いつかリヴァイお姉様と呼ばせて欲しい。などと、古き良き姉妹(エス)に憧れる生徒からは姉妹の契りを申し込まれるほどだ。何はともあれ、順風満帆。リヴァイは恵まれた平和で健やかな学生生活を送っていた。

「リヴァイさま、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
朝のまだ白けた空の下でクラスメイトがリヴァイの隣を通り過ぎていく。この学校が独特なのかもしれないがクラスメイトたちの呼び名にはさん・様が付属することが多い。親しい間柄であれば呼び捨てであったり、あだ名で呼び合うこともある。この高校に通い、ようやく一年経った頃にはごきげんようという仰々しい挨拶にも違和感を感じなくなっていた。
「あぁっ、もう春の花が咲いてる!」
リヴァイの隣をすり抜ける髪を縛った眼鏡の生徒がその場に座り込んだ。私立のお嬢様学校といえども、時折変なモノはいる。……というか、女子校というのはやや変な生徒が多い。もしかしたら、異性の目がないぶん大らかで素のままに生きているからかもしれない。
「ほどほどにしないと、遅れるぞ」
虫眼鏡を片手に持ち、ほふく前進のように地面に腹這いになるクラスメイトを横目にリヴァイは校舎へと向かう。彼女の名前はハンジ・ゾエ。夢中になると周りが見えなくなりがちな性格だ。ハンジのために朝の出席の代返をするか、それとも遅刻の理由を教師に伝えておくべきか。悩ましげにリヴァイの細眉は、つるりと広い額にへの字を描く。
はぁ、とため息をつくリヴァイの横顔を、陽気を纏った春風が追い越していく。
それと同時になにやら茶色い毛玉が……。違う、これはリヴァイの見間違いだったようだ。コンクリートの地面には焦げ茶の髪の少女が転がり落ちていた。
「ぎゃっ!!」
ハーフアップにした頭上の団子から視線を落としていけば、同じ紺色のセーラー服、そして本来乙女がこの場で露出してはいけない、水色シマシマの肌着が見えていた。
「シマシマ……」
あまりにも大胆な光景にリヴァイは目に焼き付いたシマシマを口にしてしまう。すると、落ちてきたばかりのお転婆過ぎる少女はきっと目を釣り上げて起き上がった。
「み、見た!?」
びっくり箱のように勢いよく起き上がった少女は眼球が溢れんばかりに目を見開いて慌ててスカートを抑えた。もっとも女子校なのだから、そこまで気にする必要はない。
リヴァイは良しとしていないが、事実夏場の女子校は色々と大胆になる生徒が多い。スカートで仰ぐ者や、スカートをめくり上げて教室の扇風機にあたる者。さらには教室で流しそうめんを実行し、校庭を十周させられたという猛者がいるらしい。
……とまぁ、学園の不届き者は兎に角、この初々しい反応は恐らく。
「新入生か?」
恐らく、学園生活に慣れるにつれて、そこまで細かく気にすることは減るんだろうなぁとリヴァイは思う。もっとも、それはもともとの性格にもよるため、一概にそう、とは云えないのだが。
「は、はい!そうです、一年生です!」
まだ両足を崩したまま、地面に座っている少女にリヴァイは大丈夫か、と手を差し伸べた。
が、その前に少女の顔……の鼻から真っ赤な血液が流れ落ちていた。可哀想に、整った顔立ちだが、小鼻から真っ赤な鼻血が滴り落ちて、間抜けなことになっていた。
「ば!」
少なくとも大丈夫ではなさそうな鼻血少女はおかしな悲鳴をあげた。咄嗟にリヴァイはポケットに入れていたハンカチを差し出し、少女の顔の血を拭い小鼻に布を押し当てた。
何だろう、と周囲の生徒達は朝から目立つ二人にちらちらと視線を送る。
もっともリヴァイが今すべきことは雛鳥の鼻血を止めてやり、無事に登校させることだろう。
「鼻血。自分で押さえられるな?」
少女の日焼けした手をハンカチに添えさせると、リヴァイは手を離した。するとようやく事態を把握したのだろう、呆気にとられた顔を上げ、小鼻のハンカチに目を寄せた。
「その、その……ハンカチは」
ハンカチを押さえながら、彼女掠れたボーイッシュな声でリヴァイを見つめた。リヴァイを見つめる緑がかった瞳が怯えたように揺れていた。角度によっては浅い海の珊瑚礁のような緑が美しい、そんな曇った表情をさせるのは惜しいとリヴァイは心中で呟いた。
「鼻血が出ているようだから、まだ使っていて構わない。おれ……私はリヴァイ、リヴァイ・アッカーマン。二年一組。」
さすがに初対面の少女相手に俺女では印象が悪いかもしれない。変わり者の面を隠し、年下の少女が怯えないようにリヴァイは言葉を選んで話しかけた。もっとも学校内では基本的に一人称は私で通している。
すると、少女はにこりと、口元を綻ばせた。まるで薄紅の薔薇の蕾が開花に向けて緩んでいくような、美しい笑顔だ。
もっとも、今は鼻血を止血しており、間抜けな状況にいるが、簡単に彼女を表すなら美少女なのだろう。太陽光の下で、きらりきらりとブラウンの髪が光っていた。
ここは女子校。周囲一帯女子に囲まれている状況で、尚且つ生徒同士が恋仲という状況も珍しくない中、リヴァイは彼女たちに一切興味は持てなかった。勿論友情は育んでいたが、色恋沙汰の相手にはならないと思って過ごしていた。
しかし、今日現在、少しだけリヴァイの気持ちは揺らいでいた。初対面だというのに、この少女に対して眩しさと、可愛らしくて見ていたいなんて感情を覚えるなんて。
リヴァイは眩しそうにそちらを見つめていると、いつの間にやら彼女の鼻血は止まっていたらしい。
少女は鼻からハンカチをはずし、翠の瞳がリヴァイを捉えた。形の良い唇がカパッと開いた。
「後で、お返しにうかがいます。リヴァイさま……ありがとうございます」
美少女はそれだけ言い、ぺこりとお辞儀をするとリヴァイの目の前から去っていった。
先程までハンジに遅刻するぞ、などと言ったばかりだというのに、リヴァイはぽかんと口を開けて、小さくなっていく少女の背中を見つめていた。
しかし、リヴァイの隣を追い越していく学生たちの存在で我に返ったリヴァイの脳裏に現実と遅刻ぎりぎりという言葉が浮かぶ。
やばい、遅れる。リヴァイも周りと同様にコンクリートを蹴り、校舎に向かって走り出した。

リヴァイが教室に滑り込むと同時に朝の鐘が鳴り始めた。この時間までに教室に入り込んでいれば特に問題にはならないが、普段ならば余裕を持って登校するリヴァイにしては珍しい。
息切れはしていないものの、周りの注目のせいか、それとも走ってきたからだろうか、じっとりと背中が汗ばんでいる。
「珍しいな」と、リヴァイの隣の席に座るリコ・プレンツェカは読んでいた文庫本の表紙を閉じた。
「今朝は下級生を助けてたんだよ」
いつの間に登校したのだろうか、横からぬっと顔を出したハンジが口を挟んだ。
「ってことは新入生だね」
「どんな子だったの」
まだホームルームは始まらないらしい。声を潜めてリヴァイ達は話を続ける。どんな子だったのか、という問いに対してリヴァイは顎に手を当てて今朝のことを思い出す。
「頭に団子を付けてた」
「え、それだけ?」
リコが眉根を寄せて鋭い視線をリヴァイに向ける。はて、それだけだっただろうか。朝日の元に一つ、輝いて見えた色があったような気がする。緑色だっただろうか、それとも。
ふいにリヴァイが教室の窓の外を眺めれば、青空の水色に走る飛行機雲が浮かんでいた。そうだ、水色のシマシマの……。
「パンツが水色のシマシマだった」
「なにそれ!」
リヴァイの一言にハンジがぶふっ、と吹き出した。周囲の視線がちらちらとリヴァイたちを見る。今はホームルーム中。たいしたことは話していないが(わりと)静かな教室の中で、リヴァイ達の声は目立ってしまう。
追い打ちをかけるような教師の咳払いにハンジとリコはびくっと肩をすくませて、すぐに背筋をしゃんと伸ばし前を向いた。もっとも、そんな時間はほんの数秒のこと。多感で好奇心に溢れる彼女達の興味はリヴァイとその少女に集中していた。
むむ、と二人は悩ましげな顔をしたのもつかの間、すぐに何かを思いついたようにさっとメモ帳を取り出す。
そして。
「なにその子、会ってみたい」
「妹にしたら」
リヴァイの元に回ってきたのは、クマのキャラクターの印刷されたメモ用紙とハンジとリコのメッセージだった。
リヴァイはメモ用紙を開いた途端、右手でそれを握り潰した。
妹。なんて面倒臭い女々しく少女趣味で、怪しげな子供染みた風習なんてだれが興味を持つか! 半分怒りに似た気持ちがふつふつと湧き上がりリヴァイの心を焦がした。今朝の彼女を美少女だと思った事は認めるが妹にしたいなんて馬鹿げたことは考えていない。
興味なんてない。
興味ない、とやはり返信すべきだろうかとリヴァイはシャープペンシルを持ち、数回ノックしメモにペン先を置いたが筆圧が強かったのだろう。灰色の芯が軽い音を立てて折れてしまった。まだ新学年の生活が始まったばかりで落ち着いていないのかもしれない。
リヴァイボールペンを取り出すと、興味ない。とだけ書いたメモを再びハンジの手のひらへ滑り込ませた。
ハンジはリヴァイのメモを眺めるやいなや、何かを考えているのだろう。顎に手を当てて難しそうな顔をしている。よく見ればその眼鏡の奥は楽しそうな瞳が光っており、リヴァイにとってよからぬことを考えているのがうかがえる。
もっとも、沈黙艦よろしく黙り込んだまま、顎下で手を組んだポーズで固まるリコも真面目に見えて何を考えているかは計り知れない。
こういう時の眼鏡コンビはよろしくない。一年間の学生生活を経て学んできた成果は大きい。
本日の休み時間の議題を想像してリヴァイは何を聞かれるのだろうか、と息を吐く。女の子というのは、噂話や恋話とスイーツにはとことん弱い生き物だ。もしかしたら、今朝のおてんば娘もそうなのだろうか。
すっかり朝のBGMと化したホームルームは近日行われる合唱大会の話になったいた。
リヴァイとハンジは今年もアルトに分けられるのだろう。ここウォールローゼ学園では、毎年春先になると合唱大会が開かれる。数年前に天災で中止になったことがあったらしいが、そういった例外を除き毎年恒例の行事である。合唱大会では、学年毎ではなくすべての学年が混じるようにチーム分けされ、チーム対抗戦となっている。
もちろん、新入生とはエンカウントすることになるが、入学したてほやほやの新入生は合唱大会どころが学校規則すら知らない状態である。そうなれば、自ずと上級生は同じグループの新入生の世話役兼指導係となる仕組みだ。
合唱大会という名の新入生オリエンテーションの中では姉妹の契りを交わす少女たちも多いと聞く。
もっとも、稀に同級生同士で姉妹の契りに似た関係性を築く者もおり、その契約形態はわりと自由度が高い。一方で、姉妹関係となった者たちは互いに持っていたアクセサリーや身に付けるものを一つ交換し合う。この関係は互いの持ち物を戻すことで解消することも可能だ。ここの様式は人によりブレはあるものの、ここ数年はアクセサリーの交換が流行しているらしい。
それにしても、今年はどうなることやらとリヴァイが黒板を眺めていると、今年のチーム分けどうなるかなぁなどという呟きが彼方此方から聞こえてくる。
リヴァイは今朝の少女を頭の片隅に思い出しながら朝の喧騒を聞き流していた。

朝の鋭い日射しはいつしか、かんかん照りの正午の太陽となっていた。空調の効いた室内は外の気温に左右されず、また、女子校ならではかもしれないが、「日焼けしたくない」という全員一致の意見によりクラスのカーテンは昼が近付くと閉められてしまう。
窓を覗いた際に見える、体育の授業と遠くの声も耳に心地良く風情があると思う。だが「今年は日焼けをしない」を目標に掲げた現場には高校風景風物詩はなかなか根付いてはくれない。
それにしても、正午の授業は腹が減るなぁと切ない空腹感と戦いながらリヴァイは黒板を写していた。
三時間目の終わりには空腹を感じていたが、四時間目の後半戦にはついに腹の虫が抗議の声を上げる。
時折、男勝りで運動部の手本のような生徒が早弁と称して三時間目の休み時間や、授業中に食事を取っていることもある。
ガサガサとリヴァイのすぐ側でそんな音がするため、そちらへ振り向けば、あと三十分も待たずに昼休みだというのに早速ハンジが早弁をしていた。もっとも彼女は文化系部活の住人である。運動はさせれば思いの外、器用に何事もこなすが気質的に文化系の怪しげな部活があっているらしい。

そして、4時限目終了の鐘と共に待ちに待った昼休みがやってきた。やはり他の休み時間よりも長い休憩時間がやってくる喜びと、ようやくお昼ご飯の時間だ、と空腹を抱える女子たちの声に活気が戻った。
「ううっ、やっとお昼休みだ!」
伸びをしながら先程まで弁当を食べていたハンジが声を弾ませた。え、とリヴァイはそちらを振り向いた。
「まだ食べるのか?」
「もちろんだよ!」
目を輝かせたハンジは机の脇にかけていたおおきな紙袋からお弁当その二を取り出してにっこり微笑んだ。
ぎっしり詰まったおかずに、握り拳ほどのおにぎりが二つ。女子力とは? と聞きたくなるような肉だらけ体育会系な弁当だった。
「美味しそうでしょう?」
眼鏡の奥と箸の先端を光らせながらハンジはにぃぃと笑った。
「お、おう」
弁当のボリュームとハンジに圧倒されながらもリヴァイ自身も弁当を開く。リヴァイはコンビニの幕の内弁当だった。お嬢様学校のイメージがある学園だが、リヴァイやハンジのように一般的な家庭出身の子供も多い。
と、いえども多くの者が、学園生活の中でそれなりの言動を身につけていき、また、今朝のリヴァイのように遅刻ギリギリで走り込むような生徒は少数派である。
はずだったのだが。ばたばたと大きな足音が遠くの廊下から近付いてきていた。
こんな昼休みに何事だろう。虫でもいたのか? とハンジは首をかしげた。
そうだな、とリヴァイが相槌を打つのと同時だろうか。教室のドアがピシャンと乱暴な音を立てて開いた。そして。

「リヴァイさま、いらっしゃいますか!!」
爆音が教室中に響き渡った。
いらっしゃらねぇよ!と思わず言いたくなるほど悪目立ちした呼び出しにリヴァイは頭を抱えた。
この猪突猛進でひどく雑な登場に、顔を見ずとも今朝のあの子だと分かる。
周囲にいたクラスメイトたちは、彼女が教室に入ってきて顔立ちに頬を緩めたが、それは一瞬のことであった。
教室の入り口に目を向ければ、茶髪にお団子頭、雑に腕まくりをされたワイシャツが目に付いた。今朝と変わらぬ整った顔立ちが勿体無いと思ってしまう。
弁当箱を持ったまま、げっそりとやつれた顔をしているリヴァイを見つけたのだろう。彼女は眩しいほどの笑顔を身に付けてがつがつとリヴァイの元へ歩み寄った。
「リヴァイさま!!!」
元々大きな目をさらに見開き、少女は力強くリヴァイの肩に両手を置いた。すでにリ周りに座っていた少女達はハンジとリコを除き、遠目にその様子を伺っていた。
「あ……あぁ」
どうしよう、この子怖い。
溢れそうな本音を飲み込んでリヴァイは茫然としたまま返事を返す。
「あのっ!ハンカチ、なんですけど」
鼓膜を響かせるような声が耳に痛い。話をするたびに肩に置かれた手に力がこもっている。
「その……少しは落ち着いたらどうだ?」
リヴァイは彼女が息継ぎをする合間を縫って、声をかければはっとしたようにリヴァイの肩から手を離した。
「ご、ご、ごめんなさいっ!」
すると、急に勢いをなくした少女はしょんぼりした表情でぺこりとリヴァイに誤った。
「そんなに怯えなくても取って食べたりはしない」
リヴァイは目付きが怖いことを自覚している。怯えさせたのではないか、と彼女に声をかけた。そして、ひとつ、違和感に気づく。そう、名前を呼ぼうとしたのだが、まだリヴァイは彼女の名前を知らなかったのだ。
「そういえば……名前を。名前を聞いていなかったな。名前は?」
目をうるうるさせて震える小動物にリヴァイは椅子から立ち上がりながら尋ねた。まだ頭が追いつかないのか、リヴァイに頭を撫でられながらその生き物はぷるぷるしていた。
リヴァイたちから離れて様子を伺う同級生たちの空気がざわめいている気がするが、今はこちらの小動物を落ち着かせる方が先だろう。
「なまえ……はエレン・イェーガーです」
一瞬前までの勢いをすっかり無くした彼女はぽそぽそと呟くように言った。ほんのり頬を赤らめて困ったような照れているような顔が幼くみえる。
「エレン……さん」
そんなエレンを見ながらリヴァイはエレンの名前を繰り返した。まるで自分の乾いた心の奥の草原に潤いの水を染み渡らせるように。

二人の間に妙な空気が流れていたところに、急に一人の奇行種が乱入した。その勇者は弁当奉行のハンジである。
「ところで。エレンさん、でいいのかな? 何の用事でこちらに。」
なかなか進まない見つめ合うだけの二人にしびれをきらしたのだろう。ハンジは弁当を机に乗せるとエレンの方を向いた。
「あ、そう、そうだった。ハンカチですが!」
はじめておつかいをする子供のような仕草でエレンはゆびをこねながらリヴァイに向き合ったまま続ける。
「水道で洗ったんですが鼻血が取れなくって、ちゃんと洗ってから、改めてお返しに伺いたいなって思ったんですが……」
よろしいでしょうか、リヴァイさま。とエレンは言う。エレンはリヴァイより少し背丈の高い少女にも関わらず、彼女のもつ元々の雰囲気が小さく愛でたい生き物だとリヴァイの本能に訴えかけた。
「そこまで気にしなくても良いんだが」
「でも、わたしが気になるんです」
また来ちゃだめですか? と訴えられれば思わずリヴァイはうなづいてしまう。
「わかった……今度は大声で叫ぶなよ」
喉奥がこそばゆい。エレンの声が瞳がリヴァイに向くたびに、綿毛でくすぐられているような錯覚に陥って落ち着かない。眠っていた感覚がひとつひとつ呼び起こされて、世界に色彩が広がった。

そんな二人の裏側でリヴァイをよく知る少女たちはキツネにつままれたような顔をしてその様子を眺めていた。

それでは失礼しました。とエレンが頭を下げて教室から出た途端、時が止まっていたかの如くしんとしていた教室の時間が動き出す。
「リヴァイさん、あの子はだれ?」
「エレンってもうお姉様がいるのかしら」
教室の各地からそんなひそひそ話が聞こえた。リヴァイはげんなりした顔でそれらを聞き流す。
「さっきの子だけど、いい子そうじゃないの」
リコはコンビニの菓子パンを片手に言った。今日はチョココロネとサンドウィッチが昼食らしい。
「でも、行儀が良くない」
悪い子ではない、と思う。しかし彼女をいい子と判断するには、接触時間が短すぎるし、逆を言えばあの短時間でよくもまぁ、あそこまで雑な仕草を披露できるものだなぁとも思う。
制服のスカートにはシワが寄っていたし、リボンの結び方はお世辞にも上手いとは言えない。
「がさつだ」
「そうかなぁ〜〜」
ハンジはもたれかかっている椅子をギシギシ鳴らしながら言った。リヴァイの横目が、ここにも似たような奴がいたなぁと言っている。
「私は可愛いなぁって思ったなぁ。もう少し彼女のこと知りたいっていうか?」
ハンジの言葉にリヴァイは表情を強張らせれば、ハンジの眼鏡の奥がにこりと笑う。
「冗談だよ。そんな怖い顔しないでよ」
「別に怖い顔なんてしていないけど……」
どうだろうね、ねぇ。とハンジは弁当の唐揚げを頬張りながらリコに同意を求めるように顔を向けた。
「さぁね」
リコは小説を読みながら目も向けずに返事をする。区切りの良いところまで読んだのだろう。本に白百合の描かれたブックマーカーを挟むと、リコは物語の中から意識を離し、リヴァイの方に目を向けた。
リコは意味ありげな表情でリヴァイの目を覗き込む。心の中を見透かせるレンズで見られているようで少し居心地が悪い。
「まぁ、リヴァイさんが誰かに興味を持つなんて珍しいし良いんじゃない」
ふぅ、とため息をつくとリコは再び手元に意識を戻した。いつの間にか食べ終えていたらしい、菓子パンやらの袋はコンビニの袋に丸めて入れられて袋の口は縛られていた。
こんな雑な人間に心の内を、リヴァイ自身でさえ知らない名前の無い感情の動きを察せられるはずがない。
リヴァイは正体の見えぬ情動に思わず胸のあたりで拳を握る。ドクドクと鼓動を感じるので手のひらからなのか、それとも心臓がうるさいだけなのか。
「そんな感情誰にだってあるものだ。それにあれだけ慌て者な下級生なら誰だって気にかける」
よく思い返せば、たまたまエレンが転倒したのがリヴァイの前だったというだけである。これがリコであっても、同じような状況が生まれるだろう。
「まぁ、そうは言うけど。これも何かの縁だったりしてね」
それが言いたかっただけだよ。とハンジは面白そうに言うと、最後の唐揚げを口の中に放り込んだ。

鼻血塗れのハンカチが洗濯され、リヴァイのもとへ返ってきたのは、週末のことだった。
帰りのホームルームが終わり、帰り支度をしていると、バタバタと聞いたことのある足音と共にエレンは教室に現れた。
肩で息をしながら、教室の入り口に腕を掛けて前を見据える姿は運動部の走り込み後の姿を思い出させる。
「り……」
「来てくれて、ありがとう」
リヴァイは彼女が大声を出すのを先回りしてエレンの目の前に姿を見せ、エレンの肩に手を置いた。
少女たちの興味の変遷は秋の空よりも早く、笑いの域値は箸が転がるよりも浅い。先日教室内を騒がせた美少女が現れたが、周囲は関心がないらしいりすでに帰り支度を終えた生徒や、これから部活に向かう子達は荷物を片手にぞろぞろと各々のアフターファイブへ向かっていた。もっとも、リヴァイのエレンに叫ばせない努力も功を奏しているのかもしれないが。
「このあいだはハンカチ貸していただきありがとうございます。遅くなっちゃってすみません」
ずい、と差し出されたハンカチは洗われて、丁寧にアイロンがけがされていた。
「わざわざ、届けてくれて助かる」
ハンカチはすっかりぴかぴかになり、ほんのり洗剤の香りがした。ちらりとエレンを見れば彼女もまた帰り際だったのだろう。鞄を肩にかけ、小脇に荷物を抱えている。
「あ。」
リヴァイはエレンの胸元に目をやった。赤いリボンが解けてしまっていたからだ。首を傾げるエレンをちらりと見上げると、リヴァイはエレンの胸元に手を伸ばした。
「り、リヴァイさま」
急に胸元を触られれば、驚きもするだろう。しかし、リヴァイの手がエレンのセーラー服のリボンを結わえようとしていることに気づいたエレンは斜め上に顔を上げ、至近距離で目が合わないようにしている。気を遣われるとこちらまで、居心地が悪い。そもそも、リヴァイさまって何だ。様って。
「さま、じゃなくて良い」
唐突な話題だっただろうか。ぽかんと口を開けて呆けた顔をするエレンとリヴァイのあいだに気まずい空気が流れる。リヴァイは片手で前髪を耳にかけた。
「その、エレンさんが良ければ、の話だ」
リヴァイはエレンの胸元のリボンを整え、エレンから手を離す。すると俯いていたエレンはふるふると震えている。
まずい、さすがに馴れ馴れしすぎたか、というのはリヴァイの杞憂だったらしい。
「……いいんですか」
この世のものとは思えぬ低く地響きしそうな声でエレンは答えた。先ほどの震えは喜びに打ち震えていたらしい。エレンをよく見れば、嬉しそうにピンク色の頬が膨らんでいる。
ほっ、とした。リヴァイは緊張ではちきれそうだった胸を撫で下ろした。あの大声でリヴァイさまと叫ばれるのは疲れるし、なによりこれがちょうど良いとリヴァイは思った。
「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて」
エレンはこほんと咳払いをすると、リヴァイの名を唇にのせ言葉を放った。
「リヴァイさん」
エレンは緊張しているのだろう。両手を強く握りしめて肩をあげている様子は見ていて面白いと思うほどだ。なにもそこまで緊張しなくても良いじゃないかとも思う。
リヴァイはじっと顎に手を当てたままそんなことを考えていた。すると大きな瞳がリヴァイを見つめ返している事に気がついた。何だ? と首を傾げればエレンは身を乗り出すようにして口を開いた。
「あの、あの。リヴァイさんがよろしければ、私のことは呼び捨てで呼んでいただけませんか」
「呼び捨て?」
呼び捨てで、というエレンの申し出にリヴァイは躊躇った。たしかに学年が下の生徒や同級生同士であればそういった呼び方もするが、それは親しい間柄で行われるものであり、出会って数日でそうなるのはなかなか珍しい。
もっともそれを言ったら、下級生に様ではなく、さん付けの方でと注文するリヴァイも珍しい部類の人間ということになる。
エレン。響きは悪くないな。リヴァイは頭の中でイメージトレーニングをしてから口を開く。
「エレン、でいいのか」
エレンの名前を呼んでいるだけだというのに、どこか後ろめたいような、しかし自分だけが特別なことをしているような優越感がリヴァイの心の奥に生まれた。
「はい、リヴァイさん」
春風と共に仲良くなった一つ下の可愛らしい後輩は、頭の上に花を咲かせたようにふわふわと笑っている。
「エレン」
もう一度その名前を呼べば、照れたようにエレンは微笑みを浮かべた。

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